46 光
交代で見張りを回し、ようやく俺にも休憩が回ってきた。
壁際の乾いた場所を探して腰を下ろし、背中を岩に預ける。
ランタンの光が届かない端の方は真っ暗で、そこに闇が溜まっているように見えた。
「おはよー」
リナを起こすといつもより小さい声でそう言う。
交代で眠らせてもらう。
休まないと、判断が鈍る。
そう思って目を閉じた瞬間。
「……っ」
肌の裏側が、ぞわりと粟立った。
気配。足音。乾いた石が擦れる音。近い。
俺は反射で目を開け、体を起こした。
だが頭が妙にスッキリしている。どのくらいか分からないが寝ていたらしい。
そして、状況が見えた。
ランタンの光で影が動いている。白の梟団がすでに戦闘に入っていた。
小柄で、手足が細く、背の曲がった人型。耳が尖っている。
肌は土みたいに汚れ、目だけがぎらついている。
ゴブリン……に近い。
この世界では魔物と呼ばれるタイプだ。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶ。
短い甲高い叫び声が、いくつも反響して耳を刺した。
一体一体は大したことがない。武器も粗末だ。
だが、集団になると話は別。視界の端で誰かが転べば、それだけで終わりが生まれる。
俺は剣を抜きながら立ち上がった。
「ユウト、起きたか!」
「起きた。……数はそこそこいる」
リナはすでに前へ出ている。
相変わらず速い。速すぎる。暗闇でも迷いがない。
だが、今は彼女に合わせて動いている余裕はない。
俺は逆側へ回り、白梟の後衛に回り込もうとしていた二体を切り裂いた。
刃が骨に当たる嫌な感触。
「ギャッ――!」
一体が転んだ拍子に、別の一体と絡んで崩れる。そこへ追撃。
背後を取られない位置取りを徹底しながら、間合いに入った瞬間だけ身体強化を薄くかける。
白梟側も安定していた。フィオナが盾で押し返し、セドリックが短い動きで確実に数を減らしている。
後衛の弓が、影に吸い込まれるように矢を通していく。
半数まで削ったあたりで、流れが変わった。
魔物たちが、急に引いていった。
俺たちは誰も追わず、呼吸を整えた。
「……よし。怪我は?」
「かすりだけだ」
「こっちも平気」
リナは汗をぬぐいながら笑う。
「このまま進みましょう。今のは、追い払いに近い。ここに留まると、また寄ってくる」
セドリックもほとんど休んでいないはずだが、提案をする。
「同意だ。……休憩は歩きながら取る」
誰も反対しなかった。
俺たちは再び歩き出した。
通路は、少しずつ上向きに傾斜している。
一歩一歩、足の裏に伝わる角度が変わっていくのが分かる。
出口へとつながると信じて進む。
同じことを考えていたのかセドリックが呟いた。
「どこかに繋がっていれば、いずれ……崩落地点の上か、別のルートに出られるはずだ」
希望的観測だ。だが、希望がないと歩けない。
進むにつれて、確かに敵のランクは下がってきている。
まだガーゴイルも出るし、天井にはチェインテイルの影も見える。
代わりに増えたのは、行き止まりだった。
「こっちも袋小路……!」
「戻る。無駄に走るな、足元見ろ」
何度も何度も分岐を行き来する。
俺は壁に小さな刻みを入れて、戻る方向が分かるようにした。
そしてぐるりと回った末に、俺たちは見覚えのある広場に戻ってきた。
「……ここ」
ランタンの光が照らしたのは、割れた外骨格の残骸。
共鳴殻の欠片。
あの轟穿カニを最初に倒した場所だ。
「戻ってきたってことは……」
セドリックが言いかけて、飲み込んだ。
口にすると折れそうな言葉だ。
それでも、悪いことばかりじゃない。
ここは広い。視界が効く。天井も高い。
背後から襲われにくい。休むなら、ここだ。
「ここで二日目の野営にしよう」
マルツェンが決めた。
その声には、痛みと疲労の中でも消えない経験があった。
昨日より少し長めに休む。
交代の見張りを増やし、ランタンの位置を変え、死角を減らす。
……そういえば。
俺がセドリックと少し打ち解けたみたいに、リナも白梟のメンバーといつの間にか話すようになっていた。
さっきなんて、フィオナに肩を叩かれて笑っていた。
「早く美味しいもの食べたいなー」
リナがぶつくさ言う。
「ここで言うなよ。腹が鳴る」
……鳴った。
腹が、情けなく鳴った。
白梟の誰かが小さく笑い、空気が少しだけ軽くなった。
不思議だ。たったそれだけで、胸の奥に張り付いていた冷たいものが少し剥がれる。
三日目
寝たのか寝てないのか分からないまま、また歩き出す。
それでも昨日よりは体が動く。
休むって、ちゃんと意味があるんだな。
ガーゴイル、チェインテイル、時々リザードマン。
遭遇はするが、白の梟団には慣れた敵だ。
連携が噛み合う。判断が早い。無理をしない。
それでも油断は禁物。
洞窟は広かったり狭かったりするし、空気の流れも一定じゃない。
火を使うのは基本的に危険だが、全員まともに食えていないのも事実だった。
「……ここならいける」
セドリックが、広めの空洞を見て言った。
天井が高く、奥へ抜ける裂け目がある。空気が動いている。煙が溜まりにくい。
「あとは獲物だ」
広場から通路へと出て探索していると、アーマードリザードが出た。
マルツェン曰く、食料として使えるらしい。
皮膚が硬く、顎の力がえげつない。だが、もう何度も倒している
行動パターンも読めてきた。何より今の俺たちにとってはありがたい獲物でもある。
倒したあと、手早く皮を剥ぎ、肉を切り分ける。
血と脂の匂いが鼻に刺さる。
それでも、空腹が勝った。
火は小さく。
石を積んで囲い、煙の逃げ道を確保する。
焼ける音がした瞬間、全員の目が変わった。
「……塩ならある」
セドリックが小袋を取り出した。
白い粒が、こんなにも神々しく見えたのは初めてだ。
「格好良い……!」
リナが妙に尊敬の眼差しを向けている。
よく焼いて、塩を振って食べる。
……うまい。
鶏ももと白身魚の中間みたいな、あっさりした身。
ほろほろと崩れて、脂がじわっと広がる。
塩がそれを引き締めて、舌が幸せで痺れた。
久しぶりに、食べる温かい肉。
疲れた体に染み渡る、今まで食べたものの中で一番美味しいかもしれない。
食べると、力が湧く。
それは本当だった。歩みが強くなる。声が出る。目が戻る。
俺は心の中でメモする。
次からは塩と胡椒と乾燥ハーブが欲しい。
それから数時間。
また分岐をいくつか越えた先で、見覚えのある地点に辿り着いた。
「……ここだ」
白の梟団と合流した、あのあたり。
崩落の上に近い場所だ。
そこで、音が聞こえた。
ピィ――、という音。
短く、明確で、人工的な音。ダンジョンの反響を割って届く。
一瞬、全員が固まる。
次に、マルツェンが喉の奥から叫んだ。
「ここだッ!!」
声が洞窟に反響して、何度も何度も返ってくる。
すぐに、上からまた笛の音が返ってきた。合図だ。
「生きてるぞー!!」
誰かが叫び、俺も叫んだ。
声が枯れているのが分かった。それでも叫ぶ。
しばらくして、崩落現場の上の方から、ロープが投げ込まれた。
闇の中を蛇みたいに落ちてきて、地面に弾む。
「……っ、よし!」
まずは負傷者。
マルツェンは歯を食いしばりながら、吊り上げられていった。
骨折に響くたびに顔が歪む。だが声は出さない。出せない。
次に白梟の後衛。
次にフィオナ。
次にセドリック。
最後に残ったのは、俺とリナだった。
「先、行け」
「えー? ユウト先でしょ」
「俺は最後。様子見る」
「変なところで真面目だなぁ」
文句を言いながらも、リナはロープを掴んで上へ上がっていった。
その背中が闇に吸い込まれ、光の輪の外へ消える。
俺はランタンの周囲を一周見回し、忘れ物がないか確認する。
敵影なし。異音なし。
……よし。
「次、俺だ!」
ロープを掴んで、体を引き上げる。
手が痛い。指が攣りそうだ。
それでも、上から引く力がある。救援が、確かにいる。
ようやく上に辿り着くとそこに、見慣れた顔があった。
「……グレイブさん」
監査官のグレイブが、腕を組んで立っていた。
険しい顔のまま、俺を見る。
「大変だったな」
その一言が、妙に刺さった。
「……すみません。ご迷惑を」
「想定外の事故だ。よく生きて戻った。」
その瞬間、白の梟団の女性陣のフィオナが堰を切ったように泣き出した。
セドリックも肩を落とし、しばらく空を見上げたまま動かなかった。
外へ出ると、光が眩しかった。
空気が、冷たくて、甘かった。草の匂いがする。
地上だ。
馬車が何台も用意されていて、治療役らしい人間もいる。
中にはマルツェンが先に入っていて診てもらっていた。
「帰るぞ」
グレイブが言う。
その声を聞いた瞬間、緊張がふっと解けた。
馬車の揺れが心地よい。
目を閉じたら最後、意識がすとんと落ちていく。
眠りながら、ラツィオの街へ戻ることになった。




