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2 片道一時間

 昼下がりの森を、俺はひたすら走っていた。

 足元の土は柔らかく、ところどころに木の根がうねっている。

 少しでも気を抜けば足を取られるような山道だ。


 それでも、セラさんの言葉を思い出しながら、息を切らせて前へ前へと脚を出す。

『歩けば片道三時間、走れば一時間。走って往復』

「……言うのは簡単なんだよなあ、ほんと……!」

 木々のすき間から差し込む光が揺れて、目にうるさい。

 気温は低いが全力で走っていると、シャツが汗で背中に貼りつき、肺が焼けるみたいに熱い。


 けれど、この道は1日おきくらいの頻度で走っている。

 木の根っこの位置まで覚えている

 森の家から村まで、歩けばおよそ半日の往復。

 俺にとっては、剣術を習いに行く日常の道であると同時に、

 自分が「拾われた場所」でもあった。


 この山道を最初に歩いたとき、俺は確かに9歳位の体をしていた。

 あの日のことを思い出そうとしても上手くは思い出せない

 最初に覚えているのは、冷たい土の感触だ。

 うつ伏せに倒れていて、頬に湿った土が張りついていた。

 顔を上げれば、見たこともないくらい高い木々と、やたらと澄んだ空。


(どこだ、ここ)


 そう思ったときには、もう違和感がいくつかあった。

 体が軽い。

 視線の高さが、いつものよりずっと低い。

 手をついてみれば、指も腕も細くて、骨ばっているくせに、肌のツヤがいい。

 慌てて自分の体を確認して、さらに混乱した。


「ちっさ……」


 声も高い。

 制服でもスーツでもなく、見慣れない布の服。

 胸ポケットを探してもスマホはないし、腰にも鍵束はない。財布どころか、ポケットそのものがない。

 あまりにも情報が多すぎて、最初の数分はただ呆然としていた。


 周りには、舗装道路も、電柱も、民家もない。

 あるのは、鳥の鳴き声と、木の軋む音と、風の匂いだけだった。


(いやいや、落ち着け俺。これは……そう、夢か。たぶん)

 そう思い込もうとしたけれど、あいにく頬についた土の感触がリアルすぎた。

 試しに自分の腕をつねってみて、ちゃんと痛かったとき

 俺は心のどこかで「あ、もうダメだこれ」と悟った気がする。


 とにかく、じっとしていても仕方がない。

 倒れていた場所は、森の中の小さな空き地のようなところだった。

 ぐるりと見回して、一番ひらけていそうな方向を選ぶ。


 どこかに、人のいる場所があればいい。

 交番でもコンビニでも、家でもいい。

 この時点では、まだ日本のどこかだと思い込もうとしていた。

 歩き始めてから、どれくらい時間が経ったか分からない。


 いつしか踏み鳴らした道は消えていた。

 木々に遮られ、遠くまで見通せない。獣道みたいなものがあるだけでまともな道は見当たらない。

 腹が減ってきて、喉も渇いて、足も痛くなってきたころ ようやく、木々の間にそれが見えた。


 一軒の家。


 森の中にぽつんと立つ、小さな石造りの建物。

 横には畑と薬草の列。軒先からは、乾かしているのか、束ねた草や花がぶら下がっている。

(……童話で見たことあるやつだ)

 思わずそんな感想が出た。


 森の中の不思議な家。本当に魔女でも住んでいるかのような雰囲気だ。

 引き返すべきか、一瞬だけ迷った。

 でも、他に選択肢はなかった。


 腹は限界に近いし、喉はからからだ。ここをスルーして、先にもっとまともな民家がある保証なんてない。

(魔女でもいいから、水とご飯をくださいって言うしかないか……)


 震える手で扉をノックした。

 木の板が小さく軋む。中からは、何の気配もしない。

 もう一度、こんどは少し強めに叩く。


 すると、奥の方からゆっくりと足音が近づいてきた。

 がちゃり、と錠前の外れる音。

 そして、少しだけ開いた扉の隙間から、銀色の髪がのぞいた。


「……子ども?」


 最初に出てきた言葉は、それだった。

 扉を開けたのは、今とほとんど変わらない姿のセラフィナだった。

 このときはまだ、その名前も、彼女がエルフだということも知らなかったけれど。

 彼女はじっと俺を見下ろし、服の汚れや顔色を一通り確認すると、軽く息をついた。

「見ない顔だね、森で迷子? この辺りでそんな話、聞いてないけどね」


「あ、あの……」

 声がちゃんと出なかった。喉が渇きすぎて、音がひっかかる。

 セラフィナは眉をひそめ、それから扉をもう少し開いた。

「入っておいで。質問は、そのあとでいい」

 その一言が、やけに印象に残っている。


 中に入るなり、水を一杯と、固いパンを少し分けてもらった。

 それを噛みながら、俺は頭の中で言い訳と説明を必死に組み立てようとしていた。

 ここで、「転生しました」と素直に言うべきかどうか。


 結局、半分くらいは正直に話した。

 日本という国で、リサイクルショップの店員をしていたこと。

 仕事帰りに、いつものように店を閉めて、家に帰る途中だったこと。


 気がついたら、森の中で九歳の子どもの体になっていたこと。

 自分で口にしながら、我ながら信用度ゼロだと思った。


 けれど、セラフィナは不思議そうな顔はしたものの、「嘘つき」とは言わなかった。

「ふうん。別の世界の記憶持ちか。久しぶりに聞いたね」


「久しぶり……?」

「五十年に一度くらいはいるんだよ、そういうの。王宮にいた頃、何人か見た。

 あんたが本物かどうかは、しばらく一緒に暮らせば分かるさ

 あまりにもあっさり受け入れられて、逆に不安になった。

 が、同時に「追い出されなかった」という事実に、心底ほっとしていたのも覚えている。


「働く気はあるかい?」

 セラフィナの問いかけに、俺は即答した。

「もちろんです。皿洗いでも薪割りでも何でもやります。お願いします、住まわせてください」

「よろしい。じゃあ今日から、あんたはこの家の奉公人で、弟子見習い。

 名前は?」

「天城ユウトです」

「ゆーと。……言いづらいね。ま、いいか。あたしはセラフィナ・ルクレール。

 森の連中はみんな、ただの魔女って呼ぶけどね」

 そう言って差し出された手を、9歳の俺は震えながら握り返した。


 あの日握ったあの手が、そのまま二年間、俺の生活の全部になった。

 山道を走りながら、そんなことをなんとなく思い出していると

 前方の木々の切れ目から、開けた空が見えてきた。


 森が途切れ、なだらかな坂の向こうに、いくつかの屋根が覗いている。

 土と木で組まれた小さな家々。煙突から上がる白い煙。

 人の気配と、動物の鳴き声と、遠くから聞こえてくる鍛冶屋の槌の音。


 息を整えながら足を止め、額の汗を袖でぬぐう。

 ここからが、午後の部。

 村の剣術指南役にしごかれる時間だ。


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