102 施設案内
「では、こちらへ」
グスタフに案内されて廊下を進む。
石造りの壁は冷たく、足音が小さく返ってくる。
研究院の中は、外の街より静かだ。
扉の前でグスタフが鍵束を鳴らした。
「ここが資料室です。開けますね」
扉が開くと、紙と革とインクの匂いが押し寄せた。
書棚が壁一面に並び、背表紙がぎっしり詰まっている。
「……すご」
思わず声が漏れる。
頭の中が一気に冴えた。
リナが俺の横で、ぽかんと口を開けている。
「本が……いっぱい……え、これ全部読むの?」
「読むのもいいが……これは眺めてるだけでも価値があるな」
自分でも早口になっているのが分かる。
グスタフが小さく笑った。
「閲覧できる範囲には規則があります。
ですが、概要を知るために目録を見るだけなら、私が立ち会えば可能です」
「……ありがとうございます」
礼を言いながら、棚の高さに目がいく。
これだけで相当の価値がある。
扉に鍵がかかってる理由がわかる。
グスタフが扉を閉め直す。
「次へ行きましょう。長くいると、目が離れなくなりますから」
「……はい」
次の扉は、匂いが違った。
紙の匂いから、金属と油と、少し焦げたような匂いへ。
「ここが工房です」
中には机がいくつも並び、工具、定規、刻印具、部品の箱。
机の上には、組み上げ途中の魔道具が置かれている。
グスタフが奥の一角に声をかけた。
「エルヴィラ。失礼します。院長に連れて来られたユウトさんです。隣がリナさん」
机に向かっていた女性が、顔だけ少しこちらへ向けた。
視線は俺というより、俺の背後を通って図面へ戻る。
「こんにちは。エルヴィラよ」
声は淡々としている。
「よろしくお願いします」
俺は会釈する。リナも真似して頭を下げた。
「……人手が足りなくてね」
エルヴィラは図面から目を離さずに言う。
「期待してる」
「……はい」
机の上の図面が一瞬見えた。
古代語のメモが走り書きされている。
グスタフが小声になる。
「エルヴィラは集中していると、無愛想になるんです。長居は控えましょう」
「分かりました」
工房を出ると、リナが小さく息を吐いた。
「……あの人、怖いっていうか、集中力がすごいねぇ」
中庭に出ると風が通った。
屋根があり、雨を避けられるようになっている。
床には焦げ跡や、何かを固定する金具の跡が見える。
「ここが中庭兼、実験スペースです」
グスタフが周囲を示す。
「風通しが良いので、煙が出る実験もここで行います。
屋根があるので、多少の雨なら問題ありません」
リナがぐるっと見回す。
「ここで魔術の実験できるの、いいねぇ」
「危険な実験は、別の遮蔽室でやります」
グスタフは淡々と付け足した。
「ここは安全な範囲の実験が主です」
「なるほど」
グスタフは歩きながら続ける。
「ほかに院長室、研究室、寮があります。
寮は……使う人と使わない人がいます
研究室に泊まる人もいます」
リナが目を細めた。
「泊まるって……帰らないの?
家じゃないのに?」
「はい。研究が進んでいる時は、帰る判断をしない人もいます。主にエルヴィラですが」
「ああ……」
名前を聞いただけで納得してしまう。
「ここに在籍しているのは、だいたい三十名ほどです。
主な仕事は、魔術の研究、開発、そして魔道具の設計・検証
成果が出なければ、契約を更新できない者もいます」
「……厳しいんですね」
俺が言うと、グスタフは頷いた。
「はい。ですが、そのぶん他にはない設備や資料も揃ってます」
リナが首を傾げる。
「どんな魔道具を作ったの?
ここって、すごいんでしょ?」
グスタフが少し考えてから答える。
「世に出回っているほとんどはここでの開発です。冒険者の方が分かりやすい例だと
魔石式ランタン、着火石などになりますかね」
「へぇ……使ったことある」
リナの声が素直に上がる。
俺は気になって聞いた。
「真似されないんですか?形だけなら、どこかの工房で作れそうですけど」
グスタフは頷く。
「術式の偽装を入れています。それと、暴発防止の術式を重ねて、
単純な模倣で動かないようにしています。
なんとか同じものは作れても、改良することは不可能です。
そして全く同じものを作られても、それは違法ですからね。多額の罰金がかかります。
「……なるほど」
「そう言えばエルヴィラが人手が足りないと言っていましたが、
設備や資料が揃ってるなら、人は集まりそうなものですが」
グスタフは顎に手をやる。
「うーん……そうですね、応募自体はきますが、
採用基準に満たない人が多いですかね。
あとは間諜のような者が来ることはあります」
グスタフは声のトーンを変えずに言った。
リナが袖を引っ張ってくる。
「ねぇ、話が難しいんだけど」
「ごめん」
グスタフが歩みを止めた。
「では、ゲストルームへ案内します。
今日はここに泊まってください。清掃は入っているはずです」
部屋は簡素だが清潔だった。寝具もある。
客人用という感じがする。
グスタフは扉の前で言った。
「この文だと院長は、まだかかりそうですね。よければ、外を歩いて気分転換を」
「分かりました、ありがとうございます」
リナが即座に立ち上がった。
「じゃあ行こいこー。お腹すいたし!」
外に出て、通りを歩いていると良い香りが漂ってきた。
焼けた肉と、油と、香草の香り。
「……飯でも食うか」
「賛成!」
リナが迷いなく付いてくる。
ふらっと入った店の看板に、ステーキの文字がある。
注文して口に入れた瞬間、思わず息が漏れた。
「……うまい」
「うまっ」
リナも目を丸くする。
この味、どこかで
「この匂い……ボグダさんのとこで食べた料理と似てる」
リナが言う。
「俺もそう思った……味も近い」
付け合わせは、ボグダさんのほうが好みだった。
でも肉はここも相当だ。
俺たちが席に着いた時は空いていたのに、食べ始めた頃には行列ができていた。
「運がよかったねぇ」
リナが得意げに言う。
「確かに」
食後に街を歩きながらリナが聞いてきた。
「それで、どうするの?ここ、働くの?」
「正直、分からない」
俺は足元を見ながら答える。
「環境は魅力的だ。でも俺、何を研究するんだろう。
それに研究って、時間がかかりそうだし」
リナは肩をすくめた。
「じゃあ、剣の練習は?」
「剣術訓練できないと困るなぁ」
「私も……体動かさないと落ち着かない」
リナが手を叩く。
「じゃあ冒険者ギルド探してみようよ!訓練場とか、依頼とかあるかも!」
「……そうだな」
探して歩いた。
それらしい建物が見つからない。
通りすがりの人に聞く。
「すみません。冒険者ギルドって、この街にありますか?」
返ってきたのは首を振る仕草。
「知らないねぇ。聞いたこともないよ」
「……そうですか。ありがとうございます」
リナが眉を寄せる。
「え、ないの?」
さらに歩いて、憲兵みたいな人を見つけた。
装備が整っていて、歩き方が硬い。
俺は近づいて声をかける。
「すみません。冒険者ギルドの場所を探しているんですが」
憲兵は俺たちを上から下まで一度見て、言い切った。
「この国に冒険者ギルドは無いぞ。ダンジョンも無いしな」
「……そうなんですか」
「南のノルビア王都ならあるだろ
北のほうのヴァレリア公国なら、あるかもしれん」
言いながら、憲兵は少し笑う。
「冒険者目指してんのか? 夢があっていいねぇ。頑張れよ」
「……ありがとうございます」
俺は頭を下げた。リナも釣られて頭を下げる。
研究院へ戻ると、今度は院長室へ通された。
重い扉。中は静か。中央に立派な机があり、その奥にクロイツが座っている。
……いや、座っているというより、沈んでいる。
表情がぐったりしている。
机の横に、眼鏡をかけた女性が立っていた。
さっきの怒っていた白衣の人だ。
彼女がこちらへ向き直る。
「先ほどは失礼いたしました。私はこの研究院の副院長、カティアです」
「ユウトさんと、リナさんですね」
「はい」
「ユウトです」
リナも短く言う。
「リナです」
カディアはクロイツを横目で見た。
「今回は……院長が、少々強引にスカウトしたようですね」
俺は言葉を選ばずに答える。
「はい」
カディアは頷き、はっきり言った。
「ですので、断っていただいても構いません。この場で決める必要はありません」
クロイツが、机に肘をついて口を挟む。
「いやいや、ただよく考えてくれたまえ、その年でそこまで魔術を使いこなしている。
古代語に関しても相当詳しいだろう。この研究院は、君にとって魅力的なはずだ」
俺は黙って聞く。感情を表に出すと面倒になる予感がする。
クロイツは続けた。
「精霊魔法の研究はほとんど進んでいないが、君はすでにその領域に足をかけている。
うちとしても、欲しい人材だ。本当に、よく考えてくれたまえ」
カティアが淡々と切る。
「ゲストルームの宿泊は許可します。一週間。滞在して、その間に決断してください」
「一週間……」
リナが俺を見る。俺も頷いた。
「分かりました。よく考えさせていただきます」
カティアは一度だけ目を細めた。
「承知しました。規則はグスタフから説明を受けてください」
「ありがとうございます」
クロイツは、疲れた顔のまま、それでも笑みを貼り付けた。
「ようこそ。レステル刻印工学研究院へ。
君がここを気に入ってくれることを願っているよ」




