『忘却の都市』仮面の中の素顔
扉を開けた瞬間、そこにいたのは—— 先ほど、部屋に入ってきた女性だった。
一瞬、思考がフリーズする。
心臓が跳ね上がり、時間が止まったような感覚。
けれど、次の瞬間には、これまでの人生で培ってきた“最高の営業スマイル”が勝手に顔に浮かんでいた。
「えーっと……ちょっと興味本位で中に入ったら、なんか変なとこに迷い込んじゃって……!」
声が裏返らなかったのは奇跡だと思う。
女性は呆気にとられたようにこちらを見ていた。
その隙に、俺は後ろ手で霧崎と夏希さんに合図を送る。
「今のうちに、動け」と。
その瞬間、ふわりと背後で風が舞ったような気配。
たぶん、うまくいった。 ……そう信じたい。
さて、ここからどうするか。
軽く深呼吸しながら、頭の中で選択肢を並べる。
選択肢①:脅されてここまで来たと嘘をついて、俺だけ助かる。
選択肢②:真実を話して、協力を求める。
選択肢③:なんとか乗り切る。
①は論外だ。 霧崎と夏希さんを裏切る気はない。
それに、正直に話したところで助けてもらえる保証なんてどこにもない。
②も……たぶん無理だ。
この場所にいるってことは、多分、彼女も“知ってる側”の人間だ。
今さら真実を語ったところで、意味があるとは思えない。
となると、③しかない。
……我ながら、なんて計画性のない選択肢だ。
そんなことを考えているうちに、次々と新たな職員が現れてまい、俺は、あっさりとある一室に連行されることになった。
部屋に入ると、奥の席に座らされる。
手足を縛られることはなかったが、空気は明らかに“尋問”のそれだった。
部屋を埋め尽くすほどの人間が、俺を一斉に見ている。
その視線の圧に、思わず背筋が伸びる。
「お前は……何者だ?どうやってここに入ってきた?」
その内の、一人の男の低く、鋭い声が飛ぶ。
俺は慎重に言葉を選びながら、口を開いた。
「ええと……俺の名前は、早川悠人って言います。 この都市に来たばかりで……。 最近、この辺で爆発事件があったって聞いてて、たまたま近くを通ったら誰もいなくて…… 興味本位で入ったら、迷い込んじゃって……」
真実と嘘を、絶妙に織り交ぜる。
昔から、こういうのだけは得意だった。
何度かピンチを乗り越えてきた経験が、今ここで活きている。
(……もしかして、俺って詐欺師の才能あるのか?)
そんなことを思いながら話していると、部屋の空気が少しずつ変わっていくのが分かった。
最初は鋭かった視線が、徐々に和らいでいく。
後ろの方から、こんな声が聞こえた。
「早川悠人……データベースを検索したが、ヒットしない。外部から来た人間というのは間違いなさそうだ。」
「外部から来た人間か……。少し、いや、かなり興味があるな。」
その一言を皮切りに、空気が一変した。
尋問は、いつの間にか“質問タイム”に変わっていた。
俺は、反応してくれる人たちを見て、どんどん調子に乗っていった。
カフェではいまいちウケなかった話も、ここでは素直に笑ってくれる。 驚いてくれる。 食いついてくれる。
正直、少し自信を失いかけていたけど—— まだ、俺の“しゃべり”も捨てたもんじゃないなって思えた。
特にウケたのは、都市での生活の話だった。
「この前、カフェの清掃してたら、奥の部屋から足がいっぱい生えた虫が出てきまして。 俺が追い出したんですけど、普段はクールなスタッフたちが大騒ぎで——」
笑う人、考え込む人、反応はさまざまだったけど、確かに“届いて”いた。
そんなやり取りがしばらく続いたあと——
突然、奥の方から、よく通る女性の声が響いた。
「はいはい、みんな。そろそろ仕事に戻りなさい。」
その声を聞いた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
(あ、これ絶対美人だ)
そんな不謹慎なことを思った直後、予想通り——いや、予想以上の長身美女が現れた。
彼女が一歩踏み出すたびに、部屋の人間が蜘蛛の子を散らすように去っていく。
一人、また一人と。
気づけば、部屋には三人だけが残っていた。
最初に出くわした女性。 長身の美女。 そして——俺。
なんとも言えない空気の中、俺はひとり取り残されていた。