129 フィオレ
地下牢へ降りる。
石の壁が湿っていて、足音が妙に響く。鉄と水と冷えた空気の匂い。
いくつか並ぶ牢の前で、リナがこちらに気づいた。
「……あっ、ユウト!」
リナの声が弾む。けれど、笑顔の端が痛々しい。包帯が増えている。
「起きてたか」
「起きてるよ。……ていうか、寝られるわけないじゃん」
隣でアカネも目をこすって、柵に近づいた。
「ユウト……?」
「大丈夫だ、アカネ。迎えに来た」
「……うん」
小さく頷く。声がかすれている。
シルヴィが一歩前に出た。
「二人とも、よかった……本当に」
リナがシルヴィの顔を見て、ぱちぱち瞬きをする。
「……シルヴィさん? なんでここに……?」
「話は後。まず出よう」
俺は短く言った。
「この国を出ることになった。急ぐ」
リナは一瞬だけ目を見開いた。
けれど次の瞬間、妙にあっさり頷く。
「そっか。……わかった」
「……いいのか。理由とか」
「後にしよ。アカネも外に出たがってる」
「お外出たい」
アカネがリナの袖を掴んだ。
「じゃあ、壊すから。二人とも下がって」
俺は腰のアズールに手をかける。
柄が手に馴染む。
「え、切るの? これ」
「うん。切る」
魔力を通す。
刀身は最後に見た黒じゃない。澄んだ蒼で光る。
俺は鉄格子の上下、二箇所を一息に斬った。
がらん、と鈍い音が地下に落ちる。
リナが目を丸くする。
「切っちゃっていいの? あとで怒られない?」
「大丈夫、これから逃げるんだから」
「はは。開き直りすぎ」
リナが苦笑して、それでも安堵した顔になる。
「でもさ。剣、振れるようになったんだね」
「……なんとかな」
シルヴィが咳払いして、現実に戻す。
「荷物、ある?」
「預かってきた」
俺はまとめた袋をリナに渡す。
「助かる。……アカネ、持てる?」
「もてる!」
アカネは両手で袋を抱えて、えっへんと胸を張った。
「……落とすなよ」
「うん……!」
そのとき、クロハが俺の袖を引いた。
「ユウト」
「どうした」
クロハは小さな指で、廊下の奥を指す。
「こっち」
「……こっち?」
俺が首を傾げると、クロハは歩き出した。迷いがない。
リナが怪訝そうに言う。
「さっきから気になってたんだけど、その子誰?」
「クロハだ。……事情があって、一緒に来る」
アカネがクロハの角を見て固まった。
「……つの……」
クロハは一瞬だけ身をすくめて、俺の背中側に半歩下がる。
「だいじょぶ」
俺が短く言うと、クロハは小さく頷いた。
リナはクロハをじっと見てから、ふっと息を吐いた。
「よろしく、クロハ。……あたしはリナ」
アカネはリナに半分隠れながら小声で続ける。
「……あかね……よろしく」
クロハは戸惑いながらも口を開く。
「……くろは。……よろしく」
シルヴィが柔らかく笑った。
「いい子だね。……ほら、行こ」
リナがシルヴィに尋ねる。
「シルヴィさんも一緒に来るの?」
「うん」
シルヴィは即答した。
「こちらのユウト様に命を助けられたからね、恩返ししなきゃだし、
クロハを守るって決めたから。安全なところまで連れていく」
「そっか。じゃあ、みんなで行こ」
クロハに引かれるまま進むと、牢の一つが目に入る。
そしてそこに本来あるはずのないものがあった。
氷の塊。
人の形のまま凍りついた像。
「……っ」
息が止まった。
リナの顔が一気に険しくなる。
「……これ」
アカネは反射的にリナの後ろに隠れる。
「こわい……」
俺は氷像を見つめたまま言った。
「……俺の腕を斬った男だ」
クロハが氷像の前に立って、指さした。
「このひと……ごはん、くれた」
シルヴィが驚いてクロハを見る。
「え……?」
クロハは頷く。
「ごはん……くれた。……でも、こなくなった」
シルヴィが息をのんだ。
「……そっか」
クロハは少し迷って、それから強く言った。
「……たすけて」
「そうだね、でもこうなったら無理かも」
とシルヴィが諌めた。
その通りだ。氷漬けになった人間はもう死んでいる。
はずなのだが、なぜか予感がする。助けられる。
「ちょっと出来るか試してみましょうか」
リナが俺を睨む。
「ユウト。助けるの? こいつだよ。ユウトの腕」
「分かってる……でも、なんとか生きてるし、おかげでもっと強くなれたし」
「だからって……!」
リナの怒りが震えている。
俺も多分逆の立場だったら許せなかっただろう。
「怒ってくれてありがとな、俺なら大丈夫」
とリナの頭に手を置く。
不満そうではあるが、俺の冷静さを見て落ち着いたようだ。
シルヴィが一歩前に出た。声は落ち着いている。
「……ユウト。やるなら、急いで。長くいる場所じゃない」
「……分かりました」
俺は氷像の正面へ回り、格子の外から領域を薄く展開する。
指輪に残る魔力に意識を合わせる。
あの草原の感覚。冷えた風。そして、氷の圧。
「……同じ波長だ」
アオイの魔力で凍らせている。
そして単純な氷というわけでもなさそうだ。
「……いく」
氷の内部に魔力を通そうとする。
だが、魔力が表面で弾かれる。
「……通らない」
クロハが不安そうに声をかける。
「大丈夫?」
「……大丈夫」
出力を上げる。領域内の魔力濃度が上がっていく。
これでもまだ足りない。
「……っ、くそ」
息が荒くなる。
シルヴィが咄嗟に言う。
「無理しないで」
「分かってます……!」
けれど、ここで止めたくない。
ここを越えられればまた一歩先に進める気がする。
今回の紅蓮回廊で限界を超えたはず。
胸の奥を掴んで、引きずり上げるみたいな感覚。
中身がぐちゃぐちゃになって自分が壊れそうな感覚。
喉の奥が熱い。
「……早く、終わらせる」
魔力を押し込む。氷の内側へ、無理やり通す。
グッと押し込んだところで
ぬるりと魔力が浸透した。
魔力の出力を限界を超えて上げている。
あの時のアオイは、この強度でも余裕に見えた。
まだまだ差はあるが。
「……いける」
そのまま崩す。
蒼い氷が、ぱきぱきと割れて、霧みたいに消えていく。
最後の薄い膜が落ちた瞬間。
氷像の男が、息を吐いた。
「……っ」
膝が折れそうになる。反動がでかい。
体の中が空っぽになったみたいに軽い。
男がゆっくり目を開けた。
状況が飲み込めない顔で、周囲を見る。
「……牢、か」
声は掠れている。
男の目が俺に合った。
「……君は……」
その瞬間、腕を斬られた感覚が鮮明に蘇る。
刃の角度。衝撃。血の匂い。
男が、格子越しにこちらを見る。声はまだ落ち着かない。
「……生きている、のか。……君たちが、解かしたんだね」
俺は睨んだまま言う。
「お前は誰だ。……なぜ俺たちを襲った」
男は一拍置いて答えた。
「私はフィオレ・アルベール。……それが名だ」
言い方は淡々としている。
でも、俺の目を避けない。
「なぜ襲った。答えろ」
リナが噛みつくように続ける。
「それと! クロハにごはんあげてたって、どういうこと!?」
フィオレはクロハを見た。
クロハは少しだけ身を縮めるが、目は逸らさない。
「……その子に食料を持っていっていたのは私だ。必要だったからだ」
シルヴィが低い声で言う。
「保護して連れ帰らずに、置いていったのはなぜ?」
フィオレは肩をすくめる。
「今ここで全部話してもいいが長くなる。……見たところ君たちは急いでいるんじゃないか?」
フィオレは周囲に目をやると、状況を理解した顔になる。
「……君たちは、ここを出るつもりだね」
「そうだ」
俺が即答する。
フィオレは少しだけ迷うように息を吐いてから言った。
「……私も連れて行ってくれないか」
シルヴィが即座に拒否した。声が鋭い。
「あり得ない。あなたは捕まってた。ここで償うべきよ」
フィオレはシルヴィを見て、静かに言う。
「それでもいいんだが……私の目的は、その子だ」
クロハがびくりと肩を揺らす。
「……え?」
フィオレは続ける。
「私は、どの道その子を追う。なら一緒に行ったほうが効率的だ」
「それが嫌なら?」
シルヴィの声には警戒の色がさらに深まっている。
フィオレは淡々と答える。
「嫌と言われても追いかけるんだ。最初から同行した方が、
君たちにとって監視しやすいだろう」
リナが唸る。
「……なにそれ。理屈っぽ……」
俺は息を吐いた。
フィオレを連れて行くのは危険だ。
でも置いていくなら、あとで追われる可能性が残る。
いつ来るか分からない追っ手を待つほど厄介なものはない。
「……わかった」
リナが目を見開く。
「ユウト!?」
「ただ条件がある」
俺はロアンをまっすぐ見た。
「全部話すことだ。ここで起きたこと。知っていること全部」
フィオレはしばらく俺を見てから、ゆっくり頷いた。
「……いいだろう。話そう」
シルヴィが俺を見つめる。怒っている。でも、それだけじゃない。
「……本当に、連れて行くのね」
「目を離せませんから」
リナが歯を食いしばって、最後に言った。
「……わかった。ユウトが決めたなら、それでいい。
あたしは隣にいる。変な動きをしたら切る」
俺はアズールを握り直した。
「行きましょう」




