124 希望
「外の世界には、何があるの?」
歩きながらクロハがふいに顔を上げた。
角の影が揺れて、黒髪がランタンの光を吸う。
シルヴィがすぐに笑って応じる。
「そうだねぇ……例えば、ここはずっと暗いでしょ?
外はね、明るい時があるんだよ。朝とか昼とか。眩しくて目が細くなるくらい」
クロハは目を丸くする。
「明るい……」
「うん。それに美味しいものもいっぱいある」
シルヴィは指で数えるみたいに、ひとつ、ふたつと空をなぞった。
「甘いのとか、温かいのとか、冷たいのとか。いろんな味」
クロハが俺の手元の肉を見て、少しだけ身を乗り出す。
「あのお肉よりも?」
「うん。もっといっぱいあるよ」
シルヴィが頷く。
「帰れたら、もっと美味しいの作ってあげるね」
「やった」
クロハの口元が、はっきりと笑う。
その笑顔が出ただけで、胸の奥が少しだけ軽くなった。
シルヴィは続ける。
「あとね、外には人がいっぱいいる。賑やかで、うるさいくらい
「そうなんだ……今は、ユウトとシルヴィと一緒にいるから楽しいけど」
クロハが、すぐに頷いた。
「みんないたら、もっと楽しいね」
「うんうん」
シルヴィが嬉しそうに相槌を打った。
その直後。
クロハが、ぴたりと立ち止まった。
「……?」
シルヴィがすぐにしゃがみ込む。目線を合わせて、表情を柔らかくした。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
クロハは首を振る。
そして、ぽつりと。
「……二人とも、いなくなっちゃうのかな。ひとりぼっちはやだな」
悲痛な表情で呟く。
それを見てシルヴィの顔が、痛そうに歪む。
次の瞬間には、力強くクロハを抱きしめていた。
「大丈夫」
声が震えるのを、シルヴィは自分で押さえ込んだ。
「一緒にいるよ」
クロハが小さく息を吸って、抱きつき返す。
「……うん」
シルヴィが顔だけこちらに向けて、わざと軽く言う。
「頼むよ、お父さん」
「……やめてください」
反射で返したが、脳裏にアカネが浮かんだ。
早く帰らないといけない。リナも、アカネも、待っている。
俺はクロハの頭をそっと撫でる。
「みんなで帰って、美味しいもの食べよう」
言葉にすることで、脱出を改めて誓う。
クロハがこくりと頷く。
歩みを再開した、その時だった。
ドン、と腹の奥に響く炸裂音。
三人とも、同時に止まる。
「ねぇ、今の……」
シルヴィの声が、少しだけ硬い。
「……分かりません」
俺は耳を澄ませる。
「でも、近い。警戒して進みましょう」
クロハが無言で俺の袖を掴んだ。
「大丈夫」
俺は短く言う。
広場に出た。
この先の通路。あの水の壁がある方向。
そこから、人影が現れた。
先頭は、鎧に身を包み、大剣を肩に担いでいる男。
オスカーの装備とは違う。鎧の質も、纏う空気も、重い。
その後ろに、蒼牙隊のカイたち。
白紋連のデュラン、シルヴィの仲間たちもいる。
人数は多いのに、空気がやけに静かだった。
……そして。
リナとアカネが、いない。
「……救援、かな」
シルヴィが安堵の吐息を漏らす。
でも、すぐに眉が寄った。
「……でも、なんか、変だよね」
俺も同じ違和感を抱いていた。
後ろの面々の表情が硬い。疲労だけじゃない。張りつめている。
俺は先頭の男へ一歩出る。
「あの、来ていただいてありがとうございます」
まずは礼を言う。
男は淡々と頷いた。
「ああ。問題ない」
声が冷たい。
「……シルヴィくん。大変だったね。こちらへ来たまえ」
シルヴィが反射で身を強ばらせる。
「え……?」
俺が低く問う前に、シルヴィが小声で俺へ言った。
「初めて見た。でもこの空気感がやだな」
クロハがさらに袖を握り込む。
俺はそっと前に出て、クロハを背に庇う位置を取る。
「……あなたは、誰ですか」
俺は改めて訊ねた。
男は形式的に、軽く頭を下げる。
「失礼。私はSランク冒険者、ガイウスだ。
ギルドから要請を受け、指揮を預かった」
Sランク冒険者。
黄昏鯨がいて通れなかった道を通ってきた答えがこれか。
シルヴィが、喉を鳴らす。
それでも、クロハの手は離さなかった。
「あの……この子はクロハって言います」
シルヴィがはっきり言った。
「ここに取り残されていたみたいで……保護しました。連れて帰りたいです」
ガイウスは一拍置いてから、断言した。
「それは出来ない。見たところ、その子は魔族だ。ここで処分する」
「……っ」
シルヴィが息を呑む。抱える腕が強くなる。
クロハも、理解できないまま空気の変化を感じたのか、
ぎゅっとシルヴィにしがみついた。
俺の口から、反射で言葉が出た。
「魔族……?あの、魔族とは何ですか」
ガイウスは、感情を挟まず答えた。
「高魔力濃度の地で顕現する、知性持ちの異形だ
魔獣と大差ない。人間に害をなす」
クロハが小さく首を傾げる。
「この子は、今ここで何もしていません。
俺たちに敵意も見せていない」
ガイウスは頷きもしない。
「今のところはね。だが魔族は、歴史的に必ず人間社会に被害を及ぼしてきた。
むしろ知性がある分、効率的に害をなす。見つけたら処分する。それが決まりだ」
シルヴィの声が震える。
「……この子は、怖がってるだけです。
私が責任持って面倒見ます。だから」
ガイウスは遮った。
「街一つ滅ぼされた例もある。君はどうやって責任を取るつもりだ?」
そして、こちらへ視線を寄越す。
「君は厄介な引きをするね。……アカネとかいう異形に続き、
こんなものまで拾うとはね」
「……っ」
頭に血が上りかけた。
アカネを、異形。
理性が、怒りを押さえるために軋む。
「アカネは今どこにいるんですか」
俺の質問にガイウスは平然と続けた。
「あれなら牢屋に入れてある」
「……は?」
俺の声が、乾いた。
「リナは」
一語ずつ、噛みしめるように聞いた。
「リナは、どうしてますか」
ガイウスは目を細めた。
そこにあるのは苛立ちでも怒りでもなく、ただの評価だ。
「あの子は異形の連行に納得しなくてね。
抵抗したから、多少お仕置きした。今は同じ牢屋だ。
処分は戻ってからだな」
怒りに視界が白くなる。
でも、踏みとどまる。今ここで爆発したら、終わる。
シルヴィが、歯を食いしばって言う。
「……クロハは、連れて帰ります。
私が、絶対に守ります」
「出来ない」
ガイウスはもう一度、同じ速さで言った。
「ここで処分する。今すぐだ」
話が平行線のまま、緊張感だけが高まっていく。
そして俺を見た。
「それから」
ガイウスの声の温度が、わずかに下がる。
「君もだよ。ユウト・アマギ」
俺の本名が、ここで出た。
背中が冷える。
名を知っている。
「君もここで処分する」
「は?」
思考が止まる。
ガイウスは言い切る前に、俺の周囲を一度見た。
目ではなく、別の何かで測るように。
「……君は、人間じゃないだろう」




