4 山賊
ブラムさんのしごきがひと段落ついた頃には、太陽はだいぶ西に傾きかけていた。
「ほら、飯にするぞ」
そう言ってブラムさんの家に向かうと、鍋や籠が並んでいた。
「ちゃんとお昼くらいは用意してあげないとね。死人が出るよ」
「今の稽古のあとに言うセリフじゃないと思うんですけど」
そんなやりとりをしながら、三人で机を囲む。
今日のメニューは、見慣れたものだ。
一つ目。
大きな木椀になみなみと注がれた、ドラーク豆と干し肉のスープ。
ドラーク豆ってのは、この辺りでよく取れる丸い豆で、日本で言えば大豆と金時豆の中間みたいなやつだ。
それと、薄切りにした干し肉、刻んだ根菜と葉野菜を一緒に煮込んだもの。
(豚汁とポトフの間くらい……かな。肉少なめ具だくさん味噌抜き版)
二つ目。
籠にどっさり入った、固く焼かれた粗挽き穀物の黒パン。
全粒粉パンをさらに素朴にした感じで、とにかく噛み応えがある。
スープに浸さないと、顎が死ぬ。
三つ目。
皿に山盛りになっているのは、山菜と根菜のハーブ炒め。
きざんだ野草と薄切りの芋、それにちょっとだけ干し肉を加えて、薬草油でさっと炒めたものだ。
日本で言うと、きんぴらと野菜炒めの中間くらい。味付けは塩と香草だけだが、稽古のあとだとやたらうまい。
「いただきます」
三人で手を合わせる代わりに、軽く頭を下げてからスプーンをとった。
スープをひと口飲むと、干し肉の出汁と豆のほっこりした甘みが広がる。
パンをちぎって浸してからかじると、ようやく「食べ物」という感じになった。
「はー……生き返る」
「大げさだねえ」
「大げさじゃない。ここまで来るのに走ってきて、そのあと叩きのめされたんですよ」
「叩きのめされてない。叩いておいた、だ」
「違いが分からんのですが」
抗議の声を上げると、それを聞いていたリナがくすっと笑う。
しばらくは、汗を引かせながら黙々と食事をした。
腹の虫が落ち着いてきたころ、ブラムさんがふとスープの椀を置く。
「そういえば、街道の方で騒ぎがあったらしい」
「騒ぎ?」
パンをちぎっていた手を止めると、ブラムさんは短く頷いた。
「近くの街で、山賊どもが出たそうだ。商隊が一度襲われた」
リナが眉をひそめる。
「こっちには来ないよね?」
「真っ当な連中はもう来ないだろうがな」
さらっと出てきた言葉に、スプーンを持つ手が止まった。
「どういうこと?」
思わず口を挟むと、ブラムさんはパンをちぎりながら、淡々と続ける。
「近隣に現れた連中は、殆どぶち殺してるからだ。
噂の回るやつらは近づかない。手間の割に命が軽すぎる土地、ってな」
「怖っ」
素で声が出た。
リナも「言い方!」とツッコんでいるが、ブラムさん本人はどこ吹く風だ。
「山賊というのは、商隊や旅人や村を襲って稼いでいるが
そのたびに仲間を半分失うような場所には、プロの連中は寄りつかん」
「その“半分失わせてる”側にいる人の前で聞く話じゃない気がしますけど」
「事実だ」
静かな声で言われると、返す言葉がない。
でも、少しだけ分かる気もした。
こういう人が村の外れにいてくれるからこそ、この村はそれなりに平和でいられるのだろう。
「だからって、油断するなよ」
ブラムさんが、俺の方をちらりと見る。
「山賊なんてものは、皆が油断した頃合いに、馬鹿が一匹紛れ込むものだ。
いつも通りの道でも、目と足だけは止めるな」
「はい」
素直に頷く。
戦い慣れしたさっきの訓練をその身で味わっていることもあり、その言葉にも重みがあった。
食事を終えて、片付けを手伝ったあと、そろそろ帰る時間になった。
太陽はじりじりと傾きつつある。ここから森の家まで、走っても一時間ちょっと。
ぎりぎり暗くなる前には到着するだろうか。
「ユウト」
名前を呼ばれ、顔を上げると、ブラムさんが家の壁に掛けてあった鞘付きの剣を取った。
普通の大人用のものより、少しだけ短い。
細身で、この体でも片手で扱うのにちょうどいいバランスの剣だ。
「これを持っていけ」
「え、それって……」
「護身用だ。さすがに素手や木の棒よりはマシだろう」
鞘ごと受け取ると、ずしりとした重さが手に伝わる。
木剣とは明らかに違う、鉄の重み。
「いいんですか? こんないいもの」
「元々、軽い旅用だ。俺には短すぎる」
そう言って肩をすくめる。
「分かってるとは思うが遊びでは抜くな。そして、もしそれを抜くような場面が来たら……ためらうな」
喉の奥が、わずかにひりついた。
「……はい。ありがとうございます」
深く頭を下げると、リナが少しだけ口を尖らせた。
「いいなあ、私も自分の剣ほしい」
「お前は遊びで抜くからダメだ」
「えー」
そんな父娘のやりとりを背に、俺は剣を腰に下げて村を出た。
帰り道は、行きほど全力では走れない。
午前中の学び、村までの全力疾走、稽古、そして今の食事。
体力は確実に削られている。
それでも、のんびり歩いている余裕もない。
太陽は待ってくれないし、森の夜は慣れた道でも本当に泣くほど怖い。
(走る、歩く、走る、歩く。これの繰り返しだな)
息を整えながら、山道を駆け上がり、また少し歩いて、下りでまた速度を上げる。
汗が背中を伝い、さっき冷えたはずの体がもう一度熱くなっていく。
森の中腹あたりに、小さな広場のように開けた場所がある。
子どもが遊ぶにはちょうどいい平らな地面と、腰をかけるのにちょうど良い倒木。
(……ちょっとだけ、休むか)
さすがに足が棒になってきたので、俺はそこで立ち止まり、倒木に腰を下ろした。
水筒の水で喉を潤す
息がようやく落ち着いてきた、そのときだ。
ざり。
草を踏む音が遠くから聞こえた。
小さな獣じゃない。
もっと重い、靴の音だ。
(……誰か来る?)
さっきの山賊の話が頭をよぎり、背筋が冷たくなる。
村と森の家の間で、人とすれ違うことはほとんどない。
この時間、この場所で別の足音が聞こえるのは、相当レアだ。
俺は反射的に立ち上がり、広場の奥にある木陰へ身を滑り込ませた。
幹の太い木の裏側に回り込み、息を潜める。
しばらくして、視界の端に影が現れた。
一人、二人、三人……全部で六人。
粗末な革鎧に、剣や棍棒。
旅人にしては装備がごつく、兵士にしては統一感がない。
顔つきは、だいたい察しがつく。
(……山賊、だよな、これ)
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「ここらでひと息ついてもいいだろ」
先頭の顎ひげの男が、草地の真ん中に腰を下ろす。
他の連中も、だらしなくそこらに座り込んだ。
「この先に村があるって話だが、どのくらいだ?」
「半刻も歩けば着くって聞いたぜ。その奥の森の外れに魔女の家があるとか」
実際には盗賊から見ればセラの家はすでに通り過ぎている、
一瞬混乱したが、正確な情報を持っているわけでは無いと判断した
「魔女かよ……」
ひとりが露骨に嫌そうな声を出す。
「大体この森に入ったら最後、戻ってこれねぇって話だろ。
やべぇ魔女がいるって噂、あれ本当なんじゃねえの」
「だからこそだよ」
顎ひげの男が、にやりと口角を上げる。
「魔女の家ってのは、たいてい魔道具と薬と護符でいっぱいだ。
人間が近寄りたがらねぇ様に噂をまいてるだけだ」
「村の方も、女と子どもくらいはいるだろうしな。
ちょいと脅して、食い物と金を出させりゃ一儲けだぜ」
「人が多いと面倒だからな、まずは魔女の方からにしようぜ。女一人くらい何とかなるだろ」
笑い声が、広場に散らばる。
喉の奥が、ぎゅっと狭くなった。
(やばい、やばいやばい。セラさんと村に)
伝えなきゃ。
頭では分かっているのに、体が木に縫いつけられたみたいに動かない。
背中にじっとりと冷や汗が浮かぶ。
六人。
俺は一人。
腰には細身の剣が一本。
(今ここで見つかったら、まずい。絶対まずい)
息を殺しながら、木の陰で拳を握りしめた。
心臓の音だけが、やけにうるさく響いていた。
「……っと、悪ぃ。ちょっと小便してくるわ」
その一言で、ぐらりと視界が歪む。心臓が激しく弾む。
さっきまで下品に笑っていた中の一人が、腰のベルトを掴んで立ち上がる。
そして、よりによってこっちの方へ歩き始めた。
(嘘だろ、おい)
薮が密集して隠れやすいポイントのせいか俺がいるあたりにまっすぐ向かってくる。
足音が近づく。
乾いた草を踏む音、土を押しつぶす感触が地面越しに伝わってきて、膝の裏が震えた。
「おい、そんな奥まで行くなよ。迷ったら笑うぞ」
「うるせぇ。お前らに見られながら出せるかってんだ」
軽口を叩き合う声が、やけに遠く聞こえる。
近いのは足音だけだ。
木の幹に背中を押しつける。
呼吸を出来るだけ浅く、静かに。
喉が勝手に鳴りそうになるのを必死に抑え込む。
木の皮が、汗ばんだ背中にざらざらと食い込んだ。
肩越しに、そっと気配を探る。
男の影が、近づいてくる。
適当な木を探してるのか、左右を見回しながら、ゆっくりと。
一歩、二歩。
落ち葉がかさりと鳴るたびに、背中の筋肉がぴくっと跳ねる。
視界の端に、男のブーツが見えた。
泥で汚れた革靴。そこからすぐ、脛、腰
あと一歩。
それだけ進まれたら、多分、木の陰の俺の足先が見える。
(動くな。動いたら終わりだ)
剣の柄を握る手に、力が入る。
抜ける距離、刺せる距離、逃げられる方向、頭の中でぐるぐると計算だけが暴走する。
男の足が、ゆっくりともう一歩、近づいた。
乾いた枝が、ぱきり、と小さく折れる音がした。
そこまで来て、男はふいに立ち止まった。
「おいガキ、そこで何をしている」




