20 捜索
薬売りが診察していた診療院へ辿り着くと入り口の周りで数人が話していた。
扉の前にいるので入ることができない。
「どいておくれ、薬売りに用事がある」
セラがそう言うと、中年の男が返事をする
「姉ちゃんも薬をもらいにきたのかい?だが残念だな、クロイツさんの姿が見えなくてね」
クロイツというのは名前だろうか
姿が見えないと言うのはどう言うことだろうか。
扉には鍵がかかっていないので、中に入った
入ってすぐにある部屋は、拍子抜けするほど簡素だった。
ベッド、机、棚、帽子掛け。ここで診療していたのだろう。
だが一つも物がない、空っぽの部屋だ。
奥にも部屋はあるが何も置いておらず、生活感がない。
何一つとして痕跡もない。
衣服も、薬箱も、靴の泥さえ残っていない。
片付けたというより、最初から生活していないような空っぽさがあった。
「……消えてるね」
セラが淡々と呟き、部屋の隅から隅まで視線を走らせる。
「逃げた、ってことですか」
「逃げた、というよりは最初から逃げるつもりで動いてた。この手際は偶然じゃない」
エミルが、顔色を悪くしている。
「クロイツさんは……何も言わずに?」
「分からないことがもう一つ増えたね」
俺は机へ近づく。
表面は磨かれていて、インク染みも紙の切れ端もない。
それでも触れれば、何か拾えるかもしれない。
「……ヒストリックトレース」
ふっと視界の輪郭が薄れた。
白衣の中年。眼鏡。短いひげ。
さっきペンダントで見えたのと同じ顔、あの男だ。
机に向かい、何かを書いている。
文字は滲んで読めないが、筆記の動きはやけに生々しい。
最後に紙を折り、封をするような仕草。
(手紙……)
像が切れて現実に戻る。
「机で、手紙を書いてました。たぶん」
セラが目を細める。
「ふむ」
念のため、ベッドや棚、帽子掛けにも触れてみる。
「ヒストリックトレース」
……いくつかの映像が見えたが、帽子かけには帽子をかけ
ベッドには患者が寝ている。日常が見えただけだ。
「偶然、何も言わずに旅立った……って線は薄いな」
俺が言うと、セラは短く頷いた。
「急ぐよ。早ければ見つかるかもしれない」
通りに出ると、セラはエミルへ視線を向けた。
「この医者、誰の紹介で雇った?」
エミルの喉が鳴る。さらに顔色が悪くなっている
「……クラウディア、僕の母の紹介だったはずです。最近、評判の良い薬師が流れてきたと」
嫌な沈黙が落ちた。
(当主の娘に何かあって、一番利益が出るのは誰だ?)
考えたくない。
だが、考えてしまう。
セラは迷いなく言った。
「クラウディアに会おう」
エミルが一歩前へ出る。
「商会の屋敷で僕と一緒に住んでます。母のところへ案内します」
まっすぐな声だった。
でも、その目には明らかな動揺がある。隠しきれない不安が混ざっていた。
さっき来たバルネス紹介へと戻り クラウディアの部屋へ入る。
机で書き物をしていたようだが、動きには上品さが見える
「……エミル、その方は」
「森の魔女と呼ばれているセラフィナ・ルクレールと言う。隣にいるのはユウト・アマギ。弟子だ」
さらっと挨拶を済ませる
「この度はミアの面倒を見てくださっているようで、ありがとうございます」
クラウディアも状況を把握しているようで挨拶を返す。
「単刀直入に効くが、薬師のクロイツを紹介したのは貴方ですね?どこで知りましたか?」
急いでいたこともあってかセラの声は心なしか冷たい。
「確かに私が紹介しましたが、それが何かどうかしましたか?」
「母上、聞いてください。先ほど話を聞こうとクロイツさんの診療所に向かいましたが、
中は空っぽでした。まるで最初から消える予定で痕跡もありませんでした。」
「それは、どういう……。私は疑われているのでしょうか」
予想外の言葉に動揺した声色で返してくる
エミルが割って入り宥める。
「セラフィナ様はミアを助けてくださった。
今は犯人探しじゃない。逃げた医者の経緯が必要なんです」
クラウディアは唇を噛んで視線を逸らし、やがて苦しそうに口を開いた。
「……私はロラン様の弟と結婚しました。その夫は、エミルが幼い頃に亡くなっています」
声が一瞬掠れる。
「ロラン様は半分、父親代わりのようにエミルを育ててくれました。
ですから私は、ミアを害するような真似は絶対に致しません」
セラが短く言う。
「今は薬売りの行方を探している。紹介の経路だけ教えな」
クラウディアはしばらく黙り、やがてメイドを呼んだ。
入ってきた若いメイドが震えながら言う。
「街の噂で……最近流れてきた薬売りが評判だって……それを奥様にお伝えしただけで……」
「噂だけ?」
「は、はい……」
クラウディアが目を閉じて聞いてきた
「あの男が犯人なのですか?……」
「それはまだ分からない。医師と司祭も関わっているそうだしな」
屋敷を出たところで、俺は思い出したように言った。
「机で手紙を書いてました。
なら、どこかに出してる可能性が高いです」
エミルがすぐに理解した顔になる。
「……この街の手紙の受付は一つじゃない。
冒険者ギルド、運送組合、商会預かり所……全部あり得る」
ラツィオには複数の商会があって、
それぞれが別の街へ、別のタイミングで馬車を出すついでに運んでいる。
つまり手紙の行き先を一つに絞れない。
でも、逆に言えば。
「全部当たれば、まだ間に合うかもしれない」
俺が言うと、エミルは頷いた。
「僕の名前を使えます。
商会預かりなら話は通る」
こうして俺とエミルは、街へ荷馬車を探しに出た。
一つ目、運送組合の預かり所。
エミルが商会名と当主名を出すと、受付の男が露骨に背筋を伸ばす。
「バルネス商会の……? へ、へい。どういったご用件で」
「白衣の医師――クロイツという男が、ここで手紙を預けませんでしたか」
「あぁ……噂の薬師先生ですか。
この間、商会預かりで治療をしていたって話は聞いてます。
でも、手紙は……ここでは見てませんね」
二つ目、冒険者ギルド併設の荷物預かり。
「白衣? 医師?
うーん……見たことあるような、ないような……」
三つ目、西寄りの小さな商会の預かり所。
ここで、ようやく返事が変わった。
「……あぁ、いたいた。白衣に眼鏡の中年だ。
今朝方、手紙を一通預けていったよ。封蝋付きでな」
エミルが即座に言う。
「その手紙を見せてください。至急です」
「……規約が……」
相手が渋った瞬間、エミルが静かに一言付け加える。
「その男は、当商会いえ、当主家に関わる案件で不審があります。責任は私が取る」
受付が顔色を変え、慌てて奥から封筒を持ってきた。
「こ、これだ。まだ荷に乗せてない。今朝預かったばかりだ」
回収できた。
封筒を開くと、中の便箋には、拍子抜けするほど平凡なことが書いてあった。
天気が良いだとか、草花がどうだとか、
季節の移り変わりがどうだとか。
(……これが連絡?宛先すら書いていない)
エミルも眉をひそめる。
「一見ただの挨拶文ですね……」
「封蝋がある」
俺は封筒の口を見た。開ける時に砕けてしまったが確かに赤い封蝋が押されている。
商会の印ではない。自前のものだろう。つまり本人確認のための印。
嫌な予感がして、俺は封蝋に指先を当てた。
「……ヒストリックトレース」
視界が揺れる。
見えたのは家の中。
簡素な部屋。机。窓。
窓の外、木々の隙間に、尖塔のある建物が見える。
(教会……?)
次の瞬間、森道を歩く足元の映像がちらつく。
草を踏む音。湿った土。
像が切れて戻る。
「……教会が見えました。木々の間に。
街の北側に教会、ありますよね。たぶんそこです」
エミルが即答した。
「あります。北の外れに施療院付きの教会が。
あの辺りは家並みもまばらです」
俺は手紙をエミルに渡した。
「これ、セラさんに渡して。
手紙にスキルをかけたら、窓の外から木々の間に教会が見えたって伝えて。
俺は先に北へ走ります」
「一人で?」
「……時間がない。逃げられる前に行きます」
エミルは一瞬迷ったが、すぐに頷いた。
「分かりました。僕はセラフィナ様に報告して、後から合流します」
こうして二手に分かれた。
ラツィオの街は、北から南までざっと5kmほどある。
バルネス家は中心部。
北の外れまで、だいたい2.5km。
石畳を蹴り、露店の準備を避け、路地に飛び込む。
もう昼過ぎだが冷えた空気が肺を刺す。
北へ行くほど家並みはまばらになり、畑と木立が増える。
教会の尖塔が、遠くにちらりと見えた。
(この辺りか……)
スキルで見えた教会の大きさと、木々の位置関係。
記憶の断片を地図に重ねるように、足を止めて辺りを見回す。
そして見つけた。
木立に寄り添うように建つ、小さな家。
窓の形が、さっきの映像と似ている。
ごくりと喉が鳴った。
ノックする。
間を置かず、扉が開いた。
出てきた男は、にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべていた。
白衣は着ていない。だが眼鏡と、短いひげ。
「やぁ。どうしました?」
(……当たりだ)
俺はできるだけ平静を装う。
「バルネス商会のエミルさんから頼まれて来ました。
クロイツ先生を探すようにと」
男は一瞬だけ目を細め、それでも笑みを崩さず言った。
「ああ、それはそれは申し訳ない。
ちょっと薬の素材が必要でね、ここに来ていたんです」
まるで、当然のように自分がクロイツだという口ぶりだ。
「メイドには伝えておいたんですがね。
すぐ戻りますから、そうお伝えください」
そして、軽く肩をすくめる。
「いやぁ、君にもすまないことをしたね。
ちょっと待って。お駄賃をあげよう」
男は家の中へ引っ込もうとする。
にこにこ、にこにこ。
気さくで、親切で、隙がない。
だからこそ、気持ち悪い。
「……いえ。どうしても、今すぐ来てほしいんです」
男の動きが止まった。
「なるほど」
笑みのまま、こちらを見た。
「ところで少年。ちょっと聞きたいんだが、どうやってこの家に来たのかな?」
声音は柔らかい。けれど、言葉の刃が隠れていない。
「どうやって、というのはね。少し奇妙な話なんだが、
この家のことは誰にも教えていないんだ」
笑顔が、変わらないまま続く。
「ちょっと理解できない部分はね、なぜ君はここを知って辿り着けたんだい?」
答えに詰まった。
「エミルに聞いた」と言えば嘘になる。
「たまたま」と言えば、もっと嘘になる。
スキルのことは言えない。
沈黙が落ちた、その瞬間。
空気が変わった。
男の目から、愛想の皮が剥がれた。
そこにあったのは、人間を見る目じゃない。
獲物を見る目だ。
次の瞬間、だらんと垂れた腕が振り上がる。
ナイフが、腹部目掛けて飛んできた。
(来た)
この手のことはブラムさんに徹底的に叩き込まれた。
腰の剣を抜きざま、刃でナイフの腹を叩く。
金属が弾ける硬い音。
ナイフは回転しながら地面に突き刺さった。
俺は剣を構え直し、距離を取る。
目の前の男は、一瞬だけ驚いた顔をしてそれから、口角を上げた。
「……君は、誰だい?」




