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56 グレイリング


翌朝も、回廊前の詰め所でマルツェンと落ち合った。


石の壁にもたれて腕を組み、こちらを見る目がいつもより硬い。

眠いのか、機嫌が悪いのかと考える前に、本人が口を開いた。


「おう。行くか」


「おはようございます。……なんか、ピリついてます?」


俺が控えめに聞くと、マルツェンは鼻で息を吐いた。


「今朝、ギルドで昨日の男のことを聞いてきた」


「昨日の男?」


「軽装のやつだ。見覚えがねぇ顔だった」


リナが横から首を突っ込む。


「あー、いたね。にこにこしてた人」


「そうだ。話は歩きながらだ。入るぞ」



昨日と同じように、紅蓮回廊の上層へ入る。


「……いないな」


「いませんね」


マルツェンが短く言って、地図を確認しながら歩を進める。

しかし魔獣の気配は薄いまま。十数分歩いても、足音と自分の呼吸しか聞こえない。


そして、曲がり角の先で見覚えのある背中が見えた。


軽装の男。昨日もこの回廊で見かけた、あの旅人風の男。


男は、こちらを見つけると大げさに笑った。


「おや。君たち、今日も来たのか。熱心だな、ははは」


リナが手を振りかけるのを、俺は袖を引いて止めた。

空気が違う。マルツェンが一歩前に出る。


「……あんた、見かけない顔だな」


男は肩をすくめる。


「そうかい? ここは賑やかだからね。顔が混じるのも普通だろう」


「どこから来た」


問いが短い。余計な装飾もない。


男は笑みを崩さずに答えた。


「どこということでもないさ。旅をしててね。腕には自信がある。

 金がなくなったら冒険者稼業をして、気が向いたら次の街へ行くだけだ」


さらっと言う。

言葉だけなら筋は通っている。


けど、マルツェンは視線を逸らさない。


「その割に、この辺で素材をギルドに売ってる記録はないって聞いたんだよな」


男の笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。

でも、すぐに元の顔に戻した。


「ギルドだけが買取をしてるわけじゃないだろう?

 売り先はどこにでもあるさ」


マルツェンは頷く。


「それもそうだな。……だが、ちょっとだけ話を聞かせてくれないか?」


男は申し訳なさそうに手を上げた。


「申し訳ない。悪いが急いでてね」


その声は穏やかなのに、距離を作るのが上手い。


「……分かった。邪魔して悪かったな」


マルツェンが引くと、男は軽く会釈した。


「いや、こちらこそすまないね。今度、時間があるときにでも」

 じゃあまた。失礼するよ」


男は踵を返し、こちらを避けるように通り過ぎていった。

足音は静かで、やけに軽い。




男の背中が見えなくなってから、俺はようやく息を吐いた。


「……何かあったんですか?」


「念の為だ」


それだけ言って、マルツェンは歩き出す。

俺も追いかけながら、もう一度聞いた。


「今朝、ギルドで記録って……」


「買取の窓口だ。受付に聞いた。昨日の特徴のやつが素材を持ち込んだ形はないってな」


「……なるほど」


「覚えてるか、あいつの姿」


「はい。軽装でした」


「軽装どころじゃない。素材袋も、解体道具も見えなかった」


言われてみると確かに。

俺たちみたいに袋を揺らして歩くでもなく、血や泥の匂いも薄い。


「稼ぐなら素材を拾うのが手っ取り早い。……だが、あいつはそう見えなかった」


マルツェンは一度だけ立ち止まり、俺の目を見て言った。


「ならあいつは一体何をしているんだ?」


確かにそう言われてみると辻褄が合わない。

だが分からないから、心に引っかかる。



「とりあえず今は考えても仕方ない。行くぞ。今日は素材の勉強だろ」


マルツェンの言葉で、思考を切り替えた。

俺たちは下の階層へ向かう。



階段を降りる。

石畳が途切れ、空気が湿って、匂いが変わる。


煤っぽい、焦げたような匂い。


マルツェンが片手を上げて止めた。


「来るぞ。燻り蟲王だ」


「王……?」


「群れの親玉だ。煙を吐く。吸うな」


暗がりの先、岩陰が動いた。

巨大な虫。甲殻の隙間から、灰色の煙をふっと漏らしている。

周囲には小さめの個体が数匹、まとわりつくように這っていた。



マルツェンが短く指示を飛ばす。


「ユウト、壁際に誘導しろ。リナは脚を落とせ。潰すな、割るな。欲しいのは中の腺だ」


「腺?」


「腹の奥。潰すと価値が落ちる」


言いながらマルツェンは布を口元に当てた。

俺も真似して、呼吸を浅くする。


煙が広がる前に動く。

俺は障壁を一枚だけ、斜めに出して煙の流れをずらす。

完璧には防げないが、視界が少しマシになる。


「よし。リナ!」


「いっくよ!」


リナが踏み込む。脚の関節へ、迷いなく刃を入れる。

蟲王がよろけ、煙が濃くなる。俺はすぐに横へ回り込み、もう一枚障壁を出して突進を受け流す。


「硬っ……!」


リナが一瞬だけ顔をしかめる。

甲殻に弾かれる感触があったのだろう。それでも、狙いは外さない。


脚が一本落ちる。

蟲王が体勢を崩す。そこでマルツェンが踏み込んだ。


「今だ。首じゃねぇ、ここ」


甲殻の隙間の煙の出どころ。そこへ短剣を差し込み、最小限の動きで止めを刺す。

蟲王がびくりと震え、煙が止まった。


「……よし。剥ぐぞ」


マルツェンは手早い。

どこを切るか、どこを避けるか、全部が決まっている。


「この袋が高い。破るな。……ユウト、袋を受けろ」


「はい」


「リナ、触るな。爪で裂ける」


「触ってないよ!」


文句を言いながらも、リナは素直に手を引いた。


素材を袋へ入れ終えたところで、俺は息を吐く。


「……勉強になります」


「当たり前だ。素材は金だ」




少し進むと、今度は妙に綺麗な場所に出た。

岩だらけの通路の端に、ぽつんと木箱いや、箱に見える。


リナが指をさした。


「ねえ、あれ」


「……近づくな」


マルツェンが即座に止める。


「ミミックだ」


箱が、ぴくりと動いた。

蓋の隙間から、ねばつく舌みたいなものが伸びる。


「うわ、ほんとにいるんだ……!」


リナが目を輝かせるのを、俺は横目で見てツッコミたくなったが今は我慢。


ミミックが跳ねた。舌が鞭みたいにしなる。


俺は障壁を薄く出して、舌の初撃だけ受け流す。

粘り気が障壁に絡みつき、びりびりと削る感覚が走った。



「リナ、舌を切るな。価値が落ちる!」


マルツェンの声が飛ぶ。


「えぇー、じゃあどこ切るの!」


「脚だ、擬装の外皮だ! 脇から入れ!」


リナが言われた通り、箱の側面へ回り込む。

箱の継ぎ目に刃を入れ、ひしゃげた外皮ごと剥がすように斬る。


ミミックが体勢を崩した。

そこでマルツェンが短剣を突き立てる。


「核は奥。潰すなよ」


「……了解」


俺は障壁を畳みながら、近づくタイミングを見計らう。

短く踏み込み、動きを止めるだけの打撃を入れる。箱が沈黙した。


「剥ぐぞ」


「はい」


「舌腺、歯、擬装皮。特に皮は丁寧に」


マルツェンの手元を、俺は必死で目に焼き付けた。

こういうのを一人で覚えるのは無理だ。今日来てよかった。


ミミックの回収を終え、袋の口を締めたその時だった。





奥の方から、複数の足音。金属がぶつかる乾いた音。

それに混じって、短い合図が飛ぶ。


「避けろ!」


次の瞬間、地面が揺れた。

壁が小刻みに震え、ランタンの火がぶれる。


(何だ……?)


マルツェンが顔を上げ、俺とリナを見もしないで言った。


「おい。逃げる準備だけしておけ」


「え、何」


言い終える前に、空気が震えた。

腹の底に響くような低い轟音。洞窟全体が唸ってるみたいな音圧。


そして四人組が、こちらへ走り込んできた。


先頭は、でかい。

背丈も横幅もある男が大盾を構えたまま走っている。

盾の縁が欠け、土埃が付いている。


二番手は、細身の女。手には短いメイス。

走りながら視線だけで周囲を拾っている。冷たく、鋭い。


三番手は、眼鏡はないが、とにかく理屈っぽそうな顔をした男。

布と粉みたいなものを手にしていて、息を吸うたびに口元を押さえている。


最後に、弓を背負った男。

走りながらも時々立ち止まり、周囲の警戒をしている。


弓の男が、俺たちに気づいて一言。


「逃げるぞ、すぐに追い付かれる」


逃げると言う割には声が落ち着きすぎていて逆に怖い。


大盾の男が、マルツェンを見つけるなり吠えた。


「マルツェン! 嵐核ドレイクだ!」


「はぁ!?」


マルツェンさんから変な声が出た。


「おい逃げるぞ! 坊主、リナ! ついて来い!」


「うぇい!」


リナだけ返事が軽い。


階段へ突っ込む。

石段を駆け上がる最中、もう一度、あの轟音が来た。

地面が波打つように揺れて、足が浮いた。


弓の男が、すぐさま言う。


「揺れ、2回目。……次、雷撃が来ます」



マルツェンが怒鳴る。


「走れ! 転ぶな!」


上の階層へ滑り込むと、大盾の男が振り返り盾を立てたまま止まった。

隊列が自然に盾の周りへ寄る。


大盾の男の口から短い合図。


「一度様子見だ」



メイスの女は、視線を奥へ固定したまま言う。


「音、止まった。今は来てない」


大盾の男がようやく盾を下ろし、マルツェンを見た。


「……怪我人は?」


「こっちはいねぇ」


「よし」


それだけで十分らしい。次の言葉も短い。

「俺はガロ。グレイリングっていうパーティだ」


メイスの女が同じ熱量で名乗る。

「イリス」


理屈顔の男も続く。

「ミロ。……喋ってる場合じゃないけど、最低限は」


弓の男が最後に頷く。

「エルヴィンです。必要なら地図、合わせます」


俺は息を整えながら頭を下げた。


「ユウトです。こっちはリナ」


「リナ!」


リナが元気に手を挙げる。場違いなくらい元気だ。




マルツェンさんが、俺とリナに向けて低く言った。


「今のがBランクの灰輪隊だ。で、ガロ。さっき言ってたの、本当か」


ガロが頷く。


「本当だ。見た。遠いが、間違えようがない」


イリスが短く付け足す。


「鱗が硬い。あの階層にいるのは異常」


ミロが、慎重に言葉を選ぶみたいに続けた。


「出たのは事実。……それ以上は言えません。追ってくるかどうかは、いまは分からない」


エルヴィンが淡々と場所の情報だけ出す。


「こちらが見たのは下。5層付近。南側の回廊です」


「5層……」


俺が呟くと、マルツェンさんがすぐ言った。


「ユウト、聞け。嵐核ドレイクはAランク指定だ」


「A……」


ガロが、低い声で念を押す。


「Cランクパーティだったら、出会って生きて帰れれば儲けもんだ」


リナが、目を輝かせて小声で言う。


「気になるー」


イリスが冷たい目で見る。


「そうやってルーキーは死んでいくのよ」


リナは注意されてちょっとだけしゅんとしている。

すぐに忘れそうだが。




そこでマルツェンさんが、今度は別の話を切り出した。


「……朝からこの回廊にいる見慣れない軽装の男、見たか?」


エルヴィンが即答した。早い。

「見ました。八層で。こちらが戦闘に入る前、すれ違いました」


ガロが短く言う。

「ソロであの階層にいたからな。いやでも目立つ」



ガロが盾を持ち直し、短く言う。


「ここから先は様子を見る。お前らは無理すんな」


「そうだな、戻ってギルドに報告でもしておこう」

マルツェンはそう言い、グレイリングと別れることにした。

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