28 セラフィナ・ルクレール
随分と成長した。
ユウト・アマギ。転生者。
最初に会ったときは、いや、あれは「会った」と言っていいのか。
不意の来訪者に扉を開けると迷子の子どもが立っていた。
小さな肩に、泣き出す寸前の目。少し恐怖に紛れて空腹の音が森の中に響いた。
それが今では、15歳。
背は伸び、肩幅が少しずつ男の形になっている。
鍛錬でついた筋肉は、無駄がない。剣の握りの癖も、足運びも、以前よりずっと綺麗だ。
努力を続けている。
それが何より好印象だ。
人間の成長は早い。
ここに来てから数年、日々訓練を行なって吸収している。
出来ない事でも出来るまで続けている
何度倒れても、何度でも立つ。
だから、見ていて飽きない。
……見ていて、心が落ち着く。
こういう言い方は、エルフらしくないだろうか。
けれど私は、そう思ってしまう。
最近、視線を感じる。
自意識過剰ではなければ、いや、間違いない。
ドアノブに手をかけた瞬間から、背中の空気が変わる。彼の耳が音を拾いにいく癖まで、私はもう知っている。
そして顔が赤い。
言葉にしないよう必死に隠しているのも、逆に分かりやすい。
そういうことだろう。
別に悪い気分ではない。
表情の変化も素直で、時々ひどく幼い。そこがまた、可笑しい。
ただし。
私は顔に出さない。
エルフは、基本的に顔に出さない。
出したら負けだと思っている節がある。私だけかもしれないが。
私が何を考えているか一つも分からないだろう。
それに、彼はまだ十五歳だ。
人間の時間で言えば、熱病のように燃える頃だ。
落ち着くには、時間がいる。視界を広げるには、外の世界がいる。
年の近いリナもいる。
彼女は強いし、遠慮がないし、お似合いだろう。
種族も、年齢も違うのだ。
少し時間を置けばこの熱も冷めるだろう。
そう、考えるのが普通だ。
……そう考えるのが普通なのだ。
ユウトがいつか独り立ちして離れることを考えると、胸が痛む。
だがこの森で数十年、この家で一人で研究をしていた。
その頃に戻るだけのことだ。
なのに自分から何かが抜け落ちるような感覚がある。
エルフは長命だ。
私の時間は、彼の何倍も長い。
かつての仲間や友人がそうであったように
いずれはユウトも、私より先にあの世へ旅立つ。
だからこそ、今のうちに距離を取る。
ここで一度別れるのが潮時。そう思うべきなのだろう。
……潮時、か。
言葉が舌の上で苦い。
最初に彼を拾った日のことを、今も覚えている。
扉を開けると小さな男の子がいた。
迷子の知らせは聞いていない。けれど森は嘘をつかない。彼は迷子だ。
行く当てもなく、戻る場所もない顔をしていた。
私は問うた。
「名前は」
彼は答えた。
部屋に入れて食事をさせて、落ち着いた頃に話し始めた。
話している内容に時々意味不明な言葉が並んでいた。
私はそれを理解しようとした。
彼の言葉には一貫性がありどうやら転生者だろうと結論づけた。
以前転生者と認められた者が現れたのは100年より前だったように思う。
珍しい。
転生者は伝聞では聞いたことがあったが、会ったのは初めてだった。
彼は弱かった。
弱いのに、目が死んでいなかった。
(生きたい、か)
なら、住まわせてやってもいい。食えるようになるくらいは。
前回の転生者はロクな死に方をしなかったはずだ。
自らの生き方を選べるくらいには仕込んでやろう。
ブラムにも連絡しておこう。剣を覚えさせれば、仕事も見つけやすいだろう。
私はそう判断した。
ただ、それだけのはずだった。
あの夜のことも、忘れられない。
この森に悪意のあるものが近づけば、私は分かる。
結界の網に触れる感触。空気の揺れ。呼吸の乱れ。
山賊が少し先の道を通り抜けていった。ローヴェン村に向かっている。
(ブラムに任せておけばいい)
そう思った。いつも通りのことだ。
だが、山賊が二手に分かれた。
なぜ?
そこで嫌な予感がした。
山賊の動きが私に告げていた。狙いが変わったと。
念のため、私は向かった。
そして見た。
ユウトが、その命を燃やして戦っていた。
小さな体で、大人を相手に。剣も拙い。呼吸も限界。
それでも、前に出ていた。
間に合ってよかった。
そう思った瞬間、胸の奥がひどく冷えた。
もし間に合わなかったら?
その問いが、久しぶりに怒りの感情を思い出させた。
ユウトは気絶していた。
意識が落ちても、剣を離さない手。爪の間に入り込んだ土。
短い爪が折れていた。
……よくやったな。
そう思ってしまった自分に驚いた。
褒めるような状況ではない。
それなのに、私は彼が生き抜いたことを肯定してした。
山賊共に目をやると、再び激情に包まれる。
ゴミどもめ。
私は指を鳴らした。
目の前の山賊二人を結界で包む。
一瞬戸惑い、閉じ込められたことに気づき、脱出しようと結界を叩く。
わざと仰々しく詠唱してやる。こちらの声は届かないだろうが
何かをしようとしていることに気づいたようだ。結界を叩く力が強くなる。
「ヴァルド・レケン・クルヴ・シーズ・ニロブ・ヌル・ティーム・スィルデク・セク……シールド」
結界のサイズが、少しずつ小さくなる。
異変に気づいた山賊が叫んでいる。
だが声は届かない。私は聞く気がない。
自分の背丈よりも結界は小さくなり始めて、腰を屈めざるを得なくなる。
腰をかがめてもまだ小さくなり、しゃがまざるを得なくなる
しゃがんでもまだ小さくなる。これ以上、体を折りたたむことはできない。
背骨か首が折れたか、一瞬ビクッと体が震えたが、それ以降は動かなかった。
骨が折れ、肉を裂き、血が吹き出し、内部が血で満たされても、なお小さくなる。
ある一点で圧縮は止まる。
結界が弾けて消えると、元々は人体で構成された氷が二つ、ゴトリと音を立てて地面に落ちた。
途中で連中に興味を失ってから、ユウトに回復魔法をかける。
私の魔力を流し、傷を修復し、内側の乱れを整える。
頭を二度撫でた。
自分でも分からない動きだった。
撫でる必要などないのに、撫でた。
それから楽な姿勢にしておく。
背中の角度。呼吸の通り。無意識の癖、こういう小さなことが、生きるか死ぬかを左右する。
残りのゴミ掃除が必要だった。
森の中にはまだ3人ほどいる
一人は見せしめに殺す。
一人は半殺し。運が良ければ生き残るだろう。
もう一人は腕を落とした。
せいぜい触れ回るがいい。
この森に入るとどうなるのかを。
ここは私の森だ。
ユウトを回収すると家まで連れて帰り、ベッドに寝かせた。
表情を見ると落ち着いているようだ。
ゆっくりと寝かせておこう。
翌日、目を覚ましたユウトは私を見つけると駆け寄ってきて抱きついてきた。
突然だった。
勢いも、必死さも、子どものそれだった。
よほど怖かったのだろう。
私はそっと抱き返した。
愛着が湧いているようだ。
ここに来て2年も経つのだ。
いつの間にか、そこにいて当たり前になっていた。
死ぬのかと思ったら、苦しかった。
何の因果かこの世界に転生して、
楽しむこともなく死んでいくなんて悲しすぎる。
ユウトはこの世界に来てからずっと努力を重ねている。
ついに魔術まで使えるようになった。
上手くいった日は子どもみたいにはしゃぐ。それが可笑しくて、少し羨ましい。
だから私は、抱きしめたくなった。
からかいまじりに、ぎゅっと。
彼が慌てるのが見えた。
その反応を見て、胸の奥がわずかに温かくなった。
……悪くない。
けれど私は、その温度を隠した。
顔には出さない。
手放したくないと、そう思ってしまった。
だが、その願いがいずれ自分を苦しめると分かっている。
知り合いも、友人も、仲間もいつかは死んでいく。
長く生きているとその悲しみも少しずつ薄れて、
薄れる気持ちへの罪悪感もやがて消えていく。
最近、ユウトが悩んでいる。
外に出たいのだろう。冒険者として、自分を試したいのだろう。
それは正しい。
外に出て、人と絡んで、痛い思いをして、強くなるべきだ。
……私の手の届かない場所で。
その想像をすると、また胸が痛む。
だから私は、落ち着いた声で言うのだ。
「悩んでも答えが出ないのなら悩むだけ無駄だ。やってみろ」
そして最後に、こう付け足す。
「帰ってくるなら、好きにしな」
それが私の精一杯の、隠した本音だ。
そばにいろ。
私はそう言わない。
言わないけれど、言っているのと同じくらい強く思っている。
エルフは長命だ。
長命だからこそ、短い時間の価値を知っている。
……ユウトがこの家にいる時間が、あとどれだけ続くのか。
考えないようにして、今日も扉を開ける。
「おはよう」
彼は少し遅れて、顔を赤くして返す。
「おはようございます」
かわいい。
私はそう思って、思ったことを顔に出さないまま、朝の光の中で鍋の匂いを嗅いだ。




