109 迷い
クロイツに、俺だけ呼び出された。
院長室に入ると、カティアさんもいた。
いつもなら書類の山と、クロイツの軽口が先に目に入るのに今日は違う。
二人とも、顔が硬い。
クロイツは椅子に深く座ったまま、指で机を軽く叩いた。
「……ユウト。少し、耳に入れておいた方がいい話が来た」
「何かあったんですか」
カティアさんが、机の端に置かれた一枚の紙を押さえた。
クロイツが口を開く。
「ラツィオで問題が出ている。君たちがいた町だね。
紅蓮回廊が、立ち入り禁止になっているのは知ってるかい?」
「はい。……聞いてます」
「その間に、入口付近から魔獣が出た、と報告が上がっている」
クロイツの声音は淡々としている。
淡々としているのに、腹の底が冷える。
「……街の中に?」
「今の報告では、入口から外へ出たというところまでだ」
そう言い切ってから、クロイツは一拍置いた。
「ただ、放っておけば被害が広がる可能性がある」
「対処は、国が……?」
「当然動いているでしょうね」
カティアさんが短く言った。
「ノルビアの領内の話です。放置する理由はありません」
クロイツが頷く。
「調査と討伐の手配が進んでいる、という方針を聞いている」
喉が鳴った。
「……俺たちに、どうしろって話ですか」
「選択肢を渡したいだけだよ」
クロイツは、珍しく笑わなかった。
「気になるなら、一度帰っても構わない。君たちなら、戦力としては足りる」
「どれくらい危険なんでしょうか」
クロイツは首を横に振った。
「どれくらいの脅威かは正直分からない。案外何もないなんてことはよくある話だ。
向こうにも優秀な冒険者はいるからね。ただ耳に入れておいた方がいいと思ってね」
「……分かりました。ありがとうございます」
カティアさんが、視線だけを少しだけ柔らかくする。
「よく考えて決断してください」
「はい」
クロイツが、最後に一言だけ落とす。
「後悔のないようにね」
院長室を出ると、胸の奥がざわざわした。
嫌な想像が、勝手に形になる。
ラツィオの街並み。並んだ屋台と美味しそうに食べてる人々。
バルネス商会のみんなや、俺たちの家。
紅蓮回廊で見た嵐核ドレイクや白冠グリフォンがもし街に出たら。
「……ない。大丈夫だ」
自分に言い聞かせて、頭を振った。
それでも、足が鍛錬場へ向かっていた。
リナに伝えないと。
守備軍の鍛錬場。
木剣の音と、掛け声が石壁に跳ね返って響いている。
リナは中央にいた。
イクスに習った流れる型と、ブラムさん仕込みの正統派を、切り替えながら打ち合っている。
テッサも最初にリナと打ち合った時は様子見だったようだ。
あの時とは動きのキレが違う。
リナの攻撃を器用に捌いている。
その輪の外側から、アカネが走ってきた。
「ユウトっ!」
抱きついてくる勢いで、目をきらきらさせる。
「真面目にやってたか?」
「うんっ!」
即答。胸を張る。かわいい。
無意識に頭を撫でてしまう。
「じゃあ、型を見せてくれるか」
「みてて!」
アカネは素直に構えた。
体は小さいのに、動きは滑らかだ。
短期間で身につく精度じゃない。
俺の口が勝手に緩む。
「……すごいな。アカネは天才だ」
そこへ、汗を拭いながらリナが近づいてきた。
「出た、親バカ」
「親じゃないが」
言い返しつつ、視線はアカネに戻る。
「でも見ろよ。これ、この短期間でだぞ」
リナも、アカネの足運びを見て目を細めた。
「確かにねぇ。体が小さいから押し負けちゃうけど、覚えるのはすごい早いよ」
それから、リナの目が俺を捉えた。
笑顔が消える。軽口の顔じゃない。
「……で、何かあった?ユウト、変だよ」
なんで分かるんだ。
俺は息を吸って、言った。
「ラツィオで紅蓮回廊の入口から、魔獣が出たって話が来た」
リナの眉が、わずかに動く。
「……そっか。それは大丈夫なの?」
声が、いつもの明るさより低い。
「今の報告だと、被害は出てないって」
「でも、行きたい?」
リナはまっすぐ聞いてくる。
「……迷ってる。街に被害が出たわけじゃなさそうだし。
行くにしたって相当時間もかかるし」
リナは一瞬だけ、目を伏せた。
「なら尚更早めに行かないと」
「……そうだな」
沈黙が落ちる。
アカネが不安そうに、俺の服の裾を握った。
その沈黙を、リナが切った。
「じゃあさ」
リナのトーンが、もう一段下がる。
「戦って決めようか」
「……は?」
リナは木剣を、ぽん、と投げてよこした。
受け取ろうとして指が震えて、取り落としそうになる。
胸の奥で、嫌な記憶が跳ねた。
リナは容赦なく言う。
「ユウトが勝ったら、みんなで帰ろう。勝てなかったら、ユウトは残る。
で、あたしが一人で様子を見に行く」
「おい、待て」
言葉が荒くなる。
「なんで一人で」
「ユウト、剣で戦えないんでしょ」
声に抑揚がなく、淡々と話す。
「だったら、ここに残ってた方がいい」
その瞬間、リナから殺気が漏れた。
空気が変わる。
周囲の兵が、訓練の手を止める。視線が集まる。
テッサが半歩前に出た。
「おい、ここは鍛錬場だ。やるなら……加減しろ」
リナはテッサを見ない。俺だけを見る。
殺気に当てられて腰のナイフに手が行きそうになる。
リナが口角だけ上げる。
「へぇ、そっちでやりたいの?」
その言葉で、リナの目が細くなる。
嬉しいのか、怒ってるのか、判別できない。
「いいよ」
リナから発する殺気がより濃密になる。
俺は反射的に領域を展開した。鍛錬場の一角を包むと魔力を注ぎ込む。
空気が冷えていく。吐く息が白く変化する。
リナの様子も変化する。リナの周囲が、帯電し始めた。
髪がふわりと浮く。木剣の先に、小さな火花が走る。
嵐核ドレイクの時の感覚に近い。
でも、翼はない。
……来る
リナが踏み込んだ。
訓練の速度じゃない。数段速い。
だがその動きを把握できている。
俺の領域の中だ。リナの位置が、線として見える。
リナの目の前に、人よりも大きい氷の柱を顕現させた。
ここでの研究で少しずつ分かってきたが、 精霊魔法は現代魔術とは考え方が違う。
領域内においては魔法陣や詠唱を無視して、強力な事象を発生させられる。
重要なのは想像力。そこに事象があるものとする。
強く認識する。そこには氷の柱が元から存在していたと。
すると何もなかった空間に氷の柱が顕現した。
だが目の前に発生させた氷の柱を見ても、リナは止まらない。
氷の柱を蹴りで砕く。破片が、こちらへ飛ぶように調整された蹴りだ。
大小の氷の破片がこちらへと飛んでくる。
だが破片は、俺に届く前に霧散して漂った。
領域内の密度を、俺が握っている。
この中は、俺の世界だ。
氷の強度が、まだ足りない。
硬く、永久に溶けることのない氷。
リナがまた来る。
今度は連続で氷柱を立てた。進路を塞ぐ。
同じように蹴りを入れるが今度はヒビが入るが、
一撃で破壊されることはなかった。
リナは舌打ちした。
「鬱陶しいっ!」
速度を落として避ける。
避けながら距離を詰める。
そしてリナが間合いに俺をとらえた。
初撃。木剣が走る。
俺は、氷柱を周囲に複数出している。
リナは大ぶりな攻撃は出せない。出せば氷の柱に当たる。
初撃は読み筋だ。ナイフで切るように木剣を受けるが、甲高い音がして弾くのみに終わった。
切られないように力の流れを調整している。上手い。
間合いはこちらが狭いが、中に入ればこちらの方が有利だ。
一歩踏み込んで首元を狙った攻撃を仕掛ける。
同時に俺は死角から氷の刃を、タイミングをずらして打ち込む。
斬るためじゃない。視線と体勢を崩すためだ。
「くっ……!」
リナが避けた一瞬、体勢が崩れた。
俺はさらに踏み込む。
動きが乱れたリナの木剣をナイフで切り落とすと、
俺はそのまま、リナの腕を押さえ込む。
「……っ」
リナは悔しそうに眉を寄せると、目を閉じてから息を吐いた。
「参りました」
その瞬間、張り詰めていた空気が弾けた。
周囲から拍手が起きる。
驚きと、興奮と、安堵が混ざった音。
俺は大きく息を吐くとその場に寝転がった。
リナが頬を膨らませる。
「……中々やるじゃん」
アカネが駆け寄って、俺の上に乗っかった。
「ユウトつよーい!」
「うぐっ」
勢いよく腹の上に乗られて変な声が出る。
遅れて周りで見てた人たちも褒めてくれる。
それでも、思う。
リナは木剣だった。
本来であれば違う戦い方もあったはずだ。
本気の精霊化なら、速度で圧倒されていた。
勝ったのは俺の領域の中で、条件が揃っただけだ。
戦いを思い出しながらリナを見つめていると、
リナが、ふっと表情を緩める。
「……んじゃ、ユウトがちゃんと戦えるのも分かったし」
視線が、まっすぐ俺に刺さる。
「みんなでラツィオに行こうか」
全力の戦いをしたことで、さっきまで曇っていた頭の中はすっきりとしていた。
「……ああ、行こう」




