54 依頼
ギルドのロビーで、依頼板の前に立ったまま腕を組む。
紅蓮回廊での初依頼の焔舌トカゲ一匹は何とかなった。
だが、その後がひどい。
「ムカデ……名前も分からんし、どこ取れば高いのかも分からんし……」
頭の中で、銀貨二枚という査定が何度も反芻される。
あの手間で銀貨二枚。
(……困ったなぁ)
そう思って、無意識に視線が泳いだ。
すると目の端に、見覚えのある背中が引っかかる。
マルツェン。
あの三日間の地獄を一緒に潜った、Cランクの男。
「しばらく手が空く」と言っていたのを、思い出す。
(マルツェン……暇かなぁ。いや、流石にまた頼るのは悪いよな……)
そんな風に逡巡していたら。
「おい」
低い声が、すぐ後ろから飛んできた。
「変な顔して、何考えてる」
……視線でバレていたらしい。
振り向くと、マルツェンが腕を組んで立っている。目が笑っていない。
「マルツェンさん……久しぶりです」
「久しぶりでもねぇだろ。ついこの前、洞穴で一緒に落ちただろうが」
わざとらしく言って、鼻で笑う。
口は悪いが、こういうところは分かりやすい。
「リナも元気そうだな」
「うん!」
言い出すなら今だ。
「その……マルツェンさん。まだ、手は空いてますか?」
マルツェンは眉だけ動かした。
「空いてる。……が、嫌な予感がするな」
「ははっ」
俺のわざとらしい乾いた笑いが響く。
「素材のことが、分からないことばかりで……」
「お前ら、紅蓮回廊に潜ったんだろ。で、何だ」
「はい。依頼は達成しました。でも……素材の回収が全然できてないです。
受付にも聞いたんですけど、今は教える人がいないって言われました。教本も貸し出しはなしで……」
「そうか」
マルツェンは短く頷いた。それ以上は言わない。
俺は息を吸って、思い切って切り込む。
「もし良ければ、一緒にダンジョンに入って現場で教えてもらえませんか」
マルツェンが、じっと俺を見る。
「金は?」
「払います」
即答する。
「それと、素材を売った金額は三等分でどうでしょう。俺とリナと、マルツェンさんで」
リナが「え、三等分!?」と口を挟みかけたので、肘で軽く制した。
「……依頼は受託するのか?」
マルツェンが、低い声で聞いてくる。
「依頼を受託すると、夜間にかかる可能性があるって理由で止められます。俺たち、未成年枠なので」
「……ああ」
マルツェンはそれは知っているように頷いた。
「なので、依頼なしで長めに潜って、素材のことを教わりたいと思ってます。昨日、上層にほとんど魔獣がいなくて……探し回って時間を食いました」
「タイミングによっては狩られ尽くしてるからなぁ」
「はい」
マルツェンは顎に手をやり、少しだけ目を細めた。
すぐに答えは返ってこない。
リナがソワソワし始める。
俺も、喉が渇く。
やっぱり、都合が良すぎる頼みだ。
断られても仕方ない。
そんな空気の中で、マルツェンが口を開いた。
「……いいだろ」
「えっ」
思わず声が漏れた。
「俺が付けば、素材の回収は教えられる」
「……本当ですか?」
「ああ。ただし条件がある」
マルツェンは指を一本立てた。
「潜るなら入場の記録は必ず書け。依頼がなくてもだ。俺はいつもそうしてる」
「分かりました」
「金は……金貨一枚。素材は三等分。これでいい」
「金貨一枚でいいんですか?」
「いい。その代わり、お前らに後輩が出来たらそいつらに借りを返してやってくれ」
「ありがとうございます。……本当に助かります」
「明日だ。準備しとけ」
「はい。明日の朝、入り口で待ち合わせでいいですか?」
「入口の詰所前だ。俺は日の出から動く」
「……早いですね」
「こういうのは早い方がいい」
横でリナが、ぱっと顔を明るくした。
「やった! ねえねえ、明日って戦える? いっぱい戦える?」
「さぁな、だが残念ながらこの間よりは少ないぞ」
マルツェンがピシャリと言う。
「じゃあ、また明日。よろしくお願いします」
家に戻ると、晩飯の支度を始めた。
今日は鶏肉と野菜の煮物。鍋に水を張り、根菜を先に入れて、火を入れる。
「なにそれ、いい匂い!」
リナが台所に顔を出して、鍋を覗き込む。
「今日は鶏の煮物だ」
鶏を入れて、弱火で煮込む。
野菜の出汁がじわっと立ち上がって、そこに鶏の脂が主張してくる。
火加減もちょうどいい。肉が固くならない。
「……うん。いい感じかな」
「早く!」
「待て。味が染みるまでもう少し」
パンも切って、皿に並べる。
二人で向かい合って食べ始めると、リナが頬を緩めた。
「ぷりぷり……うま……」
食べながら、明日の話をした。
「明日の目標は高い素材を教わること。効率のいい回収方法を教わることだ」
リナは
「じゃあ明日はムカデのどこが高いかが分かるってこと?」と、目を輝かせた。
「そうだな。せっかくなら稼ぎたいからな」
食後、魔力注入の訓練をしようと思って、引き出しを開けた。
……空の魔石が、ない。
「……あ」
そういえば、最後の一個を昨日使ったんだった。
どこかからもらいたいな。
すぐに外套を羽織って、魔道具屋に走る。
店主に声をかけると、返ってきたのは短い返事だった。
「そんなものないな。何に使うんだ?」
「実験に使いたいので、もしあれば取っておいてください、買います」
「ふむ、まぁいいだろう」
今日は休むことにしよう。そう決めて、早めに寝ることにした。
ベッドに潜り込んで目を閉じる。
次に目を開けた時。
草原の真ん中に、立っていた。
地平線がぐるりと広がっていて、風が頬を撫でる。
遠くには何もない。
(……え?)
魔力注入はしていない。
空の魔石も使っていない。
それでも、ここにいる。
(……関係なかったのか?)
声は出ない。
でも、頭の中に自分の問いが響く。
原因が分からない。
ただ一つ確かなのは
目の前に、少女がいることだった。




