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65 精霊化

血の匂いが濃い。


どろり、と流れていく感覚だけがまだ分かるのに


切られた瞬間に感じていた痛みはだんだんと遠ざかる。



(……あれ?)


心臓の音がうるさい。



視界がだんだんと狭まってきた。



世界が、認識できない。


死の間際に最後まで残るのは聴覚だったか。


遠くから、何か聞こえる。


声。鉄。爆ぜる音。誰かの叫び。


だが音が頭の中を流れていくだけでその意味は読み取れない。



誰かが触れているような感覚がある。


手のひら。

頬。

触れられている、みたいな……温度。


頭の中に声が響いた。


(誰がユウトをいじめたの)


声は、耳じゃない。脳の奥だ。

優しいのに、底が冷たい。


(ユルサナイ)


ぞわり、と空気が逆立った。



それと共に暗く何も見えなかった世界が反転した。


頭がぼんやりとしていてよく分からない。


自分自身の姿が見えている。


天井の付近から、自分を見下ろしている。



俺は床に転がっている。

血に濡れて、左腕がなくて、身体が裂けて動かない。


(……あれ、俺だ)


でも、もう一人。


俺が立っていた。


切られた腕は元に戻っている。

傷も、裂けたはずの場所も、何もないみたいに繋がっている。


それよりもまず外見が変容していた。


春の水面みたいに揺らめいて、その体は透き通っている。


輪郭が定まらない。

でも消えない。

光を受けると、淡くきらめく。

外見だけではない。内面はさらに異様だった。


感じたことのない量の魔力が、内包されている。

胃の底じゃない。胸じゃない。全身の器の形そのものが、魔力で満ちている。


溢れ出る異質な魔力にそこにいたものが動きを止めた。


カイもヴェルドも。

リナも。

リディアも。


魔獣でさえ、動きを止めている。


白冠グリフォンの羽も、宙で止まる。


嵐核ドレイクの帯電も、一瞬だけ沈む。


煤死神の黒い外套の輪郭も、揺れが遅くなる。


空間全体が魔力で満たされると、急激に気温が下がり、吐く息が白くなる。



(……俺、何だこれ)



旅の男が、目を見開いていた。


あの薄い笑いが消えている。

口がわずかに開いたまま、言葉が漏れた。


「……精霊化」



全員が、透き通った俺を見ている。


俺は、その場から動いてない。

足も、腕も、指も。


俺には見えた。


魔力が動いた。


魔力だけが、男の後ろへ流れるように伸びた。

細い川みたいに、するすると。


次の瞬間、遅れて。


俺自身が、立ち尽くす男の真後ろに立っていた。


(……今、移動した?)


自分でそう思う前に、手が動いた。


背中に、手が触れる。


触れた瞬間。


男の身体が、びくん、と跳ねた。


声にならない息が漏れて、痙攣して、膝から崩れ落ちる。

手から剣が落ち、石を叩く音がした。


(……止まった)




男が倒れた途端に、魔獣が我に返ったように暴れ出した。


白冠グリフォンが吠える。

嵐核ドレイクが空気を裂く。

煤死神の鎌が、白く縁取られる。


来る。


でも、透き通った俺はその場から動かない。


動かないまま、先ほどのように魔力だけが三体へ向けて流れた。

魔力が通った痕跡が凍りついている。


ドレイクへ。

グリフォンへ。

煤死神へ。


魔力が届いた瞬間。



ごき、と。

ぎし、と。

凍る音が、世界の芯まで響く。


嵐核ドレイクの鱗の隙間から、白い枝が噴き出す。

鱗がバラバラと音を立てて落ちた


白冠グリフォンの胸から、氷が花のように咲いて広がる。


煤死神は、黒い外套から溢れる煙の揺らぎが、氷の枝に絡め取られる。



三体とも、沈黙した。


音が静まると


三つの氷の樹木が出来上がった。




透き通った俺が、カイの方向に顔を向けた。


カイは、片足を地面につけて跪いていた。


息が荒い。肩が上下している。


顔を伏せてこちらを見る事はない。



そこで意識は途切れて、世界がぶつりと切れた。




草の匂い。


風の音。


草原の真ん中に、俺は寝転がっていた。


視界には空が広がっている。

その空を遮るようにアオイが俺の上に馬乗りになっていた。


髪が、春の水面みたいにゆらゆら揺れている。

透明じゃない。けど、光が揺れて見える。


俺は息を吸って、言った。


(ありがとう)


声じゃない。頭の中の言葉。


アオイは、にっこり笑った。


(君は何者なの?)


(わたしはアオイ)


答えはそれだけ。

いつも通り、余計な説明はない。


アオイが手を出してくる。


(あそぼう)


手を取った。


体にだるさはない。

傷もない。


(……さっきまで、死んでたのに)


アオイに引っ張られて、走る。


追いかけっこ。

草が足元で弾ける。風が頬を切る。


笑う、という感覚だけが残っていく。


一通り遊ぶと、アオイが立ち止まって言った。


(またね)


世界が、反転した。





次に目が覚めると、視界にはいつもの天井が広がっている。


見慣れた木目。

自分の家のベッド。



気配を感じて、横を見る。


リナが一緒に寝ていた。


布団を半分奪って、丸まっている。


(……心配かけたんだな)


喉が痛い。口の中が渇いている。



そっと左腕を見る。


切断されたはずの腕に、傷がない。

肌が、元のまま繋がっている。


胸元も。腹も。

裂けたはずの場所に――何もない。


「……精霊化」


言葉が勝手に出てくる。


口に出た自分の声が、やけに遠くで聞こえた。


(アオイ……いるのか)


返事はない。


でも、頬をそっと風が撫でたような気がした。


俺は、その感覚を逃がさないように目を閉じた。



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