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123 休息


「クロハって、ここ以外の記憶がないんだな……」


俺がぽつりと言うと、クロハは焚き火の揺れる炎を見つめたまま、短く頷いた。


「うん。……気づいたら、ここ」


それだけ言って、指先で床の小石を転がす。


俺は息を吐いて、できるだけ明るい声を作った。

「だったらさ。外に出たら、甘いものでも食べに行こうか」



「おっ、いいねぇ」

シルヴィがすぐ乗る。軽く肩を上げて笑って、クロハの方へ顔を寄せた。

「みんなで行こ。甘いの、元気出るよ」


クロハが首を傾げる。


「……甘いものって、なに?」


シルヴィは一瞬だけ言葉に詰まって、それから肩をすくめた。


「うーん……食べたらね、口の中がとろけそうになって、

 ほわーんって幸せな気分になる」


クロハは少しだけ目を丸くした。

「……そうなんだ、楽しみだね」


俺は話を戻す。


「クロハ。ここから出ようとしたことはあるか?」


クロハは首を振る。


「ううん。暇だから、そのへん歩くくらいかな」



「……そうか」

俺は短く頷いた。


その時、シルヴィがふっと息を吐いた。


「ねぇ、そろそろ体、洗いたい」

真剣な顔で言うのに、語尾だけがいつも通り軽い。

「魔獣もいないし、今ならいけるでしょ」


「洗うって……どうやって」

クロハが聞く。


シルヴィは指を鳴らした。


「お風呂、作ろうよ。ちょっとした窪みに水溜めて、温めるの」


クロハがまた首を傾げる。


「……おふろ?」


「うん。あったかい水に入るやつ」

シルヴィは笑って、立ち上がった。

「手伝って。まず、小石とか取ろ?」


「踏むと地味に痛いんだよねぇ」

言いながら、窪みの周りの石をどけ始める。


「そうなのか」

俺も黙って手を動かす。クロハも真似して、石を拾っては端へ寄せた。



「次は、一回焼き払う」

シルヴィが手のひらを向ける。


『赤き魂よ、我が声を聞け。

 闇を照らし、冷えを払い、

 その燃える意志を我に示せ。

 踊れ、紅蓮の舌』


複数装着している指輪の一つが光を放つと、炎がふわりと生まれた。

火が窪みの周囲をなめ、湿った岩肌から白いもやが立つ。


……現代魔術。

詠唱と魔道具で、現象を引き出す方法。

このタイプの詠唱はかっこいいよなぁ。


「かっこいい……」

つい口にすると、シルヴィが得意そうに鼻で笑った。


「でしょ?」


続いて詠唱を唱える。


『清らかな流れよ、我が声に応えよ。

 大地を潤し、喉の渇きを癒す、

 その優しき力を今ここに集わせ、

 静かに満ちよ、蒼の器』


詠唱が終わると、先ほどとは別の指輪が光り、窪みに水が満ちた。

シルヴィが手を入れて確かめ、眉を寄せる。


「ここから温度調整ね。もう少し温めよう」


短く詠唱して、炎を弱く当てる。

水面が揺れ、湯気が上がり始めた。


出来上がった風呂は、三人が座れるくらいの大きさになった。



シルヴィが腰に手を当てて満足げに言う。


「よし。完成」

それから、わざとらしく俺を見て笑う。

「……一緒に入る?」


からかいだ。分かってる。

分かってるのに、心臓が一拍だけ変な音を立てた。


「……見張ってます」

俺は即答して、視線を逸らした。



「私だけだったら一緒に入ってあげるんだけどねぇ」

シルヴィが笑い声を漏らす。

でも、その笑いは軽いまま、どこか安心も混じっていた。


「ほら、クロハちゃん。服、脱いで」


クロハは一瞬だけ戸惑ってから、小さく頷く。


「……うん」


二人が湯へ向かう気配を背中で感じながら、俺は少し離れた場所へ移動した。

視線は前。意識は周囲。


(煩悩退散……)


自分に言い聞かせて、無心になるように努める。



湯気の向こうで、シルヴィの声がする。


「気持ちいいでしょ」

「……あったかい」

クロハの声は少しぼんやりしていた。


俺はそれを聞きながら、考える。


黄昏鯨の巨大な水の領域。

3人分くらいなら侵食して空間を空けられるが、

敏感に反応してくる。今は難しそうだ。



通る道だけ凍らせると言うのも現実味がない。

そう認識している以上、精霊魔法は通りにくくなる。


考えながら腰の剣に手を当てる。

アズール。


剣を振るのを避けていたが、緊急時のあの時は抜けた。

恐ろしい切れ味だった。

一度触れたことで前ほどの恐れはない。

次も問題なさそうだ。


手札が一つ増えた。

そう思えるだけでも、心が折れにくくなる。



「終わったよ」


背後から声がして、俺は領域を保ったまま振り返る。


シルヴィとクロハが戻ってきていた。

二人とも服は整えている。髪が濡れているだけだ。

クロハは頬が赤く、目がとろんとしている。


「気持ちよかったねぇ」

シルヴィが嬉しそうに言う。


クロハがこくりと頷く。


「……気持ちよかった」


「君も入ってきて」

シルヴィが顎で風呂を示す。

「見張っておくから」


俺は一瞬迷ったが、首を縦に振った。


「……行ってきます」


湯に浸かった瞬間、体の緊張がほどける。

血と泥の匂いが、やっと落ちる。

生き返るとはまさにこのことだ。


帰ったら、家に風呂……作りたいな。


未来のことを考えると、精神が落ち着く。

今は希望が必要だ。



湯から上がると、クロハはシルヴィに抱き寄せられたまま眠っていた。

シルヴィはその寝顔を、優しい目で見ている。


「上がったね」

小声で言う。

「クロハちゃん、寝ちゃった」


俺も声を落とす。


「……無理もないです」


「君も寝なよ」

シルヴィは真面目な目で言った。

「まだ本調子じゃないでしょ」


「……分かりました」

俺は頷いて横になる。


そのまま、意識が落ちた。

身体がまだ休息を求めていた。



目を覚ますと、シルヴィが調理していた。

火のそばで、手際よく肉を薄く切っている。


「おはよ」

シルヴィが振り返る。

「毎回同じ肉でごめんだけど」


「今日は薄切り。食感変えてみた」


「……助かります」

俺が言うと、シルヴィは小さく笑った。


「はい、できた。みんなで食べよ」


クロハも起きていて、肉を口に運ぶ。

少しして、小さく頷いた。


「……おいしい」


切り方ひとつで、確かに食べやすい。

閉鎖空間では、食がそのまま心の支えになる。


食べ終えて、俺は息を整えた。


「シルヴィさん……。一度、黄昏鯨に挑もうと思います」


シルヴィの顔から、笑みが消える。


「……えっ」


俺は、ゆっくり言う。


「このままじゃ、ここに居続けるだけです。

 一度、挑戦してみます」


「無理そうなら、戻ってきます」


シルヴィは唇を噛んで、それから小さく頷いた。


「……わかった。行こう」


クロハが、二人を見比べた。

不安そうな目だ。

「……どこかに行っちゃうの?」


俺はクロハの目をじっと見つめる。

「一緒に行かないか」


「うんうん、一緒に行こうよ」

シルヴィもクロハの手を握って誘い出す。


クロハは少し考えてから、短く答えた。


「……うん。行く」




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