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29 出立

そのあとは、自分が思っている以上の速度でことが運んでいった。




翌日、俺はローヴェン村へ走った。

昨日あれだけ「外に出るかも」と悩んでいたのに、足は勝手に村へ向かっていた。

頭より先に身体が決めている。


ブラムさんのところに着くと、いつものように腕を組んで待っていた。

隣ではリナが木剣を肩に乗せて、退屈そうに石を蹴っている。


「来たか」


「……来ました」


 俺が息を整える間もなく、ブラムさんは結論を叩きつけた。


「明日の朝に出立だ。リナと行け」


「……え?」


思考が止まった。

止まった思考をなんとか動かして質問をする


「早くないですか?」


「早い?」


ブラムさんは眉ひとつ動かさない。

こっちが冗談を言っているのかと疑うくらい当然の顔だ。


「俺、ここ何年も住んで――」


「だからどうした」


「準備期間が、今日だけって……!」


リナが横でケラケラ笑う。


「うわー、ユウト、顔が置いていかれる子犬みたいになってる」


「お前も行くんだけど?!」

他人事だけど大丈夫かこいつ



ブラムさんが言った。

「冒険者に時間の余裕なんてねぇ。

行くと決めたら行け。迷う時間が一番金と命を削る」


「いや、でも……」


言い返そうとした。


「なら1週間後か?1ヶ月後か?遅らせる理由はなんだ」


私物らしいものは特にない。着替えをまとめるくらいですぐに終わる。

後は気持ちの整理くらいではある、あるんだが。


「……わかりました」


声が小さくなる。


リナがにやにやしながら俺の肩を叩いた。


「大丈夫だって。あたしがついてる」


「それが一番不安なんだけど」


「ひどっ!」




ブラムさんが咳払いを一つして、会話を切る。


「装備は軽くしろ。必要なものだけ持て。

あと、森の魔女にはちゃんと挨拶しとけ」


最後の一言だけが、妙に重かった。




家に戻りセラに伝えると

「そうか」とだけ答えた。


あまりにもあっさりとした返答に胸が重くなる。



明日の朝に出立。


昨日まで、ぼんやりした未来の話だったのに。

今日はもう、荷造りをしないといけない。


俺は自分の部屋に戻り、荷物をまとめ始めた。


棚。机。ベッド。

簡素な部屋だ。置いてあるのは、服と、修練の道具と、

魔術設計用のナイフと、枝に刻んだ術式の失敗作。


それだけのはずなのに、一つひとつ手に取るたびに、胸の奥がきゅっと縮む。


(……こんなに自分の場所になってたんだな)


壁の傷。床の擦れ。

魔石を落として欠けた角。

初めて魔法陣が出せた日に、嬉しくて跳ねてぶつけた机の脚。


馬鹿みたいな思い出が、いちいち出てくる。




夕方になり、いつものように夕食の時間が来た。


セラは普段通り、淡々と鍋をかき回し、味を見て、皿を並べる。

俺は手伝うふりをしながら視線が勝手にセラを追ってしまう。



俺はわざと皿を拭く回数を増やし、視線を散らした。

なのに、ふとした瞬間に見てしまう。


髪が肩に落ちる。

指先が滑らかに器を掴む。

横顔が、やけに綺麗だ。


(……明日から、これ見れないのか)


そう思った瞬間、胸の奥がきしんだ。


セラは、いつもと同じ声で言った。


「明日の朝、出るのか」


「……はい」


俺はできるだけ平静を装った。

声が震えないように、喉に力を入れた。


「そうか」


さっきと同じ短い返答だ。



「……セラ」


呼びかけたのに、その先の言葉が出てこない。




セラは俺を急かさない。

鍋に視線を落としたまま、静かに待つ。




俺は結局、逃げるように言った。


「……しばらく、留守にします」


「好きにしろ」


セラが、淡々と返した。


「……はい」


返事が、妙に掠れた。


セラは、こちらを見ないまま続ける。


「外の世界は面倒だ。だが、今のお前には必要だろう」


「……必要、ですかね」


「必要だよ」


即答だった。



「……セラさんは、寂しくないんですか」


気づけば、そんなことを聞いていた。


言った瞬間、心臓が跳ねた。

しまった。踏み込みすぎた。


セラは一拍置いて、スープを皿に注ぎながら言った。


「……寂しくないと言えば嘘になる」


淡い声。

それだけで、俺は息が止まりそうになった。


だがセラは続けて、すぐにいつもの調子へ戻す。


「だが、寂しいから行くなとは言えない。お前は私のペットではないからな」


(出た、ペット扱い……!)


俺の脳裏に、昔の会話が浮かぶ。


飼っていた犬の子孫が元気なら愛着が湧く


(俺、犬枠確定……?)


胸が痛いのか、恥ずかしいのか分からなくなって、俺はスープを飲んだ。

熱くて、喉が焼ける。


「……熱い」






夜。


部屋で一人になってから、さらにメンタルは底まで落ちた。


離れたくない


でも行かなきゃ


行く必要なんてない


そもそも何のために


本当に明日行くのか?



行き場のない思考も、行き場のない感情も、ぐるぐると頭の中を掻き乱し続ける。


ベッドに入っても眠れない。

天井を見て、目を閉じて、開いて、また閉じる。


明日からセラがいない生活を想像して、胸が苦しくなる。


(……俺、弱いな)


いや、弱いのは今に始まったことじゃない。

だけど、弱いままでもここに居られたのは、セラがいたからだ。




結局、ろくに眠れないまま朝を迎えた。


空が白む。鳥が鳴く。

最悪のコンディションだ。身体も重い。




明け方。


コンコン、と扉が叩かれた。


「おーい、起きてるかー」


リナの声。元気すぎる。

俺は起きていた。というか眠れていない。


扉を開けると、ブラムさんとリナが立っていた。

ブラムさんは荷物を背負い、リナは妙に張り切った顔をしている。


「おはようございます……」


俺の声は、死んでいた。


ブラムさんが、にやっと笑う。


「最悪な顔だな」


「ちょっと寝不足で」


リナが横から茶化す。


「うわー、ユウト、目の下すごい。徹夜で恋文でも書いてた?」


「おいっ!」


「じゃあ何で寝てないの〜?」


「……人生の難しさ」


「出た、急に哲学!」


俺が言い返していると、奥の部屋から静かな足音がした。


セラが出てきた。


いつも通りの、落ち着いた顔。

いつも通りの、綺麗な横顔。

いつも通りのなのに、今日はそのいつも通りが、胸に刺さる。


「準備はできたか」


「……はい」


俺は頷いた。

喉が詰まるのを必死で飲み込む。


セラは、俺の顔を一瞬だけ見て


「寝てないな」


「……はい」


「馬鹿だな」


責める声じゃなかった。

呆れに近い、でも柔らかい声。



セラが、続けて言った。


「行ってらっしゃい」


そして、ほんの少しだけ口元が緩んだ。

にこり、とした笑顔。


胸がぎゅっと締め付けられる。

その表情を、俺は必死で刻んだ。逃さないように。


「……行ってきます」


俺は、できるだけ力強く返した。


震えているのを悟られないように。

弱い声にしないように。


ブラムさんが「よし」と言い、リナが「いざ出発!」と叫ぶ。

俺は玄関を出て、朝の森の空気を吸った。


振り返りたい。

でも、振り返ったら足が止まりそうだった。


(ここは、帰ってくる場所なんだ)


それだけを胸に押し込んで、俺は歩き出した。


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