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「それ」をみた少年

 カシマ=フィン=アーデンは、奇妙な体験をした。


 カシマは、辺境の集落に暮らす15歳の少年である。幼いころ母を失い、2年前には父を亡くしている。無駄に大きな平屋に、1人で暮らしている。


 彼は、古い伝承や、廃れた理論に強い興味を抱く、一風変わった性格の持ち主だ。彼が興味を抱くのは・・・理論的な間違いが指摘され、役に立たなくなった書物。証拠に怪しさがあって、信頼性が低いとされた論文。失われた文字で書かれた書物。


 フィン=アーデン家は、わかる範囲で、祖父の代からずっと、そういう記録ばかりを集め、受け継いでいた。彼の自宅の地下には、代々、掘り進めては成長させてきた、巨大な書庫がある。


 カシマが、子どものころから、ずっと好きで繰り返している遊びがある。それは、日々「名前のわからない体験」を探しては、その体験を意味する名前を、書庫で探すのだ。


 孤独、断絶、祈り、誤解、発熱、下痢、歓喜、離別、幸福、不幸、憤怒、獲得、狩猟・・・


 父との会話はなく、学校に行っているわけでもなかったカシマは、この遊びを通して、語彙を増やしていた。他人から、どうみえているかは知らないが、カシマは、毎日が楽しかった。


 そんなカシマが「ゆめ」という言葉に出会った。それは記録の中にみつけたのではない。夜から朝にかけての、いつもの休息の時間に「聞いた」のである。


 銀色の髪をした少女。星のように輝く瞳。凍りつくような晴天の夜、どこか高い場所から、ひとり、静かに空をみつめ、泣いていた。少女は、こちらには、気づいていないようだ。


「ゆめをみている人・・・どなたか、いませんか?どうか、どうか私を・・・助けてください・・・」


 声が、カシマの、全身の細胞を振動させた。これは、とてつもなく大切なことだ。この世界にとって、本当に、大事なことだ。それが、一瞬の感覚で認識できた。


 目覚めたカシマは、息を呑んで、ただ天井を見つめていた。心臓の鼓動が、痛いほど速い。しかしカシマの視界には、あの少女の姿はない。


 だが確かに・・・ただ目を閉じて眠っているだけの休息の時間に、どこか別の場所で、誰かと出会い、心が震えた。こんな体験は、これまで、一度もしたことがない。


(眠っているのに、なにかがみえて、はっきりと聞こえ、確かに感じた)


 彼女は、間違いなく、助けを求めていた。誰に?彼女はそれを「ゆめをみている人」と表現した。「ゆめ」とは?「眠っているのに、みえるなにか、聞こえるなにか、感じるなにか」のことに違いない。そう思えた。


「ゆ・・・め・・・」


 その音は、口の中で転がしただけで、なぜか馴染みのある響きがあった。知っている。知っているぞ。カシマは、保管されている記録の中に「ゆめ」という語彙が存在しないか探しはじめた。


 すぐにそれは、百年以上まえの文献には頻出する、決して珍しくない語彙であることがわかった。しかし百年前を境として、不思議なほどあっさりと消滅している。


「ゆめ」は「夢」と筆記される。そしてその意味は、推測したとおり「眠っているのに、みえるなにか、聞こえるなにか、感じるなにか」で間違いなさそうだ。


 残念ながら、この世界で、辞書はじめて成立したのは、いまから約80年前だ。だから「夢」の語義が掲載されている辞書は、この世界には存在しない。


(彼女は、誰だ?)


 助けを求めている。助けなければならない。それ以上に、きっと、この世界に重要なことなんてない。手がかりは、おそらく百年前に消えていた「夢」という言葉を、彼女だけが、この百年の月日を超えて、守ってきたことだ。


 しかし、手がかりとしては、それでは不十分にすぎる。



 カシマは「夢」についての調査を続けていた。自宅にある文献は調べ尽くしたが、直接、彼女につながるような情報はなかった。


 図書館での調査の最中、古典の研究者たちの間で「夢」の定義に関する論争があることを知った。研究者たちの間では「夢」は「眠っているときに聞こえる音」と解釈されていた。


 カシマは、自分がみた「夢」のことは秘密にして、自分の理解である「眠っているのに、みえるなにか、聞こえるなにか、感じるなにか」を披露した。


 研究者たちは、この解釈に刺激をうけ、また長い議論を始めていた。その議論の中で、一つの否定的な意見があった。


 彼女は、他の解釈の可能性は否定しない。ただ彼女の結論として「夢」は、やはり「音」との相関性が高いという。


 その根拠が重要だった。「夢」という単語は、彼女の調査では「夜を想う曲」=「ノクターン」という単語と、かなりの確率で同時に出現するという。


「ノクターン」。思い当たる。自宅にある文献の中に、黒き塔ノクターンの伝説に関する論文があることを記憶している。この塔は、夜にしか存在しないとされている、伝説の塔だ。


 そんな塔が、あるはずない。常識人なら、そう考えるだろう。しかし、フィン=アーデン家の一員であれば、これを「人々がまだ知らない事実」として、その存在証明に心が向かう。


 あのとき「夢」にみた彼女は、夜にいた。どこか高い場所から、空をみて泣いていた。黒き塔ノクターンの可能性を、第一に考えてみるべきだ。

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― 新着の感想 ―
夢というものが存在しない世界で 眠りから覚めた時に【何かが見えて・聞こえていた】という摩訶不思議な体験をしたらどうなるのか?という着想がすごい。 カシマの家の地下室はまるでインターネットだ。 僕もよく…
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