3 剣術指導
村に着いたころには、太陽はもう頭から少し傾きかけていた。
昼過ぎの空気は生温く、走って火照った体には逆にきつい。
村の入口を抜けると、干した洗濯物の間を子どもたちが駆け回り、
あちこちから昼食の匂いが漂ってくる。
(腹減った……)
胃袋が文句を言い始めるのをなだめながら、そのまま村の外れへ向かった。
鍛冶屋の家を過ぎ、小さな祠を横目に見て、さらに先。
少し開けた草地と、打ち込まれた木の杭、壁に立てかけられた練習用の木剣
そこが、ブラムさんの稽古場だ。
「おそよう」
先に練習を始めていたリナが、木剣をぶんぶん振り回しながら手を振った。
「いや、これでも急いできたんだけど」
「昼過ぎに着いて急いだは無いでしょ」
そう言いつつ、表情はどこか楽しそうだ。
その向こうで、腕を組んでこちらを見ているのが、剣術指南役のブラム・エルドリックだ。
「今日も遅れなかったな、ユウト」
「真面目に走ってきましたよ」
そうなのだ、約束の時間には間に合っているのである
「上出来だ。帰りは走れなくなるまでやりこむぞ」
冗談なのか本気なのか分からない声色でそう言うと、ブラムさんは壁から木剣を一本はずし、俺に放ってよこした。
「まずは正統だ。形を確認する」
「はい」
草地の真ん中に立ち、木剣を構える。
足幅、重心、剣の角度を何度も直されて、だいぶ形だけはものになってきた。
「剣先が落ちてる。自分と相手を俯瞰で見ろ。力を抜け。膝で誤魔化すな」
「はい」
「そうだ。そのまま、面」
ブラムさんの掛け声に合わせて、打ち込む。
頭、肩、胴。
体に当てないように寸止めに近いところで、きっちりと止める。
木剣と一体になるように攻めと受けを繰り返す。
何度も繰り返していると、息が上がり、腕がじんじんしてくる。
それでも、この時間は嫌いじゃない。
足の置き方、剣の軌道、力の抜き方。
ひとつひとつを体に覚え込ませていく
「よし。形は悪くない」
珍しくブラムさんから短い評価が出た。
横でリナが「ふーん」と腕を組んでいるのを、聞かなかったことにする。
そこまでは、まだ習い事の延長だ。
問題は、その先だ。
「じゃあ、ここからはいつものだ」
ブラムさんが、少しだけ顎をしゃくる。
嫌な合図だ。
ブラムさんは自分用の木剣をひょいと掴み、俺の正面に立った。
さっきまで俺の構えを直していた男が、そのまま敵に変わる瞬間だ。
「ユウト」
「はい」
「この世界にいるのは、いい子ちゃんの決闘相手ばかりじゃない。
荷物を狙う山賊かもしれんし、酔った兵隊かもしれん。
大人の男に襲われたときに、逃げるくらいは出来る様にしておく」
そう言われて、半年ほど前から実践訓練も始まった
「いくぞ」
構えの声とほぼ同時に、踏み込みが来た。
「っ……!」
木剣同士がぶつかる。
腕に伝わる重さが、さっきの型稽古の比じゃない。
押し込まれる。足が土を滑る。
「踏ん張れ。お前が吹き飛べば、そのまま斬られて終わりだ」
「分かって、ますってっ!」
体格差は、どうしようもない。
正面からの鍔迫り合いになれば、こちらの腕も足も短く、力も足りない。
分かっていても、受け止める以外に選択肢がない瞬間は、容赦なく来る。
ぎりぎりと木剣が軋む。腕が悲鳴を上げる。
次の瞬間、力の向きがふっと変わった。
「ぐっ!」
支えきれず、後ろへ吹き飛ばされる。
背中から地面に叩きつけられる前に、なんとか受け身だけは取った。
「今のはまだ遊びだ。本気なら、その一撃で骨が折れる」
「十分、本気でしたけど!?」
「骨は折ってないだろう」
「そういう問題じゃないんですよ!?」
横で見ていたリナが、ちょっと引いた顔をしていた。
子ども相手にここまでやるのは、この村でもブラムさんだけだ。
それでも、ただ打たれ続けているだけじゃない。
再開の合図とともに、また剣がぶつかる。
今度は最初から、真正面の力比べを避ける。
さっき教わった正統派の足運びを、少しだけ崩して使う。
打ち込みの後に半歩引いて、角度をずらし、斜め後ろに回り込む。
(正面からぶつかったら負ける。だったら、真正面に立たなきゃいい)
わざと大きく下がる。
逃げ腰に見せて、おびき寄せて、横に出る。
一対一の教科書にはまず載ってない動き。
それでも、ブラムさんに大人に襲われることを想定しろと言われた以上、やるしかない。
木剣を受け流しながら、腕や脇腹への打ち込みだけはなんとか避ける。
それでも足や肩に何度も当たる。
そのたびに、鈍い痛みが体のあちこちに刻まれていく。
「正統派の型、捨てるなよ!」
「捨ててません! ちょっと、曲げてるだけで!」
正眼に構える位置、打ち込みの軌道、体のひねり方。
全部、さっきの稽古の延長線上にある。
ただ、綺麗にやる余裕はない。
死なないために、汚くも動く。
そんな調整を、頭の中で必死にやる。
「考えて動けっ!」
ブラムさんの靴先が、俺の踏み込んだ足の前にスッと割り込んだ。
踏み込んだ勢いを利用しようとした瞬間、足場を奪われて体勢を崩す。
「しまっ――」
木剣が打ち下ろされる。
咄嗟に受けるが、鍔迫り合いになった瞬間、全体重をかけられた。
腕がきしみ、膝が折れそうになる。
顔のすぐそばに、ブラムさんの顔。
昔、誰かを殺してきたことがある目だと、直感で分かる目。
「大人が本気で押したとき、子どもはこうなる」
たった一歩、前に押し出される。
それだけで、体は簡単にバランスを崩す。
次の瞬間、視界がぐるりと回り、背中から地面に叩きつけられた。
木剣の先が、喉元すれすれで止まる。
「……参りました」
負けを認めるしかなかった。
そんなことを何度も何度も繰り返し
稽古が終わるころには、本当にボロボロになっていた。
腕や肩、脛には赤黒いあざが浮き、シャツは汗と土でぐしゃぐしゃだ。
「はい、これ」
リナが桶に汲んだ水と、濡れた布を差し出してくる。
ありがたく受け取り、腕を冷やしながら座り込んだ。
「お父さん、容赦なさすぎ」
「どの口が言うんだか」
リナとやる訓練も似たようなものである。体重差はないが動きが早い。
ブラムさんは完全に剣先をコントロールしていてダメージは一定だが
リナはその辺りがまだ甘いため、思ったより強めに入ることがある。
そう言う意味ではよりタチが悪いのだ。
軽口を叩く娘を横目に見ながら、俺はじんじんする腕を見下ろした。
痛い。正直、二度とやりたくないくらいには痛い。
でも
さっき一瞬だけ、「これは通るかもしれない」と思った動きがあった。
読まれて、逆に足をすくわれて、派手に倒されたけれど。
それでも、正統派の型を応用して考えた一手が、ちゃんと通用するかもしれないという感触はあった。
「ユウト」
ブラムさんが、俺の目の前でしゃがみこんだ。
「踏み込みは悪くなかった。ただ、狙いも、足を出す場所も、全部顔に出てた」
「……やっぱりバレバレでした?」
「本気で人を斬る側は、そういう違和感だけ見てる。型を覚えて、それを崩して、また型に戻る。
その繰り返しの中で、崩し方も覚えろ」
言いながら、ブラムさんは俺の木剣を軽くつつく。
「頭を使って動くのは、お前の長所だ。どうせなら、体がついていけるところまで、とことんやれ」
簡単に言ってくれる。
でも、その言葉が少しだけ嬉しい自分もいた。
「……はい。じゃあ、次はもうちょいマシな裏をかけるように頑張ります」
「期待しておく」
そう言って立ち上がる背中を見送りながら、俺は思った。
正統派の型は、退屈なだけのお作法じゃない。やればやるほど一つ一つの動きに意味が見出せる
頭を使って、しぶとく生き残るための土台だ。
痛みでズキズキするあざをさすりながら、
それでも、次にどう崩してやろうかと、もう考え始めている自分がいた。




