78 旅立ち
魔術の強化が必要だ。
琥珀迷宮の五階層で、熔骨オーガが崩れ落ちた光景が、何度も脳裏をよぎる。
リナが普通に切っただけで、あんな巨体が沈む。
俺は、どうだ。
剣は魔術ありき。
その魔術は上のレベルでは意味が無いと言われた。
(……じゃあ、何を上げる)
魔術の威力か。
魔術の通し方か。
あるいは。
精霊化。
あれが、再現できたら。
Aランク相手でも、景色が変わるのかもしれない。
だけど知っているのは精霊化という言葉のみ。
ギルド長のグスタフが言っていた。
精霊魔法の本家本元はエルデン深森盟約国。
行ってみたい気持ちは強いが、王都に行くよりも日数がかかりそうだ。
そもそも、道もわからなければ行くあてもない。
家へ戻って、装備を片付けていると、リナが布を畳みながら言った。
「ねえ」
「ん?」
「エルデン、行ってみたいんでしょ」
「ごほっ」
突然言葉を投げかけられて思わず咽せる。
……察しが早い。早すぎる。
俺は誤魔化すのをやめて、リナに向かうと正直に言った。
「リナ。ちょっと、エルデンに行ってもいいかな」
リナは、迷わず頷く。
「いいんじゃない」
あまりにあっさりで、肩の力が抜けた。
「……即答かよ」
「だって、ユウト、今ずっと考えてた。眉間にシワが入ってたよ」
「それは……悪かった」
リナはにやっと笑う。
「強くなりたいんでしょ」
俺は頷いた。
「Aランク帯に、一撃でもいい。通る手札が欲しい」
リナは、剣の鞘を指で叩く。
「じゃ、行こ」
短い。
それだけで、背中を押された気がした。
出発の前に、挨拶回りをする。
どれくらいの時間がかかるか分からない。
まずはバルネス商会。
エミルにエルデンに行くことを伝える。
「……そうですか。エルデンとはどこもまともな国交もなく。道もないと言います」
「そうなんですね」
ちょっと気が重くなる。
「中に住んでいるエルフたちは時々近くの街に来ては、いろいろ仕入れているようです。
その際に商隊を送る許可を取ろうとしたが断られたという報告も来ています」
「東の森の奥だとは聞いているんだが」
エミルは一瞬だけ目を細め、それから真顔で言った。
「その認識で合っているはずです。事実かどうかは分かりませんが、たどり着いたという報告もあります。
ですが何があるかは分かりませんのでお気をつけください」
「……分かりました」
「剣の方は、鍛冶から連絡が来たら私が受け取っておきます」
「戻られたら渡しますね」
「助かる。ありがとう」
リナが横から身を乗り出す。
「ねえ、エミル。おいしい保存食とかない?」
「なかなか難しいですね。でも飽きないように種類を増やして用意しておきますね」
干し肉と乾パンみたいな硬いパン、乾燥果実、調味料。
干し肉は燻製の風味がいくつか種類がある。
用意してくれたものを購入して、冒険者ギルドへと向かう。
冒険者ギルドへと到着する。
受付のカトリーナが、俺たちを見るなり顔を明るくした。
「ユウトさん、リナさん。おはようございます」
「おはようございます」
「少し、報告と……それから、しばらく街を離れます」
カトリーナの笑顔が、すっと消える。
「……離れる、ですか」
「どちらへ?」
「東の森の方です。エルデンを目指します」
カトリーナは、息を呑んでから、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……止める権利はありませんが、できれば行って欲しくありません。
あの国のまともな情報がありません。危険度は高いです」
「そうですよね、すみません」
「はぁ、もういいです。大体みなさん止めたって止まりませんからね。
でもできれば戻ってきて欲しいです。くれぐれもお気をつけください」
今回は長旅だ。馬車もない。
そもそも道も分からないし、ツテもない。
……ないない尽くしだ。
「なんとかなるでしょ」
リナが肩をすくめる。
「そうだな。」
ギルド長の言い方は深刻な感じではなかった。
俺たちならいけると見込んでいるのだろう。
保存食を詰め込む。水袋も二つ。布の簡易テント。火口と乾いた布。
縄と、雑に折った布切れ。怪我の応急用。
荷物の準備が終わると徒歩で東へ向かう。
身体操作を使って走れば、馬車程度の速度は出せる。
足の運びを崩さないように、呼吸を一定に保つ。
半日ほど走った。
それでも、まだ街道は続いている。道幅もある。
「……案外、道あるね」
リナが言う。
「そうだな」
日が暮れる前に、小さな村が見えてきた。
畑と、低い木の家と、煙。
宿なんてものはなさそうだ。
俺は村の入り口で手を上げて、通りがかった老人に声をかけた。
「すみません。今日、一晩休める場所を探していて」
老人は俺たちを見て、眉を寄せる。
「旅か?」
「はい」
「金は?」
「払えます」
それを聞いて、老人は短く頷いた。
「納屋なら空いてる。寝るだけだぞ」
「助かります」
その晩、納屋に寝床を作らせてもらった。
ありがたいことに、老人が簡単な食事も出してくれた。麦の粥と、干し肉。温いスープ。
リナが頬を緩める。
「うま……」
俺も、同じことを思った。
温いものが腹に入るだけで、生き返る。
食事のあと、俺は正直に言った。
「……エルデンまで行きたいんです」
老人の顔が固まる。
「やめとけ」
即答だった。
「遠いからですか?」
「遠い。だけではない。選ばれたものだけが導かれる」
それから、老人は納屋の外。東の暗い方向を顎で示す。
「若い頃に一度だけ入ったことがある。すぐに道はなくなる。陽の光も入らなくなり、昼間でも暗い。
方角もわからなくなり、数日迷って気がつくと村の境に戻ってきていた。行くなら覚悟しろ」
リナが小声で言う。
「辿り着けるといいねぇ」
「気をつけて行ってきます。貴重なお話ありがとうございます」
俺は老人に礼を言って、頭を下げた。
早朝。
礼を言って村を出ると、すぐに走り始めた。
最初はまだ、道と呼べる幅があった。
けど、しばらくすると藪が増えて腕に当たる。
踏み固められた道がわずかに残っている。
足元は苔と湿った落ち葉で、踏むたびに沈む感触がする。
(森に入ってすぐにこれか……)
俺は腰のナイフを抜き、前にせり出した蔦を切った。
刃に青い汁がべっとり付いて、鼻の奥に苦い匂いが残る。
後ろから、リナがぼやく。
「なかなかこんなところ通らないね」
「だな」
返しながら、俺は周りを見る。
木が、近い。
幹が太いだけじゃない。枝が低い。葉が分厚い。
空が見えない。
森の中っていうより、屋根の下に入ったみたいだ。
上を見上げても、葉の層が何枚も重なっていて、光がそこで止まっている。
そろそろ昼に差し掛かるはずなのに薄暗い。
木漏れ日が落ちても、斑点みたいに滲むだけで、地面まで届かない。
自分の影も輪郭が溶けて、いつもより薄い。
(……これ、時間、合ってるか?)
歩く音も変わった。
葉を踏む音が、柔らかく吸われる。
遠くの音が聞こえにくい。薮をかき分ける音がよく聞こえる。
リナが少し声を落とす。
「……ねえ、今、昼?」
「……分からん」
言った瞬間、自分でも情けないと思った。
でも、分からないものは分からない。
森は、昼と夕方の境目を消してくる。
光が一定で、変化がない。
「うーん……道、迷ってる?」
リナが立ち止まって周りを見回す。
木ばかりだ。前も横も、同じ高さの幹が続いている。
「……迷ってるかどうかも、分からん」
俺は正直に言った。
時間は進んでいる。
足の疲れは増えているし、水も減っている。
木々が高くまで伸びて、光が遮られてなんて生易しいものじゃない。
光そのものが、森の上で押し返されているみたいだった。
(この森、昼でも暗い……)
そう思ったところで、俺は一度呼吸を整えた。
焦って走れば余計に崩れる。
「今日は無理するな。寝床作るぞ」
「え、もう?」
「念の為に早めに休息しよう」
すぐに頷いた。
「……わかった」
少しでも開けた場所を探して、藪を切り、地面を均した。
布の簡易テントを張る。杭は細い枝で代用する。
テントの中に入ると、外より暗さが濃くなる。
入口を開けていても、光が薄い。
携行食をちまちま食べる。
硬いパンを噛むたびに、口の中の水分が奪われる。
リナが小さく言った。
「物足りないねぇ」
「……そうだな」
今は贅沢を言えない。
食べて、寝て、明日に繋ぐ。
狭いテントの中で、見張りを立てて交代で横になる。




