10 成長
目が覚めると、窓の外はもううっすら明るかった。
薄いカーテン越しに差し込む光の色からして、ちょうど夜明けから少し経ったくらいだろう。
(……よく寝たな)
昨日はあれだけ色々あったあと、結局、昼食を一回食べたきりでそのまま寝落ちした。
ということは、ほぼ丸一日分くらい寝ていた計算になる。
体を起こしてみると、あちこちが重い。
もう痛みはないけれど、だるさだけはしっかり残っていた。
(回復魔法って、やっぱり万能じゃないよな……)
傷口は綺麗になくなっている。
けれど、削れた体力や、一度限界まで振り絞った筋肉の疲労までは元に戻らないらしい。
それでも、ベッドから降りる。
まだふわふわする足にぐっと力を込めた。
(朝食作りも仕事のうちだしな)
魔女の弟子兼奉公人として、この家で暮らしている以上、サボるわけにはいかない。
気合を入れて着替えを済ませ、そのまま台所に向かった。
調理を任され始めたのは、二ヶ月ほど前だ。
それまでは、野菜を洗ったり皮をむいたり、皿を片付けたりといった下ごしらえ専門で、火の番や味付けには手を出させてもらえなかった。
『あんたの味覚を信頼できるまでは任せないよ』
と、セラに言われたのを、地味に根に持っている。
(今思うと、まあ妥当な判断だったのかもしれないけどさ……)
竈の薪を組み、魔石部分を指で弾いて火を点ける。
パンを切り、昨日の残り物のスープに水と野菜を足して温め直し、卵とハーブで簡単な一品を追加する。
ちょうど湯気が立ち始めた頃、階段を下りてくる足音が聞こえた。
「おはよう、ユウト」
振り向くと、セラがいつものローブ姿で台所に入ってきた。
寝起きとは思えない整った顔と、さらっとまとめられた銀髪。
この人、本当に朝に弱いとかそういう概念が存在しない。
「おはようございます、セラさん」
いつもの挨拶を返しながら、テーブルに皿を並べる。
「昨日はよく眠れたかい?」
「よく寝ました。こんなに寝たのは初めてです」
「それなら結構。体がまだ重いだろうから、朝飯をちゃんと食べな」
軽くそう言って、セラは椅子に腰を下ろした。
「今日の予定なんですけど……」
パンを配りながら聞いてみると、セラは一度スープをすすってから答えた。
「午前中は、魔力操作の訓練と魔術設計。
午後からは、ローヴェン村での剣術指導だ」
「剣術は、いつもどおりブラムさんのところですね」
「そう。昨日の件もあるし、顔を出しておきな。あいつには簡単に話をしてある」
「わかりました」
何て言われるんだろうか、だらしないとでも言われるだろうか
苦笑しつつ、パンをかじる。
固いが、スープに浸せばどうにかなる。
食事を片付けたあと、魔力操作の訓練をするため、家の外に出た。
冷たい風が頬を撫でる。
森の朝はまだ少し肌寒い。
それでも、太陽の光が斜めから差し込み始めていて、日向に出るとじんわりと暖かかった。
「今日は外でやろう。空気を入れ替えた方が、少しは頭も回る」
セラの提案で、庭の一角、いつも瞑想をしている大きな木の根元に座る。
あぐらをかいて背筋を伸ばし、深呼吸。
「昨日みたいな、死にかけのあとだとね」
背後から、セラの落ち着いた声が聞こえてくる。
「命のやり取りや、衝撃的な経験をした直後は、魔力を感知しやすくなることがある。
生きようとする生命エネルギーが、一時的に高まるなんて説もある」
言われた通り、そっと目を閉じる。
呼吸をゆっくり整え、意識を外から内へ向けていく。
心臓の鼓動。
血の流れる音。
空気が肺に入って、また出ていく感覚。
(……その、もう一枚内側)
セラに何度も言われてきたことを思い出す。
筋肉でも、血液でもない。
それよりもっと曖昧で、流動的で、形のないもの。
しばらく何も掴めず、いつもどおりの「よく分からない静寂」が続いた、その時だった。
(……あれ?)
体の中で、何かが、細く流れているような感覚がした。
川というより、薄い霧の流れ。
体の内側、筋肉と骨の間くらいを、すうっと何かが巡っている。
それが、左足の太ももと、腹のあたりで、少しだけ乱れているのが分かった。
(ここ……昨日ナイフが刺さった場所……)
傷はもう塞がっている。
でも、その部分だけ、流れがわずかに渦を巻いているような、引っかかっているような違和感があった。
(これが、魔力……なのか?)
半信半疑のまま、その流れに意識を合わせてみる。
太ももから腹、胸、肩、腕へ。
動くようなイメージを作る。
すう、と、何かがそれに応じて動いた。
(……動いた)
錯覚かと思ったが、何度やっても、同じように流れが追いかけてくる。
(これを、手のひらに……集める)
意識で押し流すようにして、流れを右腕から手のひらへ寄せていく。
手のひらの内側が、じんわりと温かくなる。
ごくりと唾を飲み込んでから、ひとつ、短い呪文を口にした。
「ナイレン・ケルト・ウォーター」
瞬間、手のひらがひやりとした。
次の瞬間、パシャッという、情けない音がした。
「……おお?」
恐る恐る目を開けると、手のひらから滑り落ちた水の玉が、地面の土を少し濡らしていた。
ビー玉より少し大きいくらいの、小さな小さな水球。
「で、できた……?」
指先を見つめたまま、声が震える。
「できた。できたっ!」
思わず立ち上がり、興奮して振り返ると
「よくやった」
すぐそこに、セラがいた。
さっきまで少し離れた場所にいたはずなのに、いつの間にかすぐ後ろまで来ていたらしい。
「セラさん、俺、今」
「見てたよ」
嬉しそうに目を細めると、セラはすっと両手を広げた。
「……え?」
謎の動きに、思わず固まる。
「ほらほら、また抱きしめてやろう」
ニヤニヤしながら言ってくる
「へっ、あ、あの、その……!」
変な声が喉から飛び出した。
顔が一気に熱くなって、額からも変な汗が出てくる。
(やめてくれ、中身おっさんには色々とダメージが……!)
限界を感じて、俺は全力で現実逃避することにした。
セラを無視してくるりと前を向き直り、再び地面に座り込む。
「ええい、瞑想続行!」
「つれないねぇ」
背後からの苦笑混じりの声は聞こえたが、もう一度目を閉じる。
魔術の習得で一番難しいのは、感覚を掴むことだとされている。
魔力の流れを感じられなければ、どれだけ理論を詰め込んでも意味がない。
それが出来ずに、魔術が一生使えない人も多いのだと、セラは前に言っていた。
(さっきの感覚、ちゃんと覚えないと……)
忘れないうちに復習だ。
もう一度息を整え、さっき感じた流れを探す。
今度は、比較的すんなり見つけられた。
その瞬間、背中から、ぎゅっと抱きしめられた。
「……え?」
体がびくっと跳ねる。
振り向こうかと思ったが、ふざけている様子はない。
さっきのニヤニヤモードとも違う、静かな気配。
「続けていいよ。そのまま」
耳元で、少しだけ低い声がした。
先日死にかけたとき、セラはいつもどおりに見えた。
いつもの調子で、いつものように話していた。
けれど、本当は思っていたよりずっと心配をかけていたのかもしれない。
ぎゅっと、セラの腕に手を添え、握り返す。
肌寒い朝だけれど、背中側だけやけに暖かい。
太陽の日差しと、セラの体温と、魔力の流れと。
いろんなものに包まれながら、しばらく、そのままで過ごした。
次は、魔術設計の時間だ。
魔道具の作成や、魔法陣の作成に必要な技術。
いわば、「魔術を形にして固定するための設計図づくり」。
古くなった木の枝を数本拾い、皮を剥ぎ取る。
ナイフの刃で白木の表面を薄く削り、そこに古代文字と紋様を刻んでいく。
「一番簡易的な方法だけどね。失敗しても、枝が黒こげになるくらいで済む」
セラがそう言いながら、自分用の枝を一本手に取る。
刻みつける文字と紋様は、呪文のようなものだ。
魔力の流れを誘導し、特定の現象を起こすための「道筋」を刻んでいる。
今刻んでいるのは、初歩の初歩。
さすがに、もう何十回も書き写しているので、頭には入っていた。
(問題は、ここから複雑になったときなんだよな……)
魔石に直接刻む場合は、暴発防止や制御のための紋様がいくつも追加される。
セラが使う魔道具の設計図なんて、線と記号の迷路にしか見えない。
(あれはまだ、全然覚えられる気がしない)
ひとまず今は、目の前の一本に集中する。
火の魔術式が刻まれた枝を一本完成させると、深呼吸をしてから、さっき掴んだばかりの魔力を流し込む。
枝全体に、じんわりと熱が走った。
(……いけ)
意識で押し込むように魔力を通すと、刻みつけた文字と紋様の部分が、赤く光った。
次の瞬間、ぼっと小さな炎が立ち上がる。
「おお……」
先ほどの水のときとは違う、乾いた熱。
自分の魔力で発動させた火は、暖炉の炎とは違う、妙に生々しい気配があった。
感慨深い。
今まで講義でしか知らなかった「魔術設計」が、自分の手の中でちゃんと動いている。
燃えたことで、枝に刻んだ魔術式は徐々に削られていく。
紋様の線が崩れ、やがて魔力による発火は止まる。
けれど、いったん燃え始めた枝は、そのまま普通の木として燃え続け、やがて黒い消し炭になった。
「成功だね」
セラが満足そうに頷く。
「なんだか急に成長した気がします」
「急に、じゃないよ。昨日までの積み重ねだ」
そう言われても、口元が緩むのは止められない。
気づけば、ニヤニヤしてしまっていた。
午前の授業も終わり、ローヴェン村へ向かう準備をしていると、セラが何かを手に持ってやってきた。
「あと、これを持っていけ」
差し出されたのは、取っ手付きのカゴだ。
中には木の箱がいくつかきっちり詰められている。
ひとつ開けてみると、中には軟膏のような傷薬が。
別の箱には、小さめの魔石が幾つか並んでいた。
「この間もらった注文分だ」
定期的に薬や魔道具などの注文が入る。貴重な現金収入の一つだ
「了解です。」
「落とさないように、それだけ気をつけな」
「はいはい」
カゴをしっかりと握り直す。
「行ってきます」
「行っておいで。今日は――」
そこで、セラは少しだけ目を細めた。
「いつもより、少しだけ慎重にな」
「……はい」
短く返事をして、家を出る。
森の空気が、胸の奥までひんやりと入ってくる。
昨日と同じ道。でも、昨日とは違う自分。
カゴを片手に、俺はいつもの道を走り出した




