41 白の梟
静かに息を潜めていると遠く、闇の向こうから近づいてくる気配がした。
足音だけじゃない。低い唸り、爪が岩を引っ掻く音、湿った呼吸。
ランタンの光が届かないのに、肌がぞわりと反応する。
「……多いな」
俺が呟くと
リナが面倒くさそうに言う
「さっきからしつこいよねぇ」
確かにさっきから、シャドウファングの気配がずっと薄くまとわりついている。
こちらの精神を削ってくる。
「とりあえず食べろ。動く前に、腹に入れとけ」
マルツェンが、いつもの低い声で言った。
痛みで余裕が削れているのが分かる。
俺たちは壁際のくぼみに身を寄せ、携行食を取り出した。
干し肉、硬いパン、塩漬けの豆。水筒の中身も確認する。
日帰り感覚で入って、いまここだ。笑えない。
食べながら、マルツェンがぽつりと言った。
「……何かあったら、置いていけよ」
言い方が、あまりにも弱い。
怪我の影響や、先日の仲間の事故もあってか声に力が無い。
俺が言葉を探していると、リナが口を開いた。
「やだよ。この程度で誰かが死ぬわけないじゃん」
「お前……そういう言い方しかできねぇのか」
「ユウトはさっきのカニがお父さんより強いと思うの?」
「なんか一撃ですりつぶしそうだよな」
マルツェンが思わず鼻で笑った。
その瞬間、少しだけ空気が緩む。
「……悪かった、弱気になってた」
たったそれだけ。
けれど、その一言に、今のマルツェンの限界が見えた気がした。
俺は話題を変えるように聞いた。
「マルツェンさんって、魔獣の知識すごいですよね。さっきから、名前も特徴も全部出てくる」
「……仕事だからな」
そっけない返事。だが、少し間を置いて続けた。
「昔は、III級にも支援で入ってた。後衛でサポートをしながらいろんな魔獣と倒し方を学んだ。
他にも後ろで地図を引いて、撤退路を作って、素材や食料を運ぶ……そういう役だ」
「へぇ……」
「II級とIII級は別物だぞ。魔獣の質も、罠も、空気も」
その言葉の重さに、俺は口を閉じた。
マルツェンは、痛む腕をかばうように胸元へ寄せ、ぽつぽつと話し始めた。
「二年前に独立して、仲間とチームを作った。……調子に乗ってたんだろうな。
俺なら面倒見られるって、勝手に思ってた」
そして、仲間を死なせた。
言葉にしないのに、そこまで伝わる。
あのとき、酒場で怒鳴ってた気持ちが、少し分かった気がする。
「……あいつの分も、生きなきゃな」
最後は、誰に言うでもなく。自分に言い聞かせるみたいに。
休息の間にも、遠くの気配は蠢いている。
短い休憩だったが、体力と気力が少し回復した。
「よし。行くぞ」
マルツェンの声が、少しだけ強くなった。
歩き始めてから、どれだけ戦ったか。
魔獣の撃退数は、もう20を超えていると思う。
影牙狼、アーマードリザード、チェインテイル、レゾナントガーゴイル……。
一匹一匹は対処できる。けれど、問題は頻度だ。
足元、壁、天井、暗闇。
気を抜く余裕が、ひとかけらもない。
「流石に疲れてきたな」
俺が呟くと、マルツェンが信じられないものを見る目をした。
「今さらかよ……。いや、お前らが異常なんだ。
普通はここまで動けねぇ。ここまで戦えば、腕も脚も言うこと聞かなくなる」
「慣れてるというか、リナの父親のブラムさんには三日徹夜で森の中歩かされたし……」
「なんだそれ。修行ってレベルじゃねぇぞ」
「でしょ」
自分で言っておいて、胃が痛くなる。
あの地獄が役に立つ日が来るとは思わなかった。
それでもリュックの中身は溜まっていく。
魔石、爪、牙、殻片。換金できる素材。
こんな状況なのに、ホクホクしてしまう自分がいる。
どれくらい歩いたのか。数時間? もっと?
時間感覚が壊れていく。
食料は2〜3日分ある。水も節約している。
理屈では問題ない。理屈では。
さらに一時間ほど進んだところで、進行方向から慌ただしい音が聞こえた。
今までの魔獣の足音と違う。金属がぶつかる音、短い怒声、誰かの呼吸。
「……人間?」
俺が言いかけた瞬間、マルツェンが鋭く言った。
「待て。狼の位置」
そうだ。シャドウファングが前後を挟む位置取りをしていた。
俺たちの前にもシャドウファングはいる。
このまま進めば、あの人間と接触する。しかも今行けば、こっちは挟み撃ちだ。
俺はリナを見て叫んだ。
「リナ!シャドウファング先に散らせ!」
「了解っ!」
ピンときたらしい。リナは迷いなく走り出す。速い。暗闇の中に溶けるみたいに消えた。
俺もギアを上げて突っ込む。
足元の砂利が跳ねる。
数十秒、いや、もっと短いかもしれない。
遠くで短い断末魔が二つ。リナが討伐した音だ。
その直後、視界の先が開け、戦闘の光景が飛び込んできた。
ガーゴイルが1体、リザードマンが2体。
相手をしているのは4人組。陣形が綺麗だ。慣れている。
「横入りするぞ!」
俺は水の魔法陣を組み、足元を濡らしてリザードマンの踏み込みを滑らせる。
リナがその隙に関節へ一撃。
白い梟団の前衛がガーゴイルを受け止め、後衛の弓がもう1体の目を射抜く。
魔術師が詠唱すると氷を撒き、動きを鈍らせる。
連携が噛み合うと、戦闘は一気に終わった。
最後のリザードマンが倒れ、場に静寂が戻る。
息が白い。湿った空気なのに、喉が乾く。
4人組のリーダー格らしい男がこちらを見た。
「助かった。……君たちは?」
「はらぺこ軍団です」
言った瞬間、場が一瞬止まった。
「……え?」
「……あ、今のは忘れてください」
リナが我慢できず笑っている。やめろ。
マルツェンがため息をついて言った。
「すまねぇ。こいつら、まだ登録したてだ」
白の梟団の前衛の盾を持った女性が、呆れたように笑った。
「登録したてでこの動き? 冗談でしょ」
その女性が副リーダーらしい。
あとで名前を聞くと、タンク役のフィオナ。
リーダーは剣士のセドリック。
後衛は弓使いのカイと、魔術師のミレイユ。
パーティ名は白の梟団。
「ギルドの依頼で、ダンジョン調査に来てた」
セドリックが言う。
「最近、崩落と枝道の増加が多い。掘削者が増えてる可能性が高い。
……で、俺たちも崩落に巻き込まれて、想定外の位置に落とされた」
「それなら轟穿カニが原因だ、こいつらがさっき討伐した」
とマルツェンが伝える
「そんな馬鹿な、Bランク指定だぞ」
とセドリック
「俺も信じられないが、事実だ。さっきの動きを見ただろ」
「確かに、並の動きではなかったが」
マルツェンと話し込んでいる
「この状況を報告したら、しばらく立ち入り禁止になるだろうね」
フィオナが言った。
……立ち入り禁止。
想定外のことが発生している。
気を引き締める。
こうして合流し、合計七人で移動を開始した。
違和感に気づいたのは、リナだった。
「……ねぇ」
歩きながら、リナが足を止める。耳が僅かに動く。
「音、しない?」
「音?」
俺が聞き返した瞬間、確かに聞こえた。
遠く、地面の奥から響いてくる低い唸り。
ドゥゥン……ドゥゥン……。
鼓動みたいな、けれど金属に近い響き。
マルツェンが顔をしかめる。
「……その音は」
フィオナも息を呑んだ。
「まさか」
俺の背筋が冷えた。
「轟穿カニ……!」
言葉にした瞬間、足元がふわっと軽くなった。
嫌な予感が現実になる。
岩の隙間から砂が流れ、床が裂ける。
崩落だ。しかも今度は、逃げ道を探す猶予がない。
「全員、散るな! 固まれ!」
セドリックが叫ぶ。
だが崩れる床は、容赦なく七人を飲み込もうとしていた。
俺とリナは身体操作と身体強化を同時に走らせる。
足の裏が吸い付く感覚。筋肉が軽くなる。
「マルツェンさん!」
俺は折れてない方の腕を掴む。
「悪ぃ……!」
マルツェンが歯を食いしばる。
衝撃が来るたび、折れた骨に響くだろう。案の定、呻き声が漏れる。
床が丸ごと落ちる。
落ちるというより、岩の流れに乗せられて“滑り落ちる”。
「跳べ!」
リナが叫ぶ。
俺は崩れる岩の上を踏み、次の岩へ。次の岩へ。
落ち着け。落ちる流れを読め。
だが、背中に人ひとり分の重みがある。
マルツェンを支えたままの跳躍は、いつもの3倍きつい。
足が滑った。
一瞬、視界が反転する。
「ユウト!」
リナの声。
その直後、フィオナが盾ごと体当たりしてきて、俺の体勢を戻した。助かった。
代わりにフィオナが岩に膝を打ちつけ、苦い声を漏らす。
「っ、まだいける!」
強い。白の梟団、強い。
それでも崩落は止まらない。
最後は飛び跳ねることもできず、なるべく安全に滑り落ちる選択肢しかなかった。
ガラガラという音共に瓦礫が転がり落ちていく
だが次第のその速度も緩やかになり、停止した。
崩落が止まった。
……止まった、と思う。
耳鳴りの中で、誰かの呼吸が聞こえる。
呻き声も混ざっている。
ランタンの光が、ふらつきながら周囲を照らした。
「……全員、いる?」
セドリックの声。
カイが返事をする。ミレイユも。フィオナも。リナも。俺も。
マルツェンは
「……生きてる。たぶんな」
それだけ言って、歯を食いしばっている。
汗が額を流れている。痛みで顔色が青い。
フィオナが周囲を見回し、呟いた。
「……これ、結構落ちたよ。
体感だけど……今の場所は5階層くらい」
「5階層……?」
白の梟団は、元々2階層にいたらしい。
俺たちは数時間かけて1階層分上がった。そして、落とされた。
つまり、ここから上に戻るだけでも相当だ。寝ずに歩いて丸1日。いや、2日かかる可能性がある。
「なんで、こんなことに……」
俺が思わず口にすると、ミレイユが真面目な顔で言った。
「ダンジョンが、II級からIII級に変化し始めてるのかもしれない」
「……昇格なんて話でしか聞いたことないが」
セドリックが言う。
俺は分からないことだらけで、質問を挟む。
「昇格するとどうなるんですか?」
「強い魔獣が現れる。穴を掘る魔獣も強いのが現れて、今起きてるみたいにみたいに迷宮化が早まる」
フィオナが答えた。
続く言葉を遮るように、暗闇から金属音が近づいてきた。
カラン……カラン……。
鎧を着た騎士の足音。
一人。歩き方が妙に整っている。
なのに、気配が人間じゃない。
全員が武器を構え、ランタンの光を向けた。
闇の中から現れたのは
顔の見えない兜、胴体を覆う重い鎧、そして長い剣。
「……なんで、こんなところに騎士が」
俺が呟いた瞬間、マルツェンが叫んだ。
「インカーネイトだ!!」
白の梟団が一斉に動く。連携の速さが段違いだ。
フィオナが盾を構え、真正面に立つ。タンク役。
カイが弓を引き絞り、ミレイユが短い詠唱で補助を撒く。
セドリックが横から踏み込み、斬撃を叩き込む。
だが。
セドリックの斬撃を片手で弾いて蹴りを入れるとセドリックは飛ばされる。
続くインカーネイトの斬撃は、フィオナの盾ごと押し込んだ。
衝撃が洞窟に響く。
フィオナの足が岩を削って、後ろへ滑る。
受け止めたはずなのに、体が浮きかけている。
「重っ……!」
フィオナが声を漏らす。
その隙に体勢を立て直したセドリックが斬り込むが、刃が鎧に弾かれた。火花が散る。
「硬い!」
「核、核を狙え!」マルツェンが叫ぶ。「胸だ!核は胸にある!」
ミレイユが魔術で足元を凍らせる。
だがインカーネイトは、滑りそうで滑らない。
フィオナの盾が悲鳴を上げた。
このままじゃ持たない。
俺は咄嗟に魔法陣を組み、盾代わりの膜を展開する。
「ヴァルド・レケン……シールド!」
透明な障壁がフィオナの前に重なる。
だが、インカーネイトの剣が触れた瞬間、障壁が嫌な音を立てて歪んだ。
「嘘だろ……!」
一撃で割れはしない。だが、削られていく。
こいつ、ただの硬い鎧じゃない。
セドリックの攻撃も、カイの矢も、決定打にならない。
そして何よりまずいのは
インカーネイトが、視線を後衛に向けたことだった。
「来る!」
次の瞬間、金属の塊が獣みたいな速度で走った。
フィオナを無視し、ミレイユとカイへ一直線。
殺される。
俺が身体強化で間に入ろうとしたが、間に合わない。
そのとき、横から影が突っ込んだ。
「はいはい、ストーップ」
リナだった。
剣を斜めに差し込んで、インカーネイトの進路をずらす。
金属がぶつかる音。
リナの足が地面に食い込む。
止めた……いや、止めさせられてる。
リナが歯を見せて笑った。
「……いいねぇ」
目が笑ってない。
「ちょっと本気出しちゃうよー?」
冗談みたいな口調なのに、空気が一段冷える。
ぞくっとした。
ああ、これだ。リナが戦う顔になると、周りの温度が変わる。
リナは、ブラムさんを思わせるような重い剣筋を見せた。
細身の体からは想像できない一撃。
インカーネイトが剣で受けようとするが、それを弾く。
体制が崩れ、体が真正面を向いている。
リナは半歩踏み込み、前蹴りを叩き込んだ。
ドンッ!
衝撃でインカーネイトの体が浮く。
鎧が足のサイズ分だけ凹む。
なのにリナの足は無事だ。
ブラムさんでしか相手出来ない、リナの本気だ。
ただ、楽勝じゃない。
リナの肩も息が荒い。腕が痺れているのが見える。
インカーネイトも反撃に剣を振り回しているが
剣が一度かすっただけで、岩が抉れている。
当たったら致命傷だ。
岩に剣先が触れた分、わずかに動きが鈍る。
「今!」
リナの刃が、腕の関節部分に滑り込む。
ギギ、と嫌な金属音。
腕をもぐように、関節を切り離す。
バランスが崩れたことで、次は狙いを膝につけている
膝もやることは同じ。関節を狙って、確実に削ぐ。
最後に、胸。
核があると言われた場所へ、リナが狙いをつける。
一瞬だけためを作り、鎧ごと貫いた。
何かが割れる音がすると、インカーネイトは、ぴたりと止まった。
剣が床に落ち、鎧の継ぎ目から光が抜けていく。
中身のないはずの兜が、ほんの僅かにこちらを見た気がした。
そしてインカーネイトと呼ばれたものは、沈黙した。




