15 魔獣
フェンデルに着いたのは、太陽がだいぶ傾き始めた頃だった。
村の入口近くの広場には、旅人用の馬車が数台とまっている。
そのうちの一台の前で、暇そうに藁を噛んでいた御者が、セラの姿を見るなりびくっと背筋を伸ばした。
「あ、あんたが……森の魔女様、で?」
「そう。あんたがバルネスの使いの御者かい?」
「へ、へい。ラツィオのバルネス商会から、森の魔女殿が来るから一週間は待機しろって言われてまして……」
御者は頭をかきながら、俺たちと馬車を交互に見た。
馬車は雨風が凌げる立派なものだ。装飾等は控えめだが、扉付きでせいぜい4人乗るのが精一杯だ。
この一台を、一週間丸々押さえておくつもりだったらしい。
(……バルネス商会、やっぱ金持ちだな)
さすがラツィオ有数の商会。
御者は続けて、おずおずと聞いてきた。
「で、その……明日の朝出発でよろしいですか?」
今から出ると、夜間に街道を走ることになる。
フェンデルからは馬車が通れる道だが、森が続いているし、夜は何かと危険だ。
普通なら、日没前に出発するように調整するか、日が落ちたら宿を取るのが常識だ。
「今日のうちに出るよ」
セラはあっさり言った。
「ラツィオまで」
「へっ!? い、今からですかい!?」
御者が素っ頓狂な声を上げる。
「今から行けば、深夜か……夜明け前くらいの到着になりますぜ。
森ん中は魔獣も出ますし、盗賊も……」
「構わないよ」
セラはさらりと言い切った。
「何かあれば、こっちで何とかする」
思わずツッコんでしまったが、セラはニヤリとこちらを見るだけだった。
御者は明らかに渋っている。
口をパクパクさせながら、「いやしかし」「とはいえ」と唸っていたが、セラが一歩近づき、なにやら耳元でひと言、ふた言、三言。
俺には聞こえなかったが、御者の顔が一気に青くなり、次の瞬間には真っ赤になった。
「……へい。わ、分かりました。すぐに馬を繋ぎます」
(何を言ったんだろう……)
ちょっと怖くて聞けなかった。
そんなこんなで、俺たちは馬車に乗り込んだ。
薄暗くなりかけた森の中を、車輪の軋む音を響かせながら進む。
御者は前でぶつぶつと文句を言ったり、ため息をついたりしている。
「ったくよぉ……夜の森なんざ走るもんじゃねえんだ……」
「ご愁傷様です」
小声で心の中だけで慰めておいた。
セラは、特に気にした様子もなく、揺れる幌の中から外を見ている。
「セラさん、そんなに急ぐ理由、あるんですか?」
「あるよ」
外からを見つめる視線をそのままに答える。
「あたしのところに連絡をするってことはよっぽど困っているのだろう、医者やらなんやらには
見せた上で依頼してきているんだ、場合によっては手遅れになるかもしれない」
「そういうものですか」
「まぁ、どこまで期待に応えられるかはわからないがね」
そこで一度だけ視線を上げ、俺をちらりと見た。
「それに美味いものを食うなら早いほうがいいだろう」
「そんなに必死そうに見えましたかね……」
まぁはしゃいでたかもしれないが
しばらく走ると、完全に日が落ちた。
馬車のランタンだけが、周囲をぼんやり照らしている。
森の中は暗く、先が見通せず速度は出ない。
そんなことを考えていた矢先に
森の陰から、黄色く光る目がいくつも現れた。
「お、おいおいおい……!」
御者が前で泣きそうな声を上げる。
「ほら見なさい、出たじゃねえか、だから言ったんだよ夜は嫌なんだよ!」
(ですよね、ご愁傷様です)
心の中でさっきと同じ慰めをもう一度唱えていたら――
「ユウト、いけ」
セラの短い指示が飛んできた。
「……ですよねー」
ボスが言うなら仕方ない。
馬車が止まると同時に、俺は扉を開けて外へ飛び降りた。
夜目の利く狼型の魔獣が、五匹ほど、こちらを取り囲むように移動してくる。
毛並みは黒に近い灰色で、目だけがぎらぎらと光っていた。
「グレイウルフか……」
剣を抜き、片手で構える。
ローヴェン村の近辺では、あまり魔獣は出ない。
それでも、フェンデルの村長からローヴェンの村長を経由して、魔獣退治の依頼が来ることがある。
2年ほど前から剣術指導の一環としてブラムさんとリナと三人で行くようになった
(相手がグレイウルフなら、まあ……なんとかなるか)
背後を木に預け、背中から襲われない立ち位置を取る。
午前中に魔力を完全消費した影響は、まだ体に残っている。
限界まで魔力を使い切ると、生と死の境目が一瞬あやふやになるのか、
自分の体が、自分ではない様に感じるときがある。
今も、どこかふわふわしている。
頭の中で、無理やり思考を戦闘用に切り替える。
グレイウルフの厄介なところは連携してきた時だ
連携を経って1匹ずつ処理が出来るならそう問題はない。
グレイウルフの1匹がひと足先にやってきた
まずは牽制。
剣を軽く振って、不用意に前に出てくる一匹との間合いを測る。
前足が地面を抉った瞬間、すれ違うように一歩踏み込む。
毛並みを無視して力任せに斬りつけても、刃は通らない。
筋肉の動きと、力の向き。流れを見ながら
その合間を縫うように、喉元をえぐる。
一太刀。
血飛沫。
倒れかけるウルフを横目に、すぐに後退。
残り4匹が距離を詰めてくる。
だが今の一撃で警戒したのか、一定の範囲で立ち止まる
そこからジリジリとにじり寄ってきてこちらを伺ってくる。
流石に同時に攻めてこられたら対応の難易度が上がる
牽制で剣を振り回しながら、頭の中で炎属性の魔法陣を組み立てる。
空中に、赤みを帯びた古代文字と紋様が浮かぶ。
出来上がった魔法陣に魔力を流し、起動準備をかける。
「フレイム」
詠唱と共に、魔法陣が砕け、奥の方にいた一匹の足元で炎が爆ぜた。
「ガゥッ!」
ウルフが驚き、足をとられる。
魔獣は魔術に慣れていないことが多い。
突然足元で炎が発生したら焦る
先頭にいた1匹が、反射的に俺に飛びかかってくる。
わずかに身をずらし、首筋を狙って横一文字に斬り払う。
毛並みの流れを逆らわず、力を乗せて切り裂く。
2匹目が、すぐに続く。
牙を剥いて喉元を狙ってきたが、口を開けた瞬間に合わせて剣先を突き込む。
「悪いけど、口の中は無防備なんだよな」
剣を引き抜くと同時に、魔獣が崩れ落ちる。
これで残りは2匹。
残り2匹は警戒心を見せながら、じりじりと距離を取っていた。
だがここまできたらそう難しくない
一番近いグレイウルフから順番に仕留めて終わりだ。
一仕事終えて馬車に戻ると、御者が目をひん剥いていた。
「お、お前さん……すげえな……」
口をぱくぱくさせながら、俺と地面に転がるウルフの死体を交互に見る。
「まだ子どもだろ……? なんだその動き……」
「まあ、一応これでも、森の魔女の弟子なので」
苦笑しながら剣についた血を拭う。
御者はまだ信じられないといった顔で、セラの方を見る。
「本当に……あんたの弟子なんですかい」
「そうだよ。可愛い弟子さ」
セラはいつもの調子で言った。
「だから安心して、馬車を走らせな。魔獣があと何匹か出たところで、問題はない」
グレイウルフの死体を処理する。今回の馬車は荷物を積むようにはできていない。
牙と爪だけ頂戴すると、炎の魔術で焼いて処理する。
そうは言っても魔獣なんてそうそうくるものじゃない
燃える火を見ながら、一仕事終えたつもりになっていた




