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─ 壁ドン (4) ─

 六時間目が終わり、教室の掃除を始めた時だった。

 箒を動かしている僕の腕を、誰かがいきなり掴んだ。

「なんだよ」振り向くと、健太の怖い顔があった。うわ、またか。勘弁してくれよ、今度はなんだ。

「正人。俺が野下と川島を口説いたって、言ったか」

「え、野下と川島?」今度はそんな話が広がっているのか。僕は壁に背中を付けた態勢で、ぶるんと首を振る。どうやら、健太の中で僕の信用は地に落ちているらしい。「違うって。なんだか知らないけど、僕じゃない」

「じゃあ、誰だよ?」

 そんなこと訊かれたって! 

「知らないよ。誰に言われたんだよ、そんな話」そこで、あれっ、と思い出す。野下と川島って・・・「ひょっとして、また岩崎?」

「なんで岩崎なんだよ」健太が一歩前に出る。と、彼の体が前のめりに動き、右腕が僕の顔をかすめて、後ろの壁をどんと突いた。

 眼前に迫った健太の顔に泡を食って、僕は早口で説明する。「健太の好きなのは野下か川島だろうって、そんなことちらっと言ってたからさ、岩崎が」

「いちちっ」健太がうめくような声を出した。顔をしかめながら、体を引き、腕を下ろす。そして、下を向いて、右のつま先をぶらぶらと振った。「練習で右足をちょっと捻っちゃってさ。ずきっとするんだよ、たまに」

 ああ、今の壁ドンは、そういうことか。驚いた。殴られるかと思った。

「岩崎がそんなこと言ってたのかあ。くそ、どこまで広がってるんだ」健太が天井を仰ぎながらぼやく。

「じゃあ、岩崎から言われたんじゃないんだ」

「俺が聞いたのは、バレー部の後輩からだよ。噂になってますよって」

 そういえば、野下も川島もバレーボール部だ。

「じゃあ、バレー部の誰かが言いふらしてるとか」

 健太は首を捻る。「バレー部にそんなことする奴、いねえと思うけどな」

 健太はキャプテンだし、精鋭ぞろいと評判のバレーボール部に、そんなくだらない悪さをする奴がいるとは、確かに考えにくい。

 健太は、「なにか耳に入ったら教えてくれよ」と言い置いて、教室を出て行った。


「女難の相が出ている」今日も塵取りを手に持ったオニオが、健太の出て行った方を見ながら真面目な顔で言った。

「オニオ、そんなこと、分かるのか」

「手相を勉強中」

「じゃあ、健太の手相を見たの?」

「まだ見てない」

「なんだよ、それ」

 二人で笑う。オニオでも冗談言うんだな。いつもそうしていればいいのに。思いながらオニオのにこにこ顔を見る。

 そこへ、黒板消しとはたきを手にした芹が寄ってきた。

「吉田君、なんか妙な噂が立ってるね」

「なんだよ、聞いてたの」

「聞こえたの。大きい声だったから」芹はそう言って僕とオニオの横に立つ。「わたしも聞いたんだ、その噂」

「え、誰から」

「あっち、こっち」彼女は指を教室の前、後ろへと向ける。「広がってるよ、女子の間では。なにしろ、吉田君のファン、多いからさ」

 すると、オニオが頷く。「スポーツマンで勉強もできる」

「それに、性格もさっぱりしてるし。もてるはずだよねえ」と芹は僕の方をじいっと見る。それに比べて君は、とでも言いたいような顔だ。

「悪かったな、スポーツ万能の秀才じゃなくて」

「あら、ぐれちゃった。そんなこと言ってないじゃない」と僕の顔を覗き込んでくる。腹が立つことに楽しそうだ。「そりゃ、バドミントン部じゃ補欠だし、運動得意って方じゃないもんねえ」

「なんで、そんなこと知ってるんだよ」僕は驚いて芹を見た。まだ知り合って間もないのに、どういうことだ。

「他にも知ってる。女子の情報網はすごいのよ。あ、でも、数学は得意だって聞いたわよ。地理と歴史は冴えないけど。それに国語も良くないみたいね」

「なんだよ、けなしてる方が圧倒的に多いじゃないか」僕はしゅんとなる。

 すると、オニオが僕の肩を叩いた。「大丈夫。下には下がいる」

 慰めているつもりか、それ。

「ナイス・フォロー」芹が、あははと笑った。

 こいつら、まったく!

「それにしても、いきなり壁ドンするから驚いちゃった。告白するみたいだったよね、吉田君」芹が言うと、オニオも頷く。

「なわけないだろう。ふらついたんだよ。右足を痛めてるんだってさ」

 僕の言葉に芹は、「なんだ、そうなんだ」とつまらなそうな顔になる。窓の方へ行って両手を外に突き出すと、黒板消しをはたきの柄で叩き始めた。

 すると。

「あ!」オニオが唐突に声を出した。遠くを見るような眼になっている。彼は、パンパンやっている芹の横に寄り、なにやらぼそぼそと話しだした。そして、それからすぐに、オニオと芹は一緒に教室を出て行った。

 なんだよ。まだ、掃除終わってないぞ。心の中で文句を言う。それにしても、オニオたち、どこへ行ったんだ? 少し気にはなったけれど、でも、どうでもいいや。オニオだもの。

 僕は、せっせと箒を動かした。


 それから二十分ほど経ったころだった。掃除はすでに終わり、掃除当番だった十人程は、部活に向かうもの、下校するもの、と散り散りになっていた。バドミントン部の練習がなかった僕は、なんとはなしに帰りそびれて、教室の後ろの方の席で信と馬鹿話をしていた。

「解決したわよ」後ろの出入口から教室に入ってくるなり、芹が僕に向かってそう言った。少し遅れてオニオも入ってきて、芹の横に立つ。

「なにが?」信が振り返って訊いた。

「野下と川島を口説いた件よ」芹の言葉に、信が、えっ、と眼を剥く。

「誰が口説いたんだよ?」信が訊くと、

「吉田君」芹が答える。

「えええっ! 健太が? あの硬派の健太が、スケバン二人を口説いたあ?」信が大声を出すものだから、教室にまだ残っていた数人が振り向き、廊下にいた何人かも首を伸ばして覗いてきた。

 みんなが一斉にざわざわしだす。「健太が口説いたって?」「誰を?」「スケバンって誰さ?」「野下らしいぞ」「あ、それ、あたしも聞いたあ」「本当だったんだ」男子も女子も目をきらきらさせている。

 僕は焦った。小火が大火になったじゃないか。健太が怒るぞ。本気で怒るぞ。

「おい、もっと詳しく話せよ」信の催促に、芹が頷いた。居合わせたみんなが見つめる。

 どうしよう。まずいぞ、これは。だが、どう消火すればいいものやら分からない。ただただ僕はうろたえる。

 けれど、芹はすましたものだ。笑みさえ浮かべている。

「吉田君は野下と川島に壁ドンしたの」芹が信に向かって言った。

 みんなが「おおっ」とざわめく。

「でも、口説いたわけじゃないのよ」ね、と芹が横のオニオを見ると、黒い顔が頷いた。

 僕は首を傾げた。みんなも、「へっ?」という顔をする。

「吉田君は、足を捻挫してるから、話している時に壁に手をついてしまったの」芹が言う。「それが壁ドン。で、それを見てたバレー部の女子が告白したって誤解したらしいのよ。野下も川島も噂になってるなんて知らなくて、話したら驚いてた」そして肩をすくめて見せる。

「じゃあ、口説いたっていうのは?」信が問う。

「ただの勘違いね」

 途端に、白けた空気がみんなの間に広がった。

「なんだあ。つまんねえ!」信が吠えた。「どうせだったら、もっと面白い情報持ってこいよな」

 みなが散り散りになる。


 教室には芹とオニオ、僕の三人だけになった。

「つまんなくしちゃったかな」芹が頭を掻いた。

「ああ、すんげえつまんなくした」僕はそう言い、「でも、これで健太の機嫌はなおる」あの怖い顔を見ずに済む。なによりだ。「それにしても、よく分かったね、真相が。お手柄じゃん」

 すると、芹は手を振った。「わたしじゃないんだなあ、謎を解いたのは。オニオ君なの」

「えっ。そうなの」僕は、横にいる背の高いもじゃもじゃを見上げる。

「ほら、竹内君も壁ドンされてたでしょ」芹に言われて、僕はあの殴られると思った瞬間を思い出した。「あれ見て、オニオ君が真相を推理したってわけ。で、わたしとオニオ君とで練習中の野下と川島に、壁ドンされなかったか、訊きに行ったのよ」

「へえ」そうだったのか。よく気づいたな。僕は感心して、オニオをまた見る。「やるじゃん。健太に言っとくよ。せっかくスキャンダルで盛り上がったのに、オニオが台無しにしたって」僕はにっと歯を見せる。

 黒い顔が照れ臭そうに、にまっとした。


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