1 日常
森の朝は生命に満ち溢れているが、静かだ。
窓の外で鳥が鳴き、風が枝を揺らす音がする。そのくせ、人の足音だけは一つもない。
目を覚まして天井をぼんやり眺めると、昨夜見た夢の残り香が、まだ頭の中にうっすらと残っていた。
久しぶりに日本の夢なんか見たな
シャッターの音、蛍光灯の白い光、山積みの中古ゲーム機。店内で流れるBGM。
いわゆるリサイクルショップで働いていた日常
確かにそこにいたはずなのに、今ここにあるのは粗い木の天井と、藁を詰めたベッドだけだ。
あらためて一度だけ確認して、俺は体を起こした。
こちらの世界に来てからもう二年が経つ。
二年も経つと、記憶も薄れてきてあっちの世界が夢だったんじゃないかと思えてくる
ベッドの横には、昨日のうちに畳んでおいた粗末なシャツとズボン。
着替えながら、二年前まで日本で働いていた自分を思い出す。
朝一で鍵を開けて、店内の照明をつけて、空調をつけて。
「懐かしいな」
口に出して苦笑した。代わりにあるのは、煙突付きの石造りの暖炉と、魔石がはめ込まれたランタンだけだ。
桶を抱えて外に出ると、森はもうすっかり目を覚ましていた。
家の裏の小さな畑には霜が薄くおり、向こう側には薬草の列。
さらにその先に、井戸がひとつぽつんと口を開けている。
井戸で水を汲み、桶に満たして戻る。
そのまま暖炉の前にしゃがみこみ、薪を組んでから、暖炉にはめ込まれている魔石を操作する。
親指で軽く押し込むと、魔石の内側に灯りがともる。
内部の魔力を利用して魔術が発動する。薪から煙が出てきて、やがて火がついた。
「よし」
この世界の魔道具は発展している。魔術が使えなくても、俺でもできる。
魔石の内部に溜められた魔力を利用した、簡易操作で出来る簡易魔術。
魔術を使うとなると問題はその先だ。
自分の中にある魔力を感じる感覚。
その感覚がどうしても掴めない。
(基礎理論はもう三周くらい教わったんだけどな……)
頭で理解できるのと、体でできるのは別物らしい。
台所に行くとパンを切り、昨夜のスープを温め、ハーブ入りの卵焼きもどきを作る。
台所に匂いが満ちる頃、階段を下りてくる軽い足音が聞こえた。
「おはよう、ユウト」
入ってきたのは、見慣れた魔女セラフィナ・ルクレールだ。
長い銀髪を後ろでまとめ、深い緑のローブを羽織った姿は、どう見ても二十代半ばくらい。
だが本人いわく、百年以上前には王宮で魔術師をしていたらしい。
つまり、見た目はお姉さん、中身はそこの知れない歴史書である。
「おはようございます、セラさん。パン、ちょっと固いです」
「パンは固い方が日持ちする。贅沢を言える立場かい?」
「魔女の家って、もうちょっと夢のある食卓だと思ってました」
「夢は腹の足しにならないよ。さ、いただきます」
ふふ、と小さく笑いながらセラフィナは席についた。
俺も向かいに座り、二人で簡素な朝食をとる。
食べながら、今日の予定を確認した。
「午前中は……大陸史の続きと、魔術理論の復習ですね」
「それから、基礎魔術設計の課題をひとつ。午後はローヴェン村まで行って剣術の稽古だ」
「わかりました」
なお、村までは森を抜けて歩いて片道三時間。
それを一時間で行けというのは、十一歳児への要求としてどうかと思う。
最初にやらされたときは、帰り道で本気で泣きそうになった。
朝食を片付け、部屋を簡単に掃除したところで、勉強の時間になった。
書棚から分厚い本を三冊引っ張り出してくる。
『大陸史』『魔術理論』『基礎魔術設計』
世界史……というか、この世界の大陸史は嫌いじゃない。
王朝がどう変わったか。どの国が魔術をどう扱っているか。
商人ギルドや冒険者ギルドの成り立ちなんかも出てきて、聞いている分には結構面白い。
問題は、やっぱり魔力の操作だ。
「魔力は流れるものじゃない。何度も言っているけれど、循環するものだよ」
セラフィナの落ち着いた声が部屋の中に響く。
古びたテーブルの上には、彼女がさきほど描いた小さな魔法陣が広がっている。
紙の上の線と、指先でなぞられた空中のイメージそれが彼女の黒板とチョークの代わりだ。
「体の内と外を行ったり来たりしながら、世界と繋がっている。
循環している輪の一部だけをつまんで、形を与える。
それが呪文であり、陣であり、意志だ」
「……ええと、流れじゃなくて輪っかってことですよね?」
「そう。輪っかを、少しだけ歪める。
あんたは頭で分かっていても、輪っかに触ろうとしてない」
「触れてるつもりなんですけどねえ……」
魔術理論についてはなんとなく頭に入っている。
魔力とは何か。世界とは何か。この世界の人々がどう定義しているか。
なのに、目を閉じて自分の中を探っても、そこには何もない。
空っぽの身体を、何度もノックしているような虚しさだけが残る。
セラフィナはしばらく俺の顔を眺めてから、ふっと息をついた。
「焦るんじゃないよ。寿命が短い種族ほど、急ぎすぎる傾向があるね」
「いや、エルフ基準で言われても……人間はそんなにゆっくり生きてないんで」
「だからこそ、基礎を叩き込むんだ。魔術も剣も、テンチョーもね」
最後にさらっと日本時代の経歴を混ぜてくるあたり、この魔女はなかなか性格が悪い。
店長として仕事やらせてもらってましたが、ただの一社員で誇るようなものでもない。
「はいはい。じゃあ、今日も魔力の輪っか探しからですね」
「そういうこと」
座学も魔術理論に関しては基礎は終了したのだが、魔術設計については基礎から先に進めていない
魔法陣の作成や術式の作成は古代言語の使用が前提となっているので
古代言語の読み書きを学習した上で、構造を組み立てていく必要がある。
むずい
セラフィナの講義は、今日も淡々と続いていく。




