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7 日常

「おい、何をしている」


 背後から聞こえたその声に、背骨の奥がぞくりとした。

 セラの声だった。


 でも、俺の知っている、いつものあの声じゃない。

 冷たい。

 炉の火が一瞬で消えたみたいに、温度のない声だった。

(なんで、ここに……)

 振り向こうとしても、体が動かない。

 太ももが痛くて、息が苦しくて、手の感覚も無くなっている。


(逃 げ て くれ。守  ら な kゃ。立  つんだ。)

 もやのかかった頭の中でいろんな思いが回るが、体は反応しない。


 それでも力を込めようとした瞬間、逆に膝が笑って、地面に倒れ込んだ。

 

 警戒して一歩下がる山賊達の足音が聞こえた。

 

 もう一度、冷えた声が飛んだ。


「問うている。何をしている、と聞いたんだよ」

 


「セラ……」

 喉の奥がひりつく。

 それでも、掠れた声で、その名前だけは出せた。

 そこで、俺の意識はぷつりと途切れた。





 次に目を開けたとき、見上げていたのは見慣れた木の天井だった。

(……ベッド)

 固さときしみ具合で、自分の寝台だと分かる。

 窓の外から差し込む光は、もう真上からではなく、少し斜めになりかけていた。

 太陽の位置からして、昼過ぎくらいだろう。

 ゆっくりと上体を起こす。


 太ももに手を当てる。

 あの焼けるような痛みは、ない。

 布越しに触れてみても、傷の感触はなかった。

 腹も、腕も、どこにも切り傷も刺し傷もない。

 昨日、ブラムさんの木剣でできたあざさえ、きれいに消えていた。


(……回復魔法、か)

 セラがやったんだろう。

 剣術指導であそこまでボコボコにされる理由はこれである。

 治ると思って虐待レベルで攻撃してくるわけなのだ。


 高位の治癒魔術は、王宮魔術師クラスの魔法だと講義で聞いていた。

 それを、あっさり自宅で受けていると考えると、笑っていいのか分からない。

 でも、今はただ、動けることに感謝するしかなかった。


 部屋を出ると、廊下の向こうから、香ばしい匂いが漂ってきた。

 台所だ。

 足音を殺す余裕もなく、ふらふらと扉のところまで歩く。

 のぞき込むと、セラが鍋の前に立っていた。

 いつも通り、長い銀髪を後ろでまとめ、エプロン代わりの薄い布を腰に巻いている。

 鍋の中を木べらでかき混ぜている横顔は、もういつもの魔女の顔だった。


「……起きたか」

 鍋から目を離さないまま、そう言った。

「何があった」

 短い問いかけだった。


 けれど、頭にうまく入ってこない。

 言葉より先に、体が動いていた。


 気がつけば、俺は台所の中に踏み込んでいて、そのままセラに抱きついていた。

 自分でも、何をしているのか分からない。

 ただ、胸の奥からどうしようもないものがあふれてきて


 それを支えるものが欲しくて、目の前にいた彼女をぎゅっと掴んだ。

 セラの体が、ふっとこわばる。


 それから、ゆっくりと力が抜けていった。

 何も言わずに、片腕が俺の背中に回る。

 子どもをあやすみたいに、軽くさすられた。

 どれくらいそうしていたのか、よく覚えていない。

 涙が止まるまで、呼吸が落ち着くまで、時間の感覚が曖昧だった。


 ようやく少しだけ落ち着いて、俺は腕を離した。

「……ごめんなさい」

「謝る筋合いはないよ」

 セラは淡々と答える。

 その声には、さっき森で聞いた冷たさはもうなかった。

「話せるかい?」

「……うん。多分」

 深呼吸をひとつして、昨日のことを最初から順番に話していった。


 ブラムさんとの稽古。

 細身の剣をもらったこと。

 帰り道で休憩した広場。

 山賊に見つかったこと。

 逃げて、追いかけられて、転んで、足にナイフが刺さったこと。

 そして一人を、喉を切って殺してしまったこと。

 話しているうちに、どこか現実感が薄れていく。


 自分の身に起きたことを、他人の話みたいに説明しているような気分だった。

 全部話し終えた頃には、もう声がかすれていた。

 セラは、途中で口を挟まなかった。

 最後まで聞き終えてから、ほんの少しだけ目を細める。


「そうか」

 鍋から立ち上る湯気を一度見て、それから俺の方を見た。

「頑張ったな」

 ただ、それだけを言った。


 すごい、とか、偉い、とか、よくやった、とか、そういう言葉じゃない。

 でも、「頑張ったな」の一言が、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。


 うまく説明できないけれど、あのとき、自分なりに足を動かして、

剣を振ったことを、ちゃんと見てくれた気がした。


「……あいつらは、どうなったの?」

 自分でも、聞きたくないような、聞かなきゃいけないような、そんな気持ちで問う。

「森で見た連中かい?」

「うん。六人いて……そのうち、一人は俺が」

 そこまで言って、喉が詰まった。

 セラは、ごく自然な調子で続ける。


「あの場にいた六人は、全員片づけたよ。

 あんたの前にいた二人は、その場で殺した」

 淡々とした声音だった。

 人を殺した話をしているとは思えないくらい、日常会話の延長みたいな声。


「残り三人は少し先の広場に控えててね。

 一人は殺した。一人は半殺し。もう一人は、腕を一本もらっておいた」

「……なんで、全員殺さなかったの?」

 思わず聞き返していた。別に殺して欲しいと思っているわけではないが

 あまりにも簡単に殺すと言っていたので流れで聞いてしまった


 さっきブラムさんが言っていた、“近隣の山賊は殆どぶち殺してる”という言葉が、頭の中でぼんやりと重なる。

 セラは、ゆっくりと鍋の火を弱めながら答えた。


「全部殺すより、怖がって逃げ帰るやつを残した方が、よく喋るからね」

 その言い方があまりにもあっさりしていて、背筋がぞくりとした。


「この森に手を出すとこうなるって、ちゃんと広めてもらわないと困るだろ。

 死体は喋らないけど、腕を落とされた奴と、半殺しで逃げた奴は、よく喋る」

 さらりと、とんでもないことを言う。


「だから、生かしたんだ。

 危険だって情報を、わざわざ向こうの口で広めてもらうためさ」


「……怖くないの?」

 自分でも、何を聞いているのかよく分からないまま、口が勝手に動いた。

「何が?」

「人を、殺したり、傷つけたりするの。慣れてる、って感じだったから」

 セラは少しだけ考えるような顔をして、肩をすくめた。


「慣れてるよ。慣れてなきゃ、とっくにあたしの方が死んでる」

 それから、こちらを見て、少しだけ表情を和らげる。


「長く生きていれば怖いこものは減っていく。ただ近しい人がいなくなるのは慣れないね」

 こちらに視線があったかと思えば、少し遠くを見つめたその表情に

 胸の奥が、またきゅっと締め付けられた。


「逃げて、走って、斬って、生き残った。

 それは、ちゃんと偉いことだ。少なくとも、あたしにはね」

 セラはそう言うと、鍋の中身を木椀に分け始める。


「ほら、座りな。腹が減ってるだろ」

 言われてみれば、さっきから胃がきゅうきゅう鳴っていた。

 体は正直だ。

 椅子に座ると、目の前に、湯気の立つスープが置かれた。


 スプーンを握る手が、まだ少し震えていた。

 でも、一口飲むと、ようやく現実に戻ってきたような気がした。

 生きて、ここに帰ってきた。

 そう実感した瞬間、涙がまた少しだけ滲んだが、今度は何とかこぼさずに飲み込んだ。

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