105 訓練
俺は、目の前の少女アカネに視線を戻す。
リナが腕を組んで、じっとこちらを見ている。
機嫌がいい顔じゃない。
「……アカネ、なのか?」
俺はなるべく静かに聞いた。
アカネは俺の胸に頬を押しつけたまま、顔だけ上げる。
ぱちぱちと瞬きをして、当たり前みたいに言った。
「うん、アカネだよ」
「さっきまで……漂う光だったろ」
言いながら、自分でも信じられない。
アカネは小さく頷いて、唇を尖らせる。
「そう。でも、ユウトが苦しそうだったから、守る」
俺の喉が、きゅっと締まった。
「……あれか、剣の稽古で、倒れたやつ」
アカネは返事の代わりに、ぎゅっと抱きつく力を強める。
(助けようとしてくれたのか)
「……ありがとう」
俺は、頭を撫でる
リナといいアカネといい、
うちの女子たちは俺が苦しんでいると
寄り添ってくれる。
それにしても、解決できない問題が目の前にある。
子どもの姿の精霊を、どう扱えばいいのかも分からない。
リナが、鼻で息を吐いた。
「ねぇ、そのありがとうはいいとして
何が起きてるのか説明、して?」
「……したいけど、俺も分かんない」
俺はリナの方を向いて、深呼吸してから言った。
「ドラに聞いてみよう。同調するぞ」
リナは渋い顔をしたが、肩をすくめた。
「いいよ」
俺は頷いて、リナの魔力の輪郭をなぞるように意識を重ねた。
ドラの姿が浮き上がる
(ドラ。これって、どういう状況なんだ?)
頭の中に、呆れた様な声が響く。
(おまえがへなちょこすぎて、顕現したんだろ)
「……」
へなちょこというセリフが地味に刺さる。
(……顕現って何だよ)
(肉体を得ることだ。我々精霊は、本来この世界に肉体を持たない。
受肉することにより、今のアカネはこの世界に肉の器を持っている)
俺は眉を寄せる。
(こちらの世界で言うとダンジョン内で発生する魔獣に存在が近い)
(魔獣……魔獣ってどうやって発生……)
その瞬間、リナが顔をしかめて割り込んだ。
「ねー、同調して、難しい話しないでよ」
「あ、ごめん……」
俺は反射的に謝った。
(ドラ、要点だけ聞くが今後どうすればいい)
(アカネは、生まれて間もない精霊だ。まだ弱い。
さらに顕現してしまったからな、せいぜい守ってやれ)
「分かった」
同調を解く。
息を吐く。
「要するに、肉体を持っちゃった、ってことか……」
俺はアカネを見る。
アカネは俺の服を掴んで、真剣な顔をして言った。
「ユウトの事、守る」
「……ありがとね」
言いながら頭を撫でる
リナが腕を組み直して、短く言う。
「それで、どうするの?」
「とりあえず、許可を取ってみよう。
ただ、なんて言ったらいいものか」
アカネがぴょこんと手を上げた。
「アカネも行く!」
俺は立ち上がって、アカネの手を取った。
小さくて、やわらかい。
院長室の前に着くと、中から紙をめくる音がした。
ノックすると、カティアの声が返ってくる。
「どうぞ」
中に入ると、クロイツは机に突っ伏しそうな姿勢で書類の山と戦っていた。
カティアは眼鏡の奥の目で、淡々と数字を追っている。
俺が口を開くより先に、カティアがこちらを見た。
「何か用件ですか、ユウトさん」
「ゲストルームの件で」
俺は一拍置く。
「……一人、増えてもいいですか」
カティアの眉が上がる。
俺の横に手を繋いだ小さな少女が立っている。
「一人?……犯罪ではありませんよね?」
まっすぐな確認で、心臓が跳ねた。
「違います」
俺は即答した。
「俺が連れてきたわけじゃなくて……説明が難しいんですが」
アカネが一歩前に出て、きっちり腰を折る。
「アカネです!よろしくお願いします!」
ぺこり。
カティアが、両手で胸元を押さえた。
目が丸い。
「……っ」
声になっていない。
クロイツが顔だけ上げて、くたびれた目でアカネを見る。
「うんうん。それ、精霊だよ」
カティアの顔が固まる。
「せ、精霊……?」
クロイツはいつもの軽い調子に戻っている。
「君たちの近くで、前からふわふわ飛んでいただろう。
ユウトに懐いてたからね。たぶん顕現したんだろう」
助かった。
俺は説明できないと思っていた。
カティアは困惑したままだ。
「……分かりました。研究院としては、興味深い事例です」
言いながらも、視線がアカネから離れない。
「ゲストルームの利用は、問題ありません」
カティアが指先で机を軽く叩く。
「働くかどうかを決める日は近づいています。その点は、お忘れなく」
「はい」
俺は頷いた。
クロイツがにこにこして手を振る。
「期待して待っているよ」
俺は頭を下げた。
「ありがとうございます」
アカネも真似して、もう一回ぺこりとした。
守備軍の本部へ向かう道。
アカネが迷わないように、右手を繋いで歩く。
すると、横から「んっ」と短い声。
リナが手を差し出してきた。
「……何だよ」
俺が言うと、リナは顔を背けたまま言った。
「迷子になると困るし。あと、その子だけ繋いでるのズルい」
「ズルいって何だよ……」
でも、差し出された手は引っ込まない。
俺は観念して、左手も握った。
右手にアカネ。左手にリナ。
昨日まで自由に歩けていたのに、急に身動きが取りづらい。
「まぁたまにはいいか」
アカネが弾む声を出す。
「みんな一緒!」
石壁の門をくぐると、門番がこちらを見て顎をしゃくる。
「おう。今日も来たか、頑張れよ」
「こんにちは」
俺は会釈した。
「お邪魔します」
中に入ると、テッサが気づいて歩いてきた。
「よう、昨日は大丈夫だったかい?」
「ええ」
俺は胸に手を当てて、息を整える。
「……ちょっと、まだうまく使えないみたいで
慣れるために来ました」
テッサは眉を寄せるが、深掘りはしない。
「そっか、無理はするなよ」
それから視線が、俺の右側に移る。
アカネを見た。
「それで……その子は?すごい睨まれてるんだが。はは」
アカネが、テッサをじっと見ている。
目が鋭い。完全に警戒だ。
「アカネです」
俺は短く紹介した。
「事情があって、一緒にいます」
「そりゃ大変だな」
テッサは困ったように笑った。
「訓練で激しく動いてて危ないから、どちらかが見ている様にしてくれよ」
「分かりました」
アカネが、俺の服を掴む。
「ユウトの敵」
小声。真剣。
「敵じゃない」
俺も小声で返した。
「ここで世話になる人だ」
アカネは納得してない顔だが、掴む力は少しだけ緩んだ。
その時、リナがすでに鍛錬場の中央へ向かっていた。
リナの昨日の動きを見ていた兵たちが、今日は最初から油断していない。
空気が引き締まっている。
アカネが急に元気な声を出した。
「アカネもやる!剣、やる!」
「……まだ小さいから」
俺は反射で止めた。
「やる!」
アカネが即答する。
テッサが肩をすくめた。
「木剣なら、端っこでちょっとやるくらいならいいんじゃないか?」
「……分かりました」
俺は木剣を一本借りて、アカネの手に持たせた。
「ここで」
俺は端を指す。
「人の邪魔にならないようにしよう」
「うん!」
アカネは大きく頷いた。
俺は、自分も木剣を持つ。
昨日みたいに真剣勝負だと認識しなければ、多分大丈夫だ。
「お願いしまーす!」
アカネが元気いっぱいに頭を下げた。
「よし、どんとこい」
どんな感じで来るのか気楽に待っていると、
次の瞬間、アカネが消えたように見えた。
「え」
距離があった。
なのに、もう間合いの内側にいる。
木剣が振り下ろされる。
俺の体が反射で動いた。捌こうとする。
でも、手が言うことを聞かない。
指が硬直して、握れない。
木剣が、するりと落ちた。
「……っ」
そのまま、アカネの木剣が俺の肩に直撃する。
痛みが走って、息が漏れる。
「——っ、ごめんね!」
アカネが青い顔で飛び退いた。
両手で口を押さえている。
俺は肩を押さえながら、震える手を見た。
呼吸が乱れそうになる。
(……今のは戦うって認識したのか?)
アカネの動きは拙い。
なのに速い。予想外だった。
俺は息を吐いて、首を振る。
「ごめんごめん……アカネは悪くない」
言葉が掠れる。
「ちょっと手が滑っちゃった」
アカネが涙目で覗き込んでくる。
「痛い?ユウト、痛い?」
「ぜーんぜん、大丈夫」
俺は笑顔を見せる。
「それより、今のアカネ……速かった。すごい」
アカネの顔がぱっと明るくなる。
「えへへ!ユウト守るんだから!」
拳を握って、やる気満々だ。
俺は情けなく笑った。
俺はリナに声を飛ばす。
「おーい、リナ!」
「はいはーい!」
リナが汗を拭きながら寄ってくる。
「アカネ、剣やりたいってさ。……動きが速い。教えてやってくれないか」
リナはアカネを見て、にやっと笑った。
「ほいほーい、アカネちゃん、やってみようか」
アカネが目を輝かせる。
「リナちゃん、行くよっ!」
アカネはさっきのように素早く迫る。
だがリナは一歩も退かない。
受けて、流して、止める。全部軽い。
「はい、そこで止まる」
リナの声が柔らかい。
「今のは速いけど、剣がふわふわしてる」
「ふわふわ……?」
アカネが眉を寄せる。
「うん」
リナは頷いた。
「速さはすごい。だからこそ、まず型ね。
素振りからやってみよ」
「……勝てない」
アカネの肩が落ちた。
リナはしゃがんで目線を合わせる。
「勝てなくていいの。楽しむのが大事だから。
ほら、いっしょに、いち、に、さん」
アカネが小さく頷いて、木剣を構え直す。
姉妹みたいだ。
さっきまで睨んでいた顔が、少しだけ柔らかくなっていく。
俺は震える手を握り直しながら、その光景を見た。
微笑ましい。
でも同時に、胸の奥がずしりと重い。
速かったとはいえ子どもの一太刀で、こうなるのか。
逃げたくなる。
だからこそ、ここで目を逸らしたら、もう戻れない気がした。




