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25 動悸

さらに年月は経った。

バルネス商会の紹介でミアの一件が片付いてから、二年が過ぎた。


あれからも俺は毎日訓練を続けている。剣も、魔術も、魔力操作も。

森で暮らすなら鍛えるのは当たり前だし、何より成長するって楽しい。


……だが最近、別方向で深刻な問題が発生している。


年月が経って、肉体が成長したのだ。

転生した時は九歳くらいの体。今は十五歳くらい。


肉体は精神に左右される。思い込み一つで体調が悪くなることだってある。

逆に、肉体の変化は精神にも影響する。


すなわち、第二次性徴期である。


そして俺は、ついに理解した。理解してしまった。


最近、セラが美人すぎて辛い。


見ていると心拍数が上がる。

目で追ってしまう。勝手に。


これは、あれかもしれない。あれだ。

いや、言葉にしたら負けだ。負けたら終わりだ。

俺はまだ頑張れる。まだ踏みとどまれる。たぶん。




朝食の準備をしていると、いつものようにセラが扉を開けてやってくる。


正確に言えば、ドアノブに手をかけた瞬間から、俺の耳がセラの動きを逃すまいとしている。


足音。衣擦れ。呼吸。

そして扉が開く気配。



「おはよう」


「お、おはようございます」


挨拶を交わすだけなのに、なぜか胸が変な動きをする。

声が素敵だ。透き通っていて、柔らかくて、刺さらないのに刺さる。


声を発する喉。唇。瞳。

全部に目が奪われる。


……いや、やめろ俺。食材を見ろ。鍋を見ろ。火を見ろ。集中だ。集中。


セラはあまり感情を顔に出さない。表情の変化は少ない。

でも、最近は分かるようになってきた。


嬉しいと、エルフ特有の長い耳がほんの僅かに下がる。

無口になって怒っているのかと思ったら、だいたい腹が減っているだけ。

書き物をしているときのペンの持ち方が妙に丁寧で、指先が綺麗で。

皿洗いをしている時の後ろ姿が、後ろ姿が、いや、もうやめておこう。


(……あ、だめだ。俺もうだめだ)


自分で自分に引導を渡しかける。




そもそも長命種であるエルフは、あまり恋をしないらしい。


つまり始まる前から終わっている。


俺が勝手に盛り上がって、勝手に沈む。

一人で勝手にラブコメの坂を転げ落ちている。



しかも、バルネス家の件の時にセラから聞いたことがある。


「どうしてそこまでして、仲間の子孫に力を貸すの?」


そう聞いた俺に、セラは少し考えてから、正確な例えじゃないがと前置きして言った。


「人間で言うと……飼っていた犬の子孫が元気にしていたら、それだけで愛着が湧くと思わないか?」


 犬。


 俺はその時「確かに」と納得した。

 命の長さが違うのだ。俺たちが十年と思う時間が、セラにとっては昨日の続きなのだろう。


 でも今、その例えが刺さる方向が違う。


(俺、ペット扱いなのか……?)


 そんなことを考えながらも、気づけばセラの食べる姿を見ている。

 スープを口に運ぶ指先がしなやかで、パンをちぎる仕草が綺麗で


(……俺、キモいな)


 自己嫌悪が朝食のスパイスとして追加される。最悪だ。




 命の恩人でもあるセラに、劣情を向ける自分が許せない。

 だから最近、旅に出ようかと考えていた。


 どこへ行くというわけでもない。

 でも、セラが教えてくれたこの世界を、まだ知識でしか知らない。

 この世界を自分の目で見てみたい気持ちも本当だ。


 ……なのに。


 セラと会えなくなると考えただけで、胸が重くなる。


(これもう詰んでるのでは?)


 俺が食べ終わって空になった皿を無意識にかき回していると、セラがふと首を傾げた。


「……悩み事でもあるのか」


声が優しい。優しさがしみる。

しみすぎて、逆に痛い。


少し間が空いた。

言おうとしても声にならない。だって本題が言えるわけない。


「……最近、魔法陣展開の速度が伸び悩みで。あと、偽装が難しくて」


我ながら、真面目な悩みを選んだ。えらい。

そして悩みの内容も本当のことだ。

でもそれが本題じゃないことは、たぶんセラにもバレている。


セラは追及しなかった。


「そうか。では後で見てみよう」


さらっと逃がしてくれる。その距離感がありがたい。

……ありがたいんだけど、優しくされると余計にダメになるやつだ、これ。




 魔術の訓練の時間になった。


これもまた最近、俺にとって危険な時間だ。


セラは訓練の時、動きやすさ重視で、スリットの入った密着した服を着ることが多い。

布地が体に沿って、スタイルの良さが普通に強調される。普通に。容赦なく。


もっと小さかった時は何も感じなかったんだが、これが本能というやつか。


(いや、だから見るな俺)


見ないようにすると逆に見てしまう。

人間ってそういう仕組みだったか?


セラは訓練用の板の前に立ち、俺を見た。


「で、魔術偽装に悩んでいると言ったな」


朝の話題を律儀に引き継いでくれる。


ちなみに魔術の偽装というのはクロイツが行っていたテクニックだ。

見た目の魔法陣と実際に発動される魔術を変える。

炎の魔術と見せかけて、雷を落としたりして、相手をの反応を遅らせたり混乱させる。


他にもなんでもない言葉を話していると見せかけて、詠唱を織り込むということもやっていた。

氷の刃が突然大量に発生して見えたのは事前のおしゃべりを利用していたのだ。




「魔法陣を出してみろ」


「……はい」


言われるままに魔法陣を展開する。空中に浮かぶ古代語の文様が、薄い光を帯びて形になる。

一秒弱。今の俺の限界。これ以上早くすると、術式が崩れる。


セラが俺の隣に来た。


近い。


(近い……!)


前からこんな距離感だったっけ?

訓練の指導だから当然と言えば当然なのに、今日は妙に意識してしまう。


セラは俺の魔法陣を覗き込むようにして、淡々と説明する。


「例えばここの術式、ナイレン・ケルトという文字列だ。これをこの見た目に変更させる。

 実際の術式はこちらにしておく。つまり外側だけをそれらしく見せる」


セラの指が空中をなぞり、文様が少しだけ歪む。

俺の魔法陣が、別の形に見えるようになる。


「偽装は二段階だ。見た目と、流れ。見た目だけ変えても、魔力の流れを読める相手には通じない」


つらつらと説明してくれる。理屈はありがたい。

なのに俺の脳は、別の情報を拾い始める。


……とてもいい香りだ。


薬草と、森の空気と、少しだけ甘い匂い。

呼吸するたびに頭がふわっとする。


(これ、前から? 前からこうだった?)


肉体の成長でホルモンバランスが変わったのだろう。

気の迷いかもしれない。

でも、認めざるを得ない。


俺は恋をしている。


その結論に到達した瞬間、魔法陣がぴくりと揺らいだ。


「……おい」


セラが俺の顔を覗き込んでくる。さらに近い。

危険。心拍数が限界を超える。


「今、何を考えていた」


「ま、魔術偽装であります!」


「嘘だな」


即答でバレた。怖い。


セラが一瞬だけ目を細め、そして口元がほんの僅かに緩んだ。

笑った……? いや、気のせい? でも、耳が少し下がった気がする。


「……集中しろ。魔術は嘘をつくと暴発する」


「初耳であります!教官!」


「真面目にやれ」


額にデコピンを食らう。ちょっと痛い。だが、ちょっと嬉しい。

俺はもう末期かもしれない。


それでも


訓練は続く。

距離は近い。

香りは甘い。

心拍数は上がる。


そして俺は、言葉にしないまま、今日もなんとかやり過ごすのだ。


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