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古典落語『死神』は、江戸時代から語り継がれる名作である。


ある貧乏な男が首を吊ろうとしたところ、死神が現れて特別な力を授ける。


その力とは「人の寿命を見抜く能力」だった。


病人のベッドの足元に死神が立っていれば助かり、枕元に立っていれば死ぬ運命にある。


男はこの力を使って医者として大成功を収める。


「この病気は治る」


「この病気は治らない」


的確に診断し、治る患者だけを診察することで、名医としての評判を得た。


ある時、男は大金持ちの娘の病気を診ることになる。


娘のベッドの枕元には死神が立っている。つまり、娘は助からない運命だった。しかし、その娘の父親は「娘を助けてくれたら莫大な報酬を払う」と申し出る。


男は欲に目がくらみ、死神との約束を破って娘のベッドの向きを180度回転させた。これにより、死神が足元に移動し、娘は一命を取り留める。


怒った死神は男を地下の洞窟に連れて行く。


そこには無数のろうそくが燃えており、それぞれが人間の命を表していた。


長いろうそくは長寿、短いろうそくは短命を意味する。死神は男に言う。


「お前が約束を破ったため、お前の命のろうそくは今にも消えそうになっている」


見ると、男のろうそくは今にも燃え尽きそうなほど短くなっていた。男は慌てて頼む。


「新しいろうそくに火を移させてくれ」


死神は言う。


「では、自分で移してみろ」


男は必死に新しいろうそくに火を移そうとするが、興奮と恐怖で手が震え、かえって自分のろうそくを消してしまう。男は最後に喘ぐように言う。


「ああ、死んじまった」


これが古典落語『死神』の結末である。欲望に負けて約束を破った報いを受ける、教訓的な話として親しまれてきた。


-----


「俺の『死神』は...『Zoom死神』だ」


MCリボーンが語り始めると、彼の背景が変わった。薄暗いアパートの一室。パソコンの光だけが顔を照らしている。


「昔々、ある男がいました」


リボーンの声は、いつもの軽薄さを失って低い。


「名前は...そうですね、『ナカムラ』としましょうか。フリーランスのウェブデザイナーでした」


画面に映るのは、疲れ切った三十代の男性がパソコンの前で頭を抱えている姿。


「ナカムラは仕事がうまくいかず、クライアントからは毎日のように罵声を浴びせられていました。『センスがない』『こんなの素人以下だ』『金返せ』って。それでもナカムラは感情のこもらない笑顔とおべんちゃらを言い続けて耐えて、耐えて、仕事を続けました。そうするしか生きていく術がないと考えていたのです。」


リボーンの低い声に、まるで実体験でもしたかのような苦々しさが滲む。


「ですが、我慢しているだけでは上手くいかないのが世の中です。ナカムラの仕事の評判は右肩下がり。耐えても耐えても、報酬は上がらず、赤字の日々。やがてナカムラは、全ての仕事を失いました。貯金も底をつき、家賃も払えない」


MCリボーンはそこで間をとる。他の全員の顔色を伺うように。


「そして、とうとうある夜、耐えきれなくなって、首を吊ることにしました」


誰かがのマイクがオフになっていないのか、息を呑むのが聞こえた。


「ところが、縄をかけた瞬間、パソコンから『ピロン』という音が鳴りました。Zoomの着信音です」


リボーンの語りに、他の参加者たちも聞き入る。


「『こんな夜中に?』と思いながら画面を見ると、ZoomのUIの向こうに、黒いフードを被った死神が映っていて、こっちを値踏みするように見ていました。死神は言いました。『ナカムラ、お前は死ぬには惜しい男だ』『何がですか?』とナカムラ。すると死神はにやりと笑うのです。『お前にはセンスがある。ただし、生きる方向性が間違っていただけだ』」


MCリボーンの声に、次第に苦い感情が込められていく。


「死神は続けました。『お前に新しい仕事を与えよう。死にたがっている人間を、死へと導く仕事だ。表向きは司会者、イファシリテーター、イベントの進行役みたいなもんだ。場合よっては死なないやつも出てくるかもしれん。だが実際はみんな死ぬ。人は死ぬ。人を死なせる。この仕事はおまえには良く似合う』」


小さな画面の中でミチルが驚くように痙攣したのがわかった。トラウマを刺激されたのだろう。


「ナカムラは驚きました。『人を死なせる仕事?』『そうだ。お前は死の間際まで行った。だからこそ、死にたがっている人間の気持ちがわかる。その経験を活かせ』」


朝比奈は編集者の(さが)でこの物語の先を考えてしまう。どんな続きになっても、ろくなものにはならなさそうだ。


「死神は言いました。『ただし条件がある』『条件?』『この仕事を続けるうち、お前は徐々に人間としての感情を失っていく。最後には、他人の死を楽しむようになる』」


リボーンの声が暗くなる。


「でもナカムラは構いませんでした。どうせ失うものなど何もない。感情なんてとっくに枯れ果てていると思っていたから。涙も怒声も笑いも嗚咽も、既に何もなくなっていたと思っていたのです」


MCリボーンの背景画面が消える。


「こうして、ナカムラは死神のイベント司会者になりました。最初のうち、ナカムラはイベントの参加者に同情していました。『この人たちも俺と同じように苦しんでいるんだ』と。でも、数か月、数年と続けるうちに...」


リボーンの表情が歪む。


「ナカムラは気づきました。自分が参加者たちの絶望する顔を見るのが楽しくなっていることに」


吹っ切れたようにMCリボーンは微笑む。


「『あぁ、また一人絶望した』『今度はどんな壊れ方をするのかな』『ほら、もう少し。もう少しでダメになる』『ほら、その表情。いい絶望の顔をしてるよ』そんなことを何回も何年も続けていくうちに、ナカムラは完全に感情を失いました」


誰か、男の呻き声が聞こえた。カモシダだろうか。


「悲しむこともできない。怒ることもできない。ただ、参加者たちが苦しむ様子を眺めて、機械的に楽しむだけ」


MCリボーンの顔に、空虚な笑いが浮かぶ。


「でも、ナカムラには一つだけ残っているものがあります。それは『記憶』です。自分がかつて、参加者たちと同じ立場だったという記憶。その記憶があるからこそ、ナカムラは完璧に彼らを絶望させることができる。なぜなら、どこを突けば一番痛いか、手に取るようにわかるから」


リボーンの声が、ゾッとするような冷たさを帯びる。


「ナカムラは時々思います。記憶なんかもういらないのにな。だってもう、どこをどうすれば人が壊れるのか、十分にわかっているんだから。でもそうしたら?自分の記憶を失ったら?自分も壊れるかもしれない。あるいは、もう壊れているのかも。もしかしたらそれが幸せなのかも?みなさんは、どっちだと思います?俺が壊れているのかどうか。そしてみなさん自身は?」


MCリボーンはふっと顔の表情を緩めた。


「これが俺の『Zoom死神』です。救われた男が、今度は他人を地獄に突き落とす話。そして最も恐ろしいのは...」


リボーンが参加者たちを見回す。


「ナカムラは今でも、自分が『救われた』と思っていることです」


リボーンが語り終えると、深い沈黙が流れた。これは落語ではなく、リボーン自身の歪んだ成功体験の告白だった。いや、成功体験と言っていいのか。死への恐怖から逃れるために、他者の死を楽しむようになった男の歪んだ生き様の物語だった。



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