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21 異次元

「……あなたこそ、誰なんですか」


 剣先を向けたまま、聞き返す。

 目の前の男は相変わらず、にこにこと人の良い笑みを崩さない。眼鏡の奥の瞳だけが、底の見えない色をしている。


「おやおや。僕のことは知っているんだろう? それに、質問に質問を返すのはマナー違反だ」


 穏やかな口調。けれど言葉の節々が、こちらの神経を撫でるようにいやらしい。


「君の方から名乗るべきなのではないかな? ……でもまあ、そんなことは些細なことかもしれないね」


 目の前の男、クロイツは、俺の剣を怖がる素振りすら見せず、勝手に話を続けた。


「ご当主様が魔女を呼ぶと聞いたとき、僕は思ったんだよ。ああ、なるほど、とね。どうやら僕の仕事は役に立たないと思われていたようだ」


 くすり、と笑う。


「でも大事なことだよ。いろんな医者に当たった方がいい。誰かが絶対に正しいなんて言えないからね」


 ……人を安心させる言い回しのはずなのに、背筋に冷たいものが這う。

 こいつは「医者の言葉」で人を操るのに慣れている。


「で、君は何者か、という話だが、君の姿を当主の家で見た覚えがない。商会でも見ていない」


 眼鏡の奥の視線が、俺の顔から足先までを一瞬で舐めた。


「急に僕を呼び寄せるような重大な使命を帯びているにもかかわらず、その辺の小坊主をよこすわけがない。つまり」


 口角が上がる。


「君は魔女の使い、ってところなんだろう? そうなんだろう? 違うかな」


 断定の形を取らないのに、逃げ道を塞ぐ言い方。

 不気味だ。底知れない。


 思わず二歩、後ろへ下がった。距離を取るためというより、あの笑顔から視線を逸らしたくなった。


 その瞬間だった。


 クロイツの周囲の空間が、きいん、と凍りつくように鳴った。


 氷の刃。


 薄い青白い刃が、三十近く。宙に生成された。

 詠唱もない。魔法陣も見えない。なのに、そこに前からあったかの様に存在している。


(やばっ)


 さっき下がった二歩の分だけ、回避行動へと動き出せた。


 俺は正中線を守るように剣を立て、後ろへ飛び退きながら、迫る刃を叩き落とす。

 硬い氷と鉄が噛み合い、甲高い音が連続した。


 捌けたのは半分程度。

 残りは避けるしかない。


 体を捻り、肩を落とし、地面を蹴る。

 氷の刃は刺さらなかった、だが。


 ごん、と鈍い衝撃。


 肩、脇腹、太もも。五、六箇所に、鈍器で殴られたような痛みが走った。

 刃というより、重い氷の杭をぶつけられた感触だ。


「……っ」


 息が詰まる。


 クロイツは、にこにこしたまま言った。


「おや。その程度で済むとは運がいいね」


(運じゃない。ブラムさんに叩き込まれた成果だ……!)


 それでも背中に冷汗が流れる。

 今のは、俺を殺す気なら殺せたはず。狙いが甘いのか、わざと甘くしているのか。

 どっちにしても、余裕がある。


(詠唱も魔法陣もなし……? なにが起きた?)


 混乱を必死に押し殺して状況を見た。


 クロイツの指先が、今度は軽く空をなぞる。

 すると、薄い円環が二つ、三つ。小さな魔法陣が次々と浮かび上がった。


 魔法陣の術式を見ると火の系統だ。


(ただの医者じゃない……!)


 立て直す。

 まずい場所で戦っている。家の中は狭いし、逃げ道も限られる。外だ。開けた場所に出ないと詰む。


 俺は踵を返して、駆け出した。

 炎の魔術が発動する前に家の外へと飛び出すことに成功した


 その瞬間。


 全身が、がつん、と叩き潰されたように痺れた。


「が――っ!」


 足が言うことを聞かず、そのまま前のめりに倒れ込む。

 視界が白く弾け、耳がキーンと鳴る。


(雷……!?)


 倒れてから気づいた。

 電撃だ。雷系の魔術を、見えない形で放った。


(さっきから、何をされてるか分からない……!)


 地面に爪を立てるようにして体を起こそうとすると、玄関先からクロイツが出てきた。


 冷たい空気が、さらに一段落ちる。


「困ったねぇ」


 クロイツが、今度は少しだけ声色を変えた。


「魔女と敵対する気はないんだが……今日はこの辺りで許してくれるかな」


 そして、嘲るように、けれど確信を込めて名を呼んだ。


「ねぇ、森の魔女、セラフィナ・ルクレール」


 倒れたまま顔を上げると、そこにセラが立っていた。

 金髪のエルフ。いつもの無表情。いつものようで、いつもより冷たい目。


 ……来た。エミルが知らせてくれたんだ。


 セラは俺に一度だけ視線を落とし、無事を確認するように小さく頷いた。

 そのままクロイツへ向き直る。


「お前は何者だ」


 短い。刃物みたいな問い。


 クロイツは肩をすくめた。


「ただの薬売りですよ。今回のミア嬢に関しては力不足で、大変申し訳なかったと思っています」


 芝居がかった丁寧さ。だが、言葉は淀みない。


「お疑いの目もごもっともです。今回調合していた薬は、この棚にまだ置いてあります。

確認していただいて構いません」


 クロイツは家の方を顎で示した。さっき見た時、棚の上に瓶がいくつか並んでいた。


「誤解のないようにお伝えしておきますが、魔力過剰症に関しても尽力はしたんですよ。

僕としても想定外で戸惑っていましてね。原因までは突き止められませんでした」


 やはり魔力過剰の状態も把握していた

 そして、さも当然のように続ける。


「今回屋敷を離れたのは急用ができたことと、あらぬ疑いをかけられてもつまらないと思ったからです」


 俺の方へ視線を寄越す。


「それに、ご理解いただけると思いますが、そこの少年に関しても、殺す気はなかった。どうやってここに辿り着いたのかをお聞きしようとしただけです」


 ……さっきの氷の刃。刺さらず、打撲の痛みだけが残った。

 雷も、殺す威力ではなく足を止める程度の威力。

 確かに、言い分としては成立する。


 だが。


 セラは一歩も動かない。


「これがお話しできる全てです」


 クロイツが両手を軽く上げる。


「先ほどもお伝えしましたが急用がありましてね。……もう行ってもよろしいですか?」


 静寂。


 次にセラが口を開いた声は、氷より冷たかった。


「逃すと思うか?」


 クロイツの笑みが、ほんの少しだけ深くなった。


「あなただけなら難しいでしょうが……そこの少年がいるなら、逃げるくらいはできそうですよ」


 空気がぴり、と裂けた。


 次の瞬間、周囲の空間に氷の刃が出現した。

 30どころじゃない。100は超えている。全方向。俺たちを向いている。


 雷からの痺れは回復している。俺は立ち上がると反射的に剣を構える


 セラが指を鳴らした。


 ぱちん、という軽い音。

 俺の周囲に、丸い膜が出現した。透明な球状の障壁。


「動くな」


 セラの短い指示。逆らえるわけがない。


 氷刃が一斉に放たれる。


 大量に襲いかかってくるが、障壁によって阻まれる

 激しい衝撃音が障壁に叩きつけられ、氷は触れた瞬間に砕けていくが

 次から次へと絶え間なく衝撃が走り続ける


 砕けた氷片が光を反射してキラキラと舞い落ちて地面を白く染め上げていた。


 その長く続く衝撃音に紛れて、剣戟の音がした。


 セラとクロイツが、いつの間にか戦っていた。

 互いに剣を持ち、斬り合いをしている

 速い。目で追えないほどじゃないが、俺の理解が追いつかない。


 初めて見るセラの戦い。


 剣術だけでも、ブラムさんから習ったそれとは別のものだった。

 速いということはわかる、ただそれ以上はわからない。

 上段から剣を振り落としたのは見えた。だが剣が二重に見えている。

 そもそもさっき武器などは所持していないがどこから出したのか。

 そしてセラ自身の姿も薄く、ゆらゆらとゆらめいている。


 クロイツもその動きに対応している。急に姿が消えたと思ったら

 セラの後ろに出現する。ただそれも想定済みなのか、体の向きを変えて対処する。


 そして時々2人の周囲から金属同士をぶつけたような音と共に、火花のような光が弾ける。

 魔術の衝突だ。たぶん。

 だが、どんな術式が組まれたのか、俺には分からない。


 今まで見ていた世界が、ひっくり返る様なの衝撃を受けている

 

 それでも二人の動きを目で追いかけていると、セラの方が動きに余裕があるように見える。

(……セラの方が優勢、か?)


 そう思った瞬間だった。


 クロイツが、剣戟の合間にすっと軌道を変え、こちらへ近づいてきた。


(こっちに!?)


 黒く、鈍く光る剣。

 夜の鉄みたいな色の刃が、セラが作り出した目の前の障壁へ突き立てられる。


「うわっ!」


 俺は完全に傍観者になっていた。急に矛先がこちらへ来て、反応が遅れた。


 ずぶり。


 黒い刃が、障壁を貫いた。


(貫く!? セラの障壁を!?)


 障壁内に入った剣先から、三つ重なった魔法陣が生成される。

 円が重なるたびに、嫌な気配が増した。見たことのない配列と構造の術式だ。

 精巧に書き上げられた魔法陣に目が奪われる。

 古代語で書かれた魔法陣は「封印 破壊 緑」ところどころ読み解けるが、複雑すぎる


 クロイツは剣を抜き、口元だけで笑った。


「じゃあね」


 次の瞬間、彼はこの場所から全力で走って逃げた。

(人間の速度か、あれ)

 振り返ることなく、消えていった。


「くっ……!」


 セラがすぐにこちらへ向かってくる。

 クロイツを追うより先に、俺の周囲に残された魔法陣を優先した。


 彼女は手を翳し、指先で空を裂くように払った。


 パシッと乾いた音。

 三重の魔法陣が、砕けて消える。


 それが終わる頃には、もうクロイツの姿は見えなかった。


 セラが舌打ちする。


「……逃げたか」


 俺はようやく息を吐き、アドレナリンが切れて痛み始めた腕を押さえながら立ち上がった。


「……セラさん。あいつ、障壁……貫きました」


「貫いたね」


 セラは遠くを見ていた。追うべき方向を測っている目だ。


「私の顔と名前を知るものはそう多くない、面倒な連中もいたもんだな」


 俺の知らないところで何かが起きようとしているのだろうか。

 

 頭を働かせようとするがうまく働かない。

 目に焼きついて離れない、セラとクロイツの戦闘を思い出しては、

 捉え所のない高揚感に包まれていた。

  


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