『忘却の都市』出会い
「あれ、おっかしいな〜。」
翌朝、俺は案内されたマンションの前で、ひとり首をかしげていた。
大家さんが来てくれるって話だったのに、待てど暮らせど現れない。
かれこれ三十分は経ってる。
ふと腕時計に目をやると——
「あ……」
針が、止まってる。 そりゃ空がやけに暗いわけだ。
まさか都市に来て早々、時計がぶっ壊れるとは。
前途多難ってやつか……と、思わずため息が漏れた。
しかも、暑い。この都市は常に快適な気温に保たれてるって聞いてたけど、さすがに朝は冷えるだろうと厚着してきたのに、完全に裏目。
背中にじっとり汗が滲んで、額にも玉が浮かんでくる。
(……これはまずい。何時か分からないし、大家さんも来ないし、このままじゃ俺が干からびる!)
悩みに悩んだ末、俺は決断した。
隣の部屋のチャイムを押す。それしかない。
ピンポーン——。
……無反応。 やっぱ早すぎたか? いや、そもそも知らない人の家を朝っぱらから訪ねるって、冷静に考えたらけっこうヤバいよな。
今さらになって、めちゃくちゃ怖そうな人が出てきたらどうしようって不安が押し寄せてくる。
固まっていると、中から気配がした。 インターホン越しに、声をかける。
「あ、あの……今日から……」
普段の俺にしては珍しく、声がうまく出ない。
緊張で舌がもつれる。 あーもう、考えるのはやめだ。素で行こう。俺は俺だ。
ガチャリ、とドアが開く音。 反射的に、声を張った。
「あー助かった!」
間髪入れず、自己紹介と事情を伝える。 鍵の受け取り時間を間違えたこと、家に入れないこと、そして——ちょっとだけ、助けてほしいってこと。
出てきた青年は、見た目は少し怖かったけど、話を聞いてくれて、部屋に入れてくれた。
無言で睨まれるかと思ったけど、そんなことはなかった。
話してみると、彼も最近この都市に引っ越してきたばかりらしい。
俺は、これまでの努力とか、この都市で叶えたい夢とか、つい色々と語ってしまった。
でも彼は、文句も言わず、黙って聞いてくれた。
最初に話した人が、この人でよかったと、そう心の中で思う。
ふと壁の時計に目をやると、ちょうど約束の時間になっていた。
俺は彼にお礼を言って、今度ちゃんと飯を奢るって伝えて、部屋を出る。
ドアを開けると、そこには優しそうな雰囲気のおじいさんが立っていた。 大家さんだ。
「お待たせしましたな。早川さんですね?」
「はい、そうです!」
世間話を交えながら、鍵を受け取る。
手のひらに乗ったその鍵は、思ったよりも重かった。
いや、重く感じたのは、たぶん気のせいじゃない。
「それじゃあ、どうぞ。ようこそ、オブリビオンへ。」
「ありがとうございます!」
俺は、震える手で鍵を差し込み、ドアを開けた。
そして、期待と少しの不安を胸に、新しい部屋へと足を踏み入れた。
——ここからが、俺の始まりだ。