44 轟穿カニ
リナは白の梟団の方へ走った。
「そっちは任せた!」
振り返りざまにそう叫ぶリナの声は、いつも通りの元気さだ。
だから余計に腹が立つ。こっちは命がけなんだぞ。
俺は、粉塵の向こうから姿を現したそれに視線を固定した。
轟穿カニ。
外骨格は金属みたいに鈍く光り、脚が床を削るたびに嫌な震えが腹の底にくる。
鎚腕がぶら下がっているだけで、周囲の空気がずっと揺れている感じがする。
「こいつも、Bランク相当……」
マルツェンの言葉が脳裏をよぎる。
Bランクの冒険者が。全力で戦って、ようやく倒せるだけじゃ意味がない。
ダンジョンじゃ、戦闘は続く。
一体倒して終わりなんて、ことはない。
Bランクの冒険者たちは危なげなく倒しているはずだ。
だから当然のように倒せる域に、いつかは届かないといけない。
……いまは、届いてないけど。
前回の戦闘で弱点も見えている
「関節を潰す」
俺は剣を握り直す。
ブラムさんからもらった愛剣は、さっきのカニに壊された。
それにこいつらがボコボコ穴を掘るせいで、ここまで苦労させられてるんだ。
十分に仕返しをさせてもらうぞ。
身体操作で地面を蹴る。距離を詰める。
狙いは脚の付け根、外骨格の継ぎ目。そこだけは薄いはずだ。
だが、轟穿カニは大柄のくせに、やたら機敏だった。
間合いに入った瞬間、カニ爪が守りではなく武器破壊の角度で突き出される。
共鳴の振動が空気を震わせる
「っ……!」
爪が剣へ滑り込む。挟まれたら終わりだ。
俺は即座に角度を変えて逃がす。
武器破壊が厄介だ。
さらに厄介なのは、メインの爪だけじゃないことだ。
脚、少なくとも四本が、槍みたいな先端で同時に突いてくる。前から、横から、足元から。
「ちっ……!」
一歩、二歩と下がる。避ける。
避けた先に、脚が来る。脚を避けた先に、爪が来る。
攻撃してる暇がない。攻撃しても
ガキィ。
刃が弾かれる。硬い。
外骨格は金属並み。薄いところを狙わない限り、まともに通らない。
マルツェンも手持ちのナイフで牽制して、意識を散らしてくれている。
「……薄いところ、薄いところ……」
目で追うだけじゃ追い切れない。
脚が多すぎる。動きが速すぎる。
さっき前線で戦ってたりなの凄さを実際に体験してから感じる。
腹部が弱点なのは分かっている。でも潜り込んで、仕留め損ねたらそのまま潰される。
どうする。
ブラムさんならどうする?
……たぶん真正面から爪をバキバキにへし折る。本当にやってしまいそうだ。
セラなら?
……硬い外骨格を、豆腐に包丁が入るみたいにスッと切り裂きそうだ。こちらもまた想像できてしまう。
俺にはどっちも無理だ。
なら、できることをやる。
「魔術で、意識を奪う」
だから氷。水。小さく、確実に。
俺は複数の魔法陣を同時に組む。
薄い氷の刃みたいな形を、四方八方に。
放つ。
ドガガガガッ!
氷刃が目元、口器の周り、脚の付け根、爪の内側へと降り注ぐ。
ほとんどは弾かれて砕ける。外骨格に当たるたびに、氷が粉々になって散り、白い霜がまとわりつく。
だが、狙いはダメージを通すことじゃない。
鬱陶しさで、意識を割かせる。
脚の動きを一瞬でも鈍らせる。
轟穿カニは苛立ったように鎚腕を持ち上げた。
やばい。
共鳴鎚が振り下ろされる。慌てて間合いの外まで下がるが
構わず床に叩きつける。
「……っ!」
ズンッ!
鈍い衝撃。音じゃない、振動が体を殴ってくる。
障壁は一撃で砕け散った。砕けた破片みたいな光が弾け、視界が白くなる。
足元が揺れる。歯が鳴る。
心臓の鼓動までズレる気がした。
俺は転がるように距離を取る。
その瞬間、さっき立っていた場所に爪が突き刺さり、石を砕いた。
「っ、危な……!」
息を吐く暇もない。
氷刃を追加しながら、脚の動きだけを見る。
速い脚、遅い脚、踏み込みの癖。重心がどこに乗るか。
カニが氷刃に気を取られたほんの一瞬。
俺はそこへ滑り込むように踏み込んだ。
狙いは脚の付け根、外骨格の継ぎ目の膜。
ここだ。
「っ!」
剣を振り抜く。
弾かれる音じゃない。
スッと刃が通る感触があった。肉を切る感触じゃない、薄い硬質膜を裂く感触。
ブシュッ、と透明な体液が飛び、脚が一本、がくりと落ちた。
「よし!」
轟穿カニが暴れる。
暴れるところを外さないように追加で氷の刃を打ち込んでいく。
砕けて細かくなった氷が、カニの全身にまとわりついている。
次第に動きに変化があった。目に見えて動きが鈍くなってきた。
脚の数が多いせいで、一本落ちた程度じゃ止まらないが、動きは確実に変わる。
バランスが崩れ、攻撃が単調になる。追撃の癖が露骨になる。
同じ要領で、2本目。
3本目は、危なかった。
剣を振り抜いた瞬間を狙われて、爪がこちらの剣を挟みに来た。
捕まえられたら、折られる。
剣を引くことも間に合わず、咄嗟に剣を誰もいない方向に投げると、
カニの爪が空中でガチンと音を鳴らした。
「……今の、あぶな……」
汗が背中を伝う。
呼吸が荒い。魔力も削れている。
マルツェンが剣を拾ってくれて、それを受け取る。
残るは攻撃の元となる爪。
俺は氷刃を鬱陶しいほどに撃ち続けた。
カニが嫌がる。脚の動きがさらに鈍る。霜が関節に溜まり、可動域が減っていく。
そしてまた、隙ができた。
爪の付け根。薄い膜。
剣を叩き込む。
ザンッ!
爪が落ちた。
遅れて、金属を落としたみたいな重い音が床に響く。
動きが鈍くなっている。バランスを崩して動きづらそうだ。
最後は弱点の腹部を狙う。
攻撃が当たらぬように立ち回りながら接近する
追い払おうとするがその動きも鈍い。
剣を柔らかいところに突き刺すと
俺は魔術を行使する
「ウォーター」
高圧の水を内部に打ち込み、内部で弾ける。
ブシュッ、と濁った体液が吹き、轟穿カニが痙攣した。
「終わりだ!」
俺は体勢を崩さないよう、慎重に刃を押し込む。
焦って踏み込めば、最後の悪あがきで潰される。
確実に。確実に。
しばらくして、巨体の動きが止まった。
共鳴の震えも、ゆっくりと消えていく。
「……倒した……!」
膝が笑う。
腕が重い。
魔力を使いすぎて、視界の端が薄暗い。
それでも、倒せた。
振り返ると、白の梟団とリナのほうも、どうにか熔骨オーガを討伐できたらしい。
リナがこちらを見て、口の端だけで笑う。
(おつかれ)
と言いたげな顔だ。腹立つ。
俺たちは手早く魔石と素材を回収する。
轟穿カニの核らしきものは、鎚腕の根元近くにあった。鈍く光る塊。
……どれくらいの価値だろうか。まぁ今は生きて帰るのが先だ。
誰もがこの連戦に口数が少ない。その場を離れると、出口を目指して歩き出す。
それから何時間経ったのか、正直わからない。
喉は乾き、足は重い。
それでも止まれない。
別の魔獣を何度も撃退した。
数えるのも面倒になるくらいだ。
白の梟団のメンバーが大怪我をする場面もあった。
回復役も兼ねているフィオナが魔力欠乏になるほど回復魔法を使い切り、マナポーションも底をついた。
「……まだ、来るのかよ」
誰かが漏らした声は、愚痴というより祈りに近かった。
深夜帯。洞窟に昼も夜もないはずなのに、夜行性の魔獣が活性化する時間があるという。
俺たちの方が先に限界になる。
白の梟団は、ランク以上の敵との連戦が続き、精神的に削れている。
誰も「死ぬ」とは言わない。言えば本当にそうなる気がするからだ。
でも表情が、それを物語っていた。気力だけで立っている顔だ。
リナと俺はまだ余力がある。
ブラムさんの地獄の行軍訓練のせいで、「もう無理」の基準が壊れている。
……ありがたいのか、迷惑なのか分からない。
ただ疲労は隠せない。
誰かが足元の小石につまずきそうになる。気力だけで動いている。
この状態が一番危険だ。
マルツェンが低い声で言った。
「……休憩を取ろう。交代で寝るぞ。無理に進めば、全員まとめて死ぬ」
異論は出なかった。
出せる余裕が、もう誰にもない。
俺たちは壁際の比較的安全な窪みに身を寄せ、ランタンを床に置いた。
見張りの順番を決める。
寝る者は短く、深く。起きる者は必死に目を開け続ける。
暗闇の奥で、どこかの魔獣が鳴いた。
反響して、距離が掴めない。
俺は剣を抱えたまま、唾を飲み込んだ。




