103 トラウマ
ゲストルームに戻ると、扉の外の足音が遠のいていった。
静かだ。石造りの壁のせいか、余計に静かに感じる。
リナはベッドに倒れ込み、両手両足を伸ばした。
「はぁ〜……ふかふか……今日は歩いたねぇ」
俺は椅子に座ったまま、天井を見上げる。
「なぁ、リナ。どうしたらいいと思う?」
声に出した瞬間、自分でも曖昧さが嫌になった。
リナは枕に頬を押し付けたまま、目だけこっちを向ける。
「ゆうとは、どうしたいの?」
「……それが、分かんないんだよな」
答えが出ないまま、喉だけが動く。
「リナはやりたいことってあるのか?」
リナは少し考える顔をした。
「……お父さんより強くなる」
「ブラムさんか」
リナは頷く。
「あの人なら嵐核ドレイクくらいは簡単に倒していそうだ」
リナは即答した。
「お父さんなら倒せる」
リナは断言する
俺は息を吐く。
「俺は……一人で生きていけるようにって、剣も魔術も教わって
少しは強くなったつもりだったのに……Aランクの魔獣には届いてなかった。
精霊化も、もう少し……ちゃんと形にしたい。せめて、ドラがドヤ顔しないくらいには」
リナが吹き出した。
「ドラ、ドヤ顔してるよねぇ」
「してる」
俺も苦笑する。
一瞬、沈黙。
それから俺は立ち上がった。
「……カディアさんに聞きに行こう。剣の訓練できる場所があるかもしれない」
「うん、行こ行こ」
リナは軽い。
院長室の前まで行くと、扉の隙間から紙をめくる音がした。
ノックすると、返事が返る。
「どうぞ」
中に入ると、机の奥でクロイツが書類に埋もれていた。
眼に力は無く、その表情からは生気が失われている。
机の横にはカティアが立ち、別の束を確認している。
視線が書類とクロイツの手元を行ったり来たりしている。
俺は咳払いしてから言った。
「カティアさん、聞きたいことがありまして」
カティアは顔を上げる。声は落ち着いている。
「何でしょう」
「剣術の訓練もしたいんですが。
この街で、そういう場所ってありますか?」
カディアが答えようと口を開いた、その瞬間だった。
クロイツが椅子を鳴らして立ち上がった。
「それならいい場所があるよっ!」
机の横から、いきなりこっちに回り込む。
そして俺の手首を掴んだ。
「さぁ、案内しよう!」
「君たちは動きたいんだろう? うん、健康的で素晴らしい!」
「ちょっ……!」
俺の声より早く、カティアの声が飛ぶ。
「クロイツ!! 待ちなさい!!」
クロイツは振り返りもせず、俺を引っ張りながら言う。
「重要なところは済ませたからね!ね、カティア!」
リナが後ろを振り向きながら、楽しそうに手を振った。
「いってきまーす」
俺は引きずられながら小声で言う。
「いいんですかこれ、後で俺も怒られません?」
クロイツはにこにこしたまま、当たり前のように言った。
「怒られるのはいつも私だけさ。それに君たちはゲストだからね!」
その軽い言い方に、カティアさんの苦労が見える。
外に出ると、クロイツは歩きながら店を指さして説明を始めた。
何の店か、誰がやっているか、どの通りがどこへ繋がるか。
しかも、道ゆく人たちが次々に声をかけてくる。
「院長!」
「クロイツさん!」
「また来てるのか!」
クロイツは手を振り、軽口で返す。知り合いが多い。
俺は歩きながら、気になっていたことを口にした。
「……あの、前にバルネス商会で指輪を盗んだのは、どうしてですか」
クロイツは足を止めずに、笑ったまま答える。
「そうだねぇ……まだ部外者の君には教えられないかな」
目だけが笑っていない。
「職員になれば、その答えを得るだろう……どうかな?」
俺はそれ以上、聞けなかった。
しばらく歩くと、石壁に囲まれた門が見えてきた。
門の上に旗。中から男たちの掛け声。木剣のぶつかる乾いた音。
クロイツが胸を張る。
「さてさて、ここがレステル公国守備軍の本部だ」
門番に軽く挨拶し、あっさり通る。
俺とリナも後ろに続く。
中庭の鍛錬場に、屈強そうな男がいた。
クロイツが声をかける。
「やあ、オルフェン」
男は眉を寄せる。
「何だクロイツ、こんな時間に」
クロイツは俺たちを指さす。
「ちょっと二人ほど、剣の稽古をつけてほしくてね。この二人だ」
俺は一歩前に出た。
「初めまして。ユウトです。隣はリナです。よろしくお願いします」
リナも元気よく頭を下げる。
「よろしくお願いしまーす」
オルフェンは俺たちを見て、率直に言った。
「……子供じゃねぇか」
クロイツが笑う。
「まぁまぁ。こう見えて二人は、簡単には倒れないよ」
オルフェンは肩をすくめて、近くにいた兵へ声を飛ばした。
「テッサ!」
「はい!」
走ってきた男が、姿勢よく止まる。
表情が真面目で、目が鋭い。
オルフェンが言う。
「この二人が訓練に混ざりたいらしい。習熟度を見る。相手をしてやれ」
テッサは俺たちに向き直り、礼をした。
「承知しました。では、お二人はこちらへ」
鍛錬場の中央へ案内される。
そこに木剣が用意されていた。
テッサが名乗る。
「俺はテッサです。よろしく」
声は硬いが、敵意はない。
俺も名乗り返す。
「ユウトです。よろしくお願いします」
リナが手を振る。
「リナでーす」
テッサは頷いた。
「では始めます。先にやる人は木剣を手にしてください」
「はーいっ」
リナは木剣を取る。
テッサも取る。構えが正統派だ。重心が低い。
リナの構えは、今までのものと違う。
円を描くように、肩が柔らかく動く。ノクスの型だ。
テッサが一歩踏み込んで斬りかかる。
速い。
リナは受け流した。
受け流しながら、体が回る。足が止まらない。踊っているみたいに見える。
テッサの眉がわずかに動いた。
戸惑いが、ほんの一瞬だけ出た。
その一瞬で、リナは二歩踏み込んだ。
木剣が大ぶりに見えるのに、狙いが定まらない。体が常に動いているからだ。
テッサの木剣が弾かれ、地面に落ちた。
「……参りました」
テッサが素直に言う。
周りから拍手が起きた。最初は遠巻きだった兵が、いつの間にか集まっていた。
リナは照れたように笑う。
「えへへ」
「ありがとー」
テッサは木剣を拾い直し、俺を見る。
「次は君だな」
……俺の番だ。
リナから木剣を受け取る。
手のひらに、木の感触。
それだけのはずなのに、胸の奥がざわついた。
一歩、前に出て構える。
目の前にはテッサが立って構えている。
それを見ると心臓が跳ねた。
息を吸っているのに、空気が入ってこない。
息を吸えない。胸が膨らまない。
何もしていないのに心拍数が上がる。
なんだこれ、何が起きている。
鼓動が耳の奥でうるさい。
視界が狭くなる。周りの声が遠くなる。
「……っ」
足が抜けた。
立っていられず、その場に崩れ落ちた。
「ちょっと、ユウトっ!」
声が聞こえるがどこから聞こえているか分からない。
遠くのような近くから聞こえているような。
リナの声。
背中を叩かれている気がするのに、感覚が薄い。
誰かが俺を抱え上げる。
「おいおい、大丈夫か」
クロイツの声だ。遠くから聞こえる。
「静かなところに行こう」
白い部屋。薬草の匂い。
医務室のベッドに寝かされ、しばらくして呼吸が戻ってきた。
リナが覗き込んでいる。眉が下がっている。
「大丈夫?顔、真っ青だよ」
「……ごめん。心配かけた」
クロイツが腕を組んで立っている。さっきまでの軽さが少し消えている。
「どうした?体調でも崩してたか?」
「……分かりません。体調も問題なかったはずです」
嘘じゃない。本当に、なんとも無かった。
クロイツは少しだけ声を落とした。
「以前、大怪我をしたことは?……死にかけるような」
俺は黙って頷いた。
「紅蓮回廊で……左腕ごと、切り裂かれたことが」
言葉にしたら、喉が少し痛い。
クロイツはそれ以上、詳細を聞かなかった。
「そうか」
短く言って、息を吐く。
「私は、似た反応をする兵を見たことがある。手に武器を持った瞬間、体が拒む。
……怖さが残ってるわけじゃなくても、勝手にそうなる」
リナが唇を噛む。
「そういえばユウト、ずっとナイフばっかりだったもんね。
前に、剣を壊すのが怖いって言ってたけど」
俺は目を伏せる。
「そうだったかも」
無意識のうちに避けていたのかもしれない。
クロイツは指を一本立てた。
「無視しないことだ。最初のうちは、木剣を持っても何も起きない、ってところから始めればいい。
まぁ、君は魔術師として専念するだけでもやっていける才能はあるから心配しなくてもいいさ」
リナが頷いた。
「それならできそう。ね、通う?」
リナは俺を見る。
「リナはどうする?ここにしばらく通うかい?」
リナは即答した。
「うん。でもユウト、大丈夫?」
俺は、まだ胸の奥に残っている震えを飲み込んで言った。
「……様子見ながら、できるとこからやる」
リナが笑った。
「それでいこ。ユウトが倒れたら、私が背負って帰るし」
俺は天井を見上げる。
「……常に何かしら問題が起きてるな。まったく」
クロイツが肩をすくめ、いつもの笑みを戻した。
「問題があるのは、生きてる証拠だよ。ここで少し休んでいくといい」
俺は返事をする代わりに、ゆっくり目を閉じた。




