16 マナベア
グレイウルフとの戦闘が終わり、再び走り出してしばらくすると、
またしても森の奥から重たい気配が立ち上ってきた。
足音。
地面を踏み砕く鈍い振動。
それに混じる、低く湿った唸り声。
(……来たな)
立ち止まらなくても、相手は分かる。
この重量感、この呼吸音はマナボアだ。
一言で言えば魔力を纏った猪だ
以前にも何度か討伐したことがある。
突進、牙での薙ぎ払い、短距離の跳躍。
攻撃パターンは多くないし、読み切れればそこまで難しい相手じゃない。
馬車を止めてもらい、剣を抜いて前へ出る。
闇の中から、赤い目が二つ、ゆらりと現れた。
次の瞬間、地面を蹴り砕くような突進。
「はいはい、分かってますよ」
横へ一歩。
突進をかわし、牙が通り過ぎる瞬間に側面へ回り込む。
魔力で硬化した首元を避け、心臓の位置を狙って斜めに斬り上げる。
悲鳴。
体勢を崩したところに、もう一撃。
それで終わりだ。
倒れた巨体を確認してから、深く息を吐いた。
「……ふぅ」
残念ながら、今回は荷馬車じゃない。
この巨大な肉を積んで帰る余裕はない。
大きな牙だけを慎重に抜き取り、残りの部位は火の魔術で処理する。
グレイウルフのときもそうだったが、後始末に時間がかかる。
(それにしても、もったいないよなぁ……)
肉も皮も、全部持って帰ればそこそこの価値になる。
そう思いながらも、捨て置くわけにはいかない。街道の安全のためだと割り切るしかない。
再び馬車に乗り込み、走り出す。
本来、街道沿いに魔獣が出ることはほとんどない。
討伐依頼が出たとしても探すのに苦労するくらいだ。
いくら夜間とはいえ、二回も遭遇するのは滅多にない。
魔獣だって学習する。
街道沿いは人間が多く、危険だということを本能で理解しているからだ。
だからこそ、違和感があった。
「セラさん……こんなに連続で魔獣が来るなんて、珍しいですね」
素直にそう言うと、セラは返事の代わりに、小さな小瓶を取り出した。
中で、液体が揺れている。
「魔獣寄せを使ってるからね」
「……はい?」
一瞬、言葉を失った。
理解不能であるが、言葉にはできないので
その気持ちだけ、視線に込めて送る。
「こうしておけば、街道沿いにいる魔獣を一掃できるだろ?」
セラは、しれっと言った。
「どうせ、近くにいるならまとめて片づけた方が効率的だ」
「効率って……」
いや、理屈は分かる。
他の村人への安全対策としては、確かに理にかなっている。
(……まぁ、結果的に街道が安全になるなら、いいのか?)
そう自分を納得させるしかなかった。
だが、その直後
森の奥から、これまでとは明らかに違う圧が押し寄せてきた。
空気が重い。
地面が、微かに震えている。
「……まずいな」
マナベアだ。
魔力を持った熊。
さっきまでの魔獣とはレベルが違う。
横目でセラを見る。
……手伝ってくれる気配はない。
悟って、馬車を止めてもらう。
「少し、距離を取ります」
そう告げて降りると、数メートル先へ進んだ。
バッグから、あらかじめ用意しておいた木の枝を数本取り出し、周囲に放る。
どれにも、簡易の火の術式が刻まれている。
魔力を流すと、ぽっ、ぽっ、と淡い炎が灯る。
照明代わりだ。
(以前バルムさんがマナベア討伐してたの、見たことあるけど……)
「こうして、こうだな」と、見た目軽々やっていたが、
あれは怪獣対決だ。
何の参考にもならない。
マナベアは、その巨大な体格にプラスして魔力があるだけじゃない。
その知能が高さが、討伐困難な理由だ。
そして長く生きた個体ほど、攻撃の引き出しが多い。
突進、叩きつけ、フェイント、撤退
個体差が大きく、決まった対策が存在しない。
全身の魔力を高めて備える。
だが、午前の訓練と連戦の影響で、万全とは言えない。
少しずつ回復していた魔力が、じわじわと空っぽになっているのを感じる。
剣を抜き、正眼に構える。
マナベアが距離を縮めるにつれて、全身の魔力を高めている。
隠すこともなく、体毛の奥がほんのり光っているように見えた。
生来持つその魔力で身体強化を自然に習得している個体が多い
そしてその知能の高さから、直線的には襲いかかってこない。
こちらを惑わせるように、軌道を微妙に変えながら接近してくる。
間合いが近づいてきた次の瞬間、
走る勢いのまま、右腕をフックのように振り抜いてきた。
(重い……!)
カウンターで手を切り落とせないかと、動きに合わせて剣を振り抜く。
――ガキィッ。
硬い音。
魔力を高めた前腕に当たり、刃が弾かれる。
恐らく身体強化により強化されている
(ここまでは想定内)
そのまま後方へ跳ぶ。
というより、半分は吹き飛ばされている。
宙に浮きながら、やや早口で詠唱を組み立てる。
「アーシュラ・ケス。マラ・サイ、スィル・デク」
着地と同時に、マナベアが追撃に来る。
左手を前に突き出し、顔面へ向けて詠唱を重ねる。
「……ファイア」
呪文名を唱えた瞬間、
マナベアの目の前に、炎が一気に広がった。
この一撃でどうにかなる相手ではない
ただの目眩しだ。
視界を奪われ、一瞬、動きが止まる。
その隙を逃さない。
踏み込み、剣を心臓に向けて突き立てる。
焦りから身体強化は解けているのだろう
刃が入り心臓を貫いた
抵抗はあるが、確かな手応え。
心臓を貫いてもしばらく動く。油断や禁物だ
俺は剣から手を離し、三歩後ろへ下がって距離を取る。
(……あと、一発分、残ってるか)
自分に残る魔力を計算しながら、呪文を組み上げる。
魔力が足りなければ、不発。
いずれ力尽きるだろうが早めに楽にしてやりたい
「ゼイレンドラヴ・マラ・サイ・ドヴェク・セーム……
ヴォル・トリケント」
詠唱の途中、マナベアが最後の力を振り絞り、
心臓に剣を突き刺したまま、こちらへ近づいてくる。
距離にして、三歩。
手のひらを向けて、短く告げた。
「サンダー」
突き刺さった剣を通じて、
雷がマナベアの体内を駆け抜けた。
びくり、と巨体が跳ねる。
力のない断末魔が、森に溶けるように消え、
そのままマナベアは、重たい音を立てて倒れ込んだ。
……終わった。
膝に手をつき、大きく息を吐く。
背後から、馬車のきしむ音と、
御者の呆然とした声が聞こえた。
「……あ、あんた……本当に、何者なんだ……」
「森の魔女の弟子ですからね」
そう答えながら、他の魔獣の気配がないか確認のために
静かに、夜の森を見回した。




