76 指輪
夕飯の最中、エミルがナイフを置いて俺たちを見た。
「……ユウトさん、リナさん。今日のうちに商会の仕事を終えられそうです。
明日には出立できます」
「明日……」
俺は反射的に頷いた。
頷いたのに、胸の奥がまだ重い。昨日見たものが、胃の底に沈んだままだ。
リナは箸を止めて、エミルの顔を覗き込む。
「明日帰るの? ほんとに?」
「はい。荷の積み込みと手配は、もう済ませました」
エミルはいつも通り丁寧だ。けれど、目の下が少しだけ疲れている。
「ただ帰りの護衛が見つかりませんで、お願いしてもよろしいでしょうか?」
エミルが申し訳なさそうに聞いてきた。俺は小さく頷いた。
「ラツィオへ向かう人が、減っているようです」
「そっかぁ……ダンジョンに入れなくなってるもんねぇ」
リナの声のトーンが低い。
ラツィオはダンジョンありきで回っていた街だ。
そのダンジョンが立ち入り禁止になってる。人が減るのは、理屈としては分かる。
「護衛の方は任せてください」
俺がそう言うと、エミルは真面目に頷いた。
「ありがとうございます。報酬はお支払いしますので」
少し間が空いて、エミルが思い出したみたいに続けた。
「それと、もう一つ」
エミルは懐から小さな布袋を取り出し、机の上に置いた。
「記憶核の件ですが……商談で一つだけ確保できました」
「え、あったのか」
「はい。昨日見つかりまして、お騒がせしました」
そういえば、確保してたと伝えるのを忘れてた。
まぁ、ラツィオに戻ったらギルドで換金すればいいか。
テーブルに目を向ける。
食事は美味い。王都の料理は、やっぱり手が込んでる。
エミルが準備してくれているレストランが高級なだけかもしれない。
昼は魚料理だったが、夜は肉料理を用意してくれた。
肉の脂と、独特なスパイスとが絡みあい素晴らしい味わいだ。
なのに、頭の片隅に遺体の匂いがちらついて、食べるたびに呼吸が浅くなる。
(何かできたのか?)
振り返っても答えは出ない。
出ないなら、今は飲み込むしかない。
このままでは悪い思い出ばかり残りそうなので、良い思い出を拾ってみる。
王都の建物の高さは壮観だった。教会の荘厳な作りと仕上げは素晴らしかった。
新しいダンジョンにも一応潜れた。
食事は毎回美味しかった。強いていえば食堂のような街の食堂も行ってみたかったな。
あとは、エミルが優秀で、手回しが良かった。気遣いのできる男だ。
……良いことも、確かにあった。
そう思うと、心がほんの少しだけ軽くなった気がした。
翌朝。出立の時が来た。
荷馬車は行きと同じく三台。帰りも荷物は満載だ。
エミルが、当たり前みたいに言う。
「商売人は、行きも帰りも積めるだけ積むものです」
「荷馬車って、そういうもんなのか……」
俺は思わず笑ってしまった。
ラツィオへ向かう街道に出て、馬車が走り始める。
ここから三日。長い旅だ。
護衛がいない分、俺とリナは意識して周囲を見る。
警戒だけで肩が凝る。
護衛って大変だな。来るか来ないか分からない敵を待ち構える。
なかなか神経を使う。
一日目の夕方、前に泊まったのと同じ宿場町に着いた。
馬車宿に入れて、皆で簡単な夕飯を取る。
「暇だね」
リナが言う。
「平和なのはいいことだ」
二日目も、結局何も起きなかった。
基本的には何も起きないものだ。
三日目の昼過ぎ、遠くにラツィオの街が見えた。
「……なんだか懐かしいな」
口に出してから、俺は自分で笑った。
王都ではそんなに過ごしたわけじゃない。なのに、色々ありすぎた。
そのままバルネス商会へ馬車を入れると、ロランが出迎えてくれた。
「お帰りなさい! ご無事で何よりです!」
「ただいま」
エミルが礼儀正しく頭を下げる。
「ロランさん。滞りなく戻りました」
ロランが俺とリナにも頭を下げる。
「護衛もありがとうございます。昼食でもどうですか? ちょうど今、用意できるので」
俺が答える前に、リナが即答した。
「食べる!」
ロランが笑う。
「ただいま用意しましょう」
商会の食堂に通されると、ミアもいた。
椅子から身を乗り出して、目を輝かせてる。
「ゆーと! りな! おかえり!」
「うん、ただいま」
「ただいまー!」
ミアがエミルを見上げる。
「おうとはどうだった? すごかった?」
エミルは一瞬だけ言葉を選んで、柔らかい笑顔を作った。
「すごかったですよ。建物も大きくて、料理も美味しくて」
暗い話題は、出さない。
ミアがいるからそれでいい。
「えへへ! いいなぁ!」
ミアの笑顔を見て、俺は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
昼食が終わって、荷を下ろし、俺たちは家へ戻ることにした。
「久しぶりの家だ」
「ただいま!」
(こいつ、元気だな……)
馬車の旅は座ってるだけなのに、案外疲れる。
俺は荷物を置くと、ベッドに転がった。
「……そういえば何か忘れてる気がする」
言った瞬間に、まぶたが重くなった。
そのまま、意識が沈む。
(久しぶり)
声がした。
草原。いつもの場所。
振り返るとアオイが立っていた。相変わらず、春の水面みたいに揺らめく髪。
(あっ)
胸がひやっとした。
ジトリとこちらを冷たい目が睨みつけてくる
(……おみやげ)
言いかけて、喉が詰まる。
(忘れた)
(これ、考えてることバレてるな……)
そう思った瞬間、アオイが冷たい声で追求してくる。
(買ってくるって言ったのに)
(ご、ごめん)
俺は両手を合わせる。
(色々あって……ごめんって)
(……でもいいよ)
アオイの声が少しだけ柔らかくなる。
(大変だったみたいだし)
(……うん)
(代わりに、これちょうだい)
アオイが手を開いた。
掌の上に、硬い塊がある。光の当たり方で、鈍く反射する。
(……記憶核)
見覚えがある形だ。王都のダンジョンで手に入れた記憶核。
(じゃあ……それ、あげるから許して)
(いいよ)
アオイが、にこっと笑った。
(許してあげる)
(……助かる)
(その代わり)
アオイが一歩近づいて、俺の手を取った。
(ずっと身につけててね)
(身につけるって……これ、そういう形じゃ)
言いかけたところで、世界が反転する。
「……っ」
目が覚めた。
自分の家の天井。隣の部屋の気配。いつもの匂い。
夢のはずなのに、手のひらにアオイの温度が残っている気がした。
「記憶核……」
俺は飛び起きて、荷物の中の小さな布袋を探した。
(ここに入れて……)
ない。
代わりに、見覚えのない指輪が入っていた。
銀色の地に、小さな石がはめ込まれている。石は、あの硬い塊みたいな色をしている。
「……うん? これ、記憶核……?」
俺は指輪を見つめて、喉を鳴らした。
(約束、か)
俺は指輪を指に通した。
何が起きてるのか、さっぱり分からない。
不思議なことばかりだ。
それでも、指輪は指に収まって、外れなかった。




