『忘却の都市』住民登録
「じゃあ……とりあえずやることは……」
俺はカバンの中から、案内状に同封されていた都市の手続きマニュアルを取り出した。
ページをめくると、最初に太字でこう書かれている。
——『住民登録は、初日に必ず完了させてください。』
「なるほど、最初の関門ってわけか。」
やらなきゃいけないことは分かった。
問題は……場所だ。
都市は確かに整然としている。 でも、建物が多すぎる。
どれも似たような白い外観で、どこが何の施設なのか、ぱっと見では分からない。
俺がこれまで暮らしていた地方都市も、そこそこ広かった。
けれど、こんなに建物が密集していて、どれが何の建物か分からないなんて事は無かった。
「……仕方ない、聞いてみるか。」
勇気を出して、通りすがりの女性に声をかけた。
「あの……すみません。住民登録って、どこでできますか?」
女性はこちらを振り向く。
あくまで俺のイメージだが、表情は無機質というか、なんとなく感情の起伏が薄い気がする。
やっぱ田舎民には都会の人達は厳しいのか……なんてことを思っていると、女性は少し考え込んだあと、無言で手招きしてくれた。
「え、あ、ありがとうございます!」
俺は慌ててその後をついていく。
何度か大通りの道を曲がりしばらく歩くと、目的の建物が見えてきた。
お礼を言うと、その女性は軽くお辞儀をして、そのまま去っていった。
無口な人だったけど、すごく親切だった。……あと、ちょっと良い香りがした。
建物に入ると入り口のすぐ近くに受付カウンターがあり、何人か制服を着た女性が座っていた。
その中の住民登録と書かれた札の所に向かう。
「住民登録に来たんですが……」
「かしこまりました。新しい住民の方ですね。こちらへどうぞ。」
案内された先は、ここでも白を基調とした静かな部屋。
中には見たこともない機械がいくつか並んでいる。
「そちらにおかけになって、少々お待ちください。登録が完了しましたら、こちらの受付にお戻りください。」
そう言って、係の女性は部屋を出ていった。
椅子に腰を下ろして数分。
突然、目の前の機械からホログラムが浮かび上がった。
「うおっ!……なんだこれ?」
思わず声が漏れる。
立体的に浮かび上がったのは、都市全体の構造図のようだった。
まるで都市そのものが、ひとつの巨大な装置のように見える。
そして、あのゲートで聞いたのと同じ、女性のような柔らかな機械音声が流れ始めた。
「ようこそ、都市オブリビオンへ。 この都市では、すべての住民が最適な環境で生活できるよう設計されています——」
都市の仕組み、ルール、注意事項。
次々と映し出される情報に、俺はただ圧倒されるばかりだった。
「……すげぇ……」
まさに、これから新しい人生が始まるんだ。 そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「以上でご案内は終了となります。 最後に、こちらに手をかざしていただけましたら、登録が完了します。」
目の前に、手のひらの形をしたホログラムが浮かび上がる。
俺は迷わず、それに手をかざした。
「認証確認……完了。早川悠人様。住民登録が完了いたしました。」
部屋を出て、受付に戻ると、スタッフたちが一斉に並んでお辞儀をした。
「お疲れさまでした、早川悠人様。 ようこそ、オブリビオンへ。都市の住民一同、歓迎いたします。」
「……あ、はい。」
なんだか無性に恥ずかしくて、声が裏返りそうになる。
「こちらで、ご職業も登録されますか?」
その言葉に、ようやく少し冷静さを取り戻す。
「……いえ、少し考えさせてください。」
さっきのホログラムの説明の中で、俺の“適性職業”は表示されていた。
でも、それは本心からやりたい仕事じゃなかった。
「かしこまりました。それでは、決められましたら後日ご登録をお願いいたします。」
「はい、分かりました。」
「本日はこちらの建物裏にあるホテルをご利用ください。勿論一切料金はかかりません。」
そう、この都市では基本的にお金のやり取りは発生しない。
給料という概念もない。 職業による格差をなくすため、生活はすべて都市が保障してくれる。
仕事は、適性に応じて割り当てられるのだ。 ストレスのない環境で、快適に暮らすために。
「……ついに来たんだな。」
ホテルの部屋に入ると、ふかふかのベッドが迎えてくれた。
俺はその上に身を投げ出し、天井を見上げる。
明日から、ここで生きていく。 この都市で、俺は変わる。
そう思いながら、静かに目を閉じた。
——ようこそ、忘却の都市へ。