24 エミル
朝食が終わると、森の家の空気がぱっと切り替わった。
ミアはセラの前に立ち、真面目な顔になる。さっきまで元気にパンをちぎっていたのが嘘みたいだ。
セラが「まずは宿題の確認だ」と言い、空の魔石を机に並べる。
ミアは両手で魔石を包み込み、目を閉じて呼吸を整えた。
魔力を感じ、流す。
手のひらに包まれた魔石から光が漏れる
「……よし。いいね」
セラが短く褒めると、ミアの顔がぱっと明るくなる。
「えへへ……!」
褒められるとすぐ表情に出る。
いや、素直で良いことだ。俺は二年かかったからな。二年。
その横で、エミルが居住まいを正した。
「ではユウト殿、予定通り……」
「うん。俺たちはローヴェン村、だな」
本日は二手に分かれての授業だ。
ミアは魔術。エミルは剣術の指導を受けるということだ。
先日の一件で何か思うところがあったのだろう。
森を抜けて山道に入ると、空気が少し乾いた。
ローヴェン村までは、走れば片道1時間。普通に歩けば3時間。
とはいえ今日はエミルがいる。
最初の十分で、エミルが息を切らし始めた。
「はぁ……っ、はぁ……っ……」
「無理せずで。ペース落としましょう」
「い、いえ……っ。ついていきます……っ」
大丈夫だと言葉では言うが、顔色はちゃんと悪い。
そりゃそうだ。街育ちの商会の青年に、この山道はしんどい。
俺は速度を調整して、エミルのペースに合わせる。
走ったり、歩いたり。木陰で一度水を飲み、また進む。
ふと、昔の自分を思い出す。
(最初は俺もこんなだったな……)
走るどころか、三時間歩き切るだけで脚が笑っていた。
今では片道一時間で当たり前の顔をしているのだから、慣れって怖い。
結局、ローヴェン村に着くまで二時間ほどかかった。
遅いと言えば遅い。でも
「この道を初めてで二時間なら、優秀ですよ」
「そ、そうですか……?」
「うん。俺なんて最初、途中で吐きそうでしたから」
言うと、エミルが苦笑した。
「……ユウト殿が吐きそうだったというのが、少し意外です」
「普通の人間ですからね」
村に入ると、畑仕事をしていた村人が手を上げてくる。
日差しが強くなってくるが、作業に熱心だ。
ブラムの家というか、鍛錬場代わりの広場へ向かうと、すでにブラムとリナがいた。
「おう。生きてたか」
ブラムが相変わらずの第一声で笑う。
「一昨日も会ったでしょ」
俺が言ってから、隣のエミルを示した。
「今日は連れがいます。ラツィオのバルネス商会から、エミルさん」
エミルはすぐに一歩前へ出て、綺麗に礼をした。
「初めまして。エミル・バルネスと申します。
突然の訪問、失礼いたします」
リナが目を丸くする。
「わぁ……しゃべり方がちゃんとしてる……!」
「お前もちゃんとしろ、はじめましてだろ」
「初めまして、リナです、よろしく」
「フルネームで名乗れ、ちゃんとしてないぞ」
そんな軽口を叩くと、ブラムが鼻で笑った。
「で、こいつも振るのか?」
「本人がやる気なので」
エミルは顔色がまだ青いのに、頷いた。
「……はい。お願いします」
根性がすごいな、この人。
まずは正統派の型稽古から始まる。
木剣を握り、素振り。
足運び。
構え。
肩と肘の角度。
重心の位置。
ブラムの指導は雑に見えて、実際は細かい。
間違っている部分だけを的確に叩いて直してくる。
エミルは、最初はぎこちない。
だが言われたことをちゃんと再現しようとする。
「肩が上がってる」
「手首が固い」
「腰を落とせ」
「呼吸を止めるな」
修正されるたびに、エミルは汗を流しながら剣を振った。
体力は明らかに限界だ。
腕が震えているのが分かる。呼吸も浅い。
それでも止めない。
(根性あるな……)
俺は思わず感心した。
俺が最初にここへ来た時は、まさに限界で途中でへたり込んだ。
ブラムに「寝転がるなら帰れ」と言われて泣きそうになったのも覚えている。
リナがちらっと俺を見て笑う。
「ユウト、最初の時もっとひどかったよね」
「うるせっ」
型稽古が終わると、休憩。とはならない。
ブラムが木剣を肩に担いで言った。
「じゃあ次。実践だ」
俺の胸が、少しだけ高鳴る。
あの事件でセラの戦いを見てから、世界が変わった。
あれは鮮烈で、恐ろしいが、何より美しかった。
強さというものの形を見せつけられた気がする。
そして俺は、変わった。
「ブラムさん。魔術、絡めてもいいですか」
尋ねると、ブラムは即答した。
「好きにしろ」
今回は一対一。俺とブラム。
俺は木剣を構え、深呼吸する。
体の内側で魔力を巡らせ、筋肉の動きを補助する。
魔力による身体操作。
最初の頃は散々だった。
踏み込みで転び、変な方向に飛び、思考が追いつかず、空振りして地面を舐めた。
最近は……多少マシにはなってきた。
わずかに間合いを測り、地面を蹴る。
魔力で底上げした踏み込みは、人間の限界を超えに行く感覚がある。
視界が一瞬だけ速くなる。
上段から袈裟斬り。
だがブラムは横に一歩、当たり前みたいに避けた。
俺の刃は空を切り、すれ違う。
すれ違いざま、俺は両手を返して小さく魔法陣を二つ展開する。
ブラムの左右、挟み込む位置。
が、次の瞬間には叩き割られた。
木剣で殴っただけ? いや、魔力で壊した感じだ。理屈が分からない。
(くそ……!)
勢いよく蹴り出した分、すぐに止まれない。
地面に踏ん張って制動しようとするが、体勢が整う前にブラムが寄ってくる。
速い。化け物の速さだ。
俺も迎撃の構えを作りながら、喉の奥で練習した詠唱を短く唱えて魔術を発動する
「バースト!」
ブラムの進行方向で、小さな爆発。
視界が一瞬火で埋まる。
普通なら怯むはず。だがブラムは構わず突っ込んできた。
炎に紛れて、剣先だけが突き出される。
俺は、ブラムの真似をして横へ避けた。
避けられた、と思った瞬間
脇腹に膝蹴り。
「ぐっ……!」
吹き飛ばすための蹴りじゃない。
衝撃を与えるための蹴り方。体の芯に通された。
体内を衝撃が巡り、脳まで揺らされる。息が抜ける。
多分肋骨にヒビぐらいは入ってる。
その場で膝をついた。
勝負あり。
「はい、終わり」
ブラムの声は軽い。
俺は地面に片手をついたまま、苦笑するしかなかった。
そんな勝負を何度か繰り返し、ようやく休憩になった。
俺が草の上に転がって息を整えていると、エミルがふらふらと近づいてきた。
顔が青い。さっきまでの素振りで限界だったはずなのに、なぜ生きている。
「……異常ですよ、これ。大丈夫なんですか?」
真顔で言われて、俺は思わず感動していた。
久しぶりに目が覚めた。こっちにきて最初は虐待だと思ってた。
でも当たり前にやるし、だんだん慣れてしまっていた。
そんな当初の頃を思い出して、胸が熱くなった。
「そうだよね。これ異常だよね」
そうやって寄り添ってくれる人は今まで一人もいなかった。
エミルに仲間意識が急に湧き上がってきた。
エミル、いい奴だ。すげーいい奴。
などと考えながら目の前に意識を戻す。
「でも見てください。あれ」
俺が顎で示すと、エミルも視線を向けた。
ブラムとリナの稽古が始まっていた。
剣術のみ。魔術なし。
なのに、速さの質が違う。
俺の動きはまだ荒々しい。力で押して、勢いでねじ伏せようとする。
だが二人の剣は、洗練されている。
受けと攻めが、自然に入れ替わる。
どちらかが攻め続けるのではなく、ほんの一瞬のズレで形勢が変わり、攻守が滑るように交換される。
リナは細身で、早さはもちろんだが、一撃に一撃に力強さがある。
思考より先に体が動いているように見える。
無意識に、魔力を使って身体操作をしている。呼吸も乱れない。足音が軽い。
そしてブラムは、あのゴリラを思わせるゴツい体で繊細な動きをする。
ただ重いだけじゃない。
相手に合わせて戦闘スタイルを切り替える器用さがある。
エミルがぽつりと呟いた。
「……同じ剣でも、こんなに違うんですね」
まだまだ敵わないんです
俺は大の字になって、空を仰いだ。
木々の間から見える空は青く、雲が流れている。
目的地までの道のりが遠すぎて、自分が全然進んでいない様に感じる。
それでも、不思議と嫌じゃない。
一歩一歩の歩みを噛み締めながら歩いていこう。
この道の先に、少なくともセラの背中がある。
あの冷たい目と、圧倒的な強さと、守ってくれた背中が。
セラのことが脳裏に浮かぶと自然とやる気が湧いてきた。




