『忘却の都市』疑惑
事件は、突然だった。
突如、鳴り響くサイレンの音。
耳に刺さるような警告が、都市全体に響き渡る。
「緊急事態発生、緊急事態発生。住民の皆様は直ちに避難してください。」
機械的なアナウンスが、繰り返し流れる。
……何が起きた?
頭が追いつかない。ここは、世界で最も安全な都市のはずだ。犯罪発生率ゼロ。
それが、この都市の“売り”だったはずなのに。
現実とイメージのギャップが、脳内でうまく噛み合わない。
ただ、胸の奥がざわついていた。
ようやく落ち着きを取り戻し、周囲を見渡す。
客もスタッフも、誰ひとり騒いでいない。 悲鳴も、混乱もない。
ただ静かに、案内に従って裏口へと移動していく。
……まるで、これが日常の一部であるかのように。
そんなはずはない。ここは、世界一安全な都市だ。
避難訓練だって、もっとざわつくはずだろう?
「早川くん、こっち。」
店長に呼ばれ、訳が分からないまま、俺も裏口へと向かう。
その先には、少し広めの休憩スペースがあった。
幸い、店内の客の数も多くなかったため、全員が余裕を持って避難できた。
ようやく、誰かが口を開く。
「何が起きたんだろうね……」
「中央の建物って、あの本部のこと?」
断片的な会話が飛び交う。それでも、声は小さく、どこか抑制されていた。
しばらくして、店長から帰宅の指示が出た。
そして、今回の件について、簡単な説明があった。
都市中央の建物——“本部”と呼ばれる場所に、何者かが侵入。
その際、入り口付近で爆発が起きたという。
都市警備隊がすぐに出動したが、爆発の近くにいた住民数名と、警備隊の隊員も負傷したらしい。
犯人は、無事確保されたとのこと。
その瞬間、頭に浮かんだのは——
霧崎と、夏希さんの顔だった。
あの二人は、無事だろうか。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。現実感がないまま、その日、俺は帰路についた。
翌日。
街は、まるで何事もなかったかのように静かだった。
昨日の騒ぎが嘘のように、空気は整い、光は均一に降り注いでいる。
店は休業。 俺は、気分転換も兼ねて買い物に出かけた。
そして、少し先に見慣れた顔を見つけた。
「……霧崎!」
思わず声をかける。彼は、思ったより元気そうだった。
制服は少し汚れていたけれど、ケガはなさそうだ。
ほっとしたのも束の間——
夏希さんの姿が、見えない。
恐る恐る尋ねると、俺の嫌な予感は的中した。
昨日の事件に巻き込まれたとのこと。
ただ、幸い重症では無く意識はあるとの情報を霧崎から聞かされる。
その言葉に、心の底から安堵した。本当に、よかった。
もっといろいろ聞きたかったけど、今日の霧崎はどこか疲れていた。
無理もない。
俺と同じでこの都市に来てまだ間もないのに、そんな事件の最前線に立たされたんだ。
俺なんかより、ずっと重いものを背負ってる。
だから、俺は手短に挨拶を済ませて、その場を後にした。
俺にできることなんて、たぶんない。 でも——
もし、彼らが困っていたら。 もし、誰かが傷ついていたら。
そのときは、少しでも力になりたい。
そう、心の中で静かに思った。
——都市の静けさが、今日はやけに不自然に感じられた。