─ 消しゴム (4) ─
午後の授業が終わり、掃除をしている時のことだ。
今週の掃除当番は、窓際から二列で、僕が箒でオニオの持った塵取りにごみを掃き入れていると、黒板消しとはたきを持った芹が近づいてきた。
「消しゴム、出てきたね」
「え」僕は顔を上げた。
「春山の消しゴム」
「あ、ああ」ぎこちなく頷く。
それは、教壇の左脇、黒板の端の下あたりに転がっていた。授業中に池先が見つけたのだ。
「なんだ、消しゴムか」池先は、青と白の紙ケースに収まった、その小さい四角を摘まみ上げると、「落ちてるぞ。誰のだ?」と頭の上に持ち上げた。
春山が小さく手を上げるが、池先は教室の後ろの方を見ているのか気づかない。なので、「あ、春山さんのです」と僕が声を出した。
池先は教壇を下り、最前列の春山の机の前に立つと、そこからは完全に死角となる発見場所を振り向いて、「随分、転がる消しゴムだな」大きな声で言った。
ざわっと控えめな笑い声が起こる。春山は居心地悪そうに体をもじもじさせた。
池先の授業が終わると、春山は僕の机の横に立った。「ありがとう」と素っ気なく、愛想の欠片もなく言って、僕が渡した半割れの消しゴムを返してよこした。
「なんで、春山、あんなに仏頂面だったんだろう」あの睨むような眼と強張った頬を思い出しながら僕が言うと、芹が、え、という顔を向けた。
「分かんないの?」
「なにがさ」
「これだから、嫌な顔されるのよ」芹が眉をハの字にする。まるで、僕の成績表を見た母のような表情だ。
「え、なんでさ?」分からない。あの春山の態度も、芹の言っていることも、さっぱりだ。僕になんの落ち度があると言うんだ?
すると、中腰で塵取りを構えていたオニオが、ゆっくり腰を伸ばした。彼の口が僕の眼の高さにくる。それが開いて言った。「半分にした消しゴム。あれがミス」
オニオまで、なにを言う。
芹がうんうんと頷いた。「そうそう、痛恨のミス。折角のもくろみが、ぱあになっちゃったからね。おまけに、笑われちゃうし」
「もくろみって、なんだよ?」分からない。なんの話?
「春山の計画だよ。決まってるじゃない」
春山の計画? 僕は眉間にしわを寄せて考え込む。芹が、呆れたような、憐れむような、そんな表情を浮かべて、オニオの方に頭を振って見せた。
「岩原と話すのが目的」オニオが言った。「落とし物を探してもらう。古い手だけど、話すきっかけにはなる」
ええっ! 僕はやっと話を飲み込んだ。
じゃあ、消しゴムなくしたっていうのは、嘘ってこと?
僕の表情がよほど分かりやすかったのか、芹が、「そう、春山の嘘。でも、誰かが盗った、みたいな話になっちゃうとまずいから、少し探せば見つかる場所に置いたのよ。特に、岩原君から見つけやすい、教壇の端に。でも、岩原君ったら、ちらっと下見ただけで、全然真剣に探してくれなかったわけよ。さあ、どうしようか、って次の手を考えていたところに」
「正人が自分の消しゴム半分にして渡してきた」オニオが言う。
僕は打ちのめされた。「余計なこと、だったってわけ?」
芹が首肯する。「大きなお世話ってやつだよね。それで、岩原君に探してもらうことはできなくなっちゃったし、おまけに、消しゴムは池先に見つけられて、『随分転がるな』とか言われて、みんなに笑われちゃうし。ま、親切一つもよく考えないと、ってことよ」そして、芹は窓まで行くと、両手を外に突き出して、黒板消しをはたきの柄で叩き始めた。
白いチョークの煙が、もわもわと風に流れる。
「岩原も笑ってた、あの時」オニオがぼそっと言う。
僕はなにやら、無性に腹が立ってきた。芹に言われるだけならまだしも、どうしてこいつにまで責められるんだ。
「いらぬお節介で、悪かったな」と不機嫌に言葉をぶつける。
「悪いとは言ってない。でも僕はしない」黒い顔が僕を見下ろしている。
「ああ、お前ならしないよな」黒い鼻の上の黒い眼を睨みつけた。「お節介もやかないし、そもそも、ろくに喋りもしない。そんなんだから、友達できないんだよ!」言ってしまってから、はっとなる。言い過ぎた。かもしれない。でも、もう吐いた言葉は取り戻せない。
「違う!」オニオのぴしりとした声が、僕の耳に響いた。
僕はひるんだ。「なにが違うんだよ」と返した声は小さい。
「喋らないから友達できないんじゃない。逆。全然、逆」そう言うと、オニオは塵取りをロッカーに突っ込んで、教室から出て行ってしまった。
「どうしたの、オニオ君」黒板消しをはたいていた芹が、オニオの出て行った方を見ながら僕に訊く。
「さあね。知らないよ、あんなやつ」僕は、そう吐き捨てるように言って、箒を握りなおすと、乱暴に動かした。
頭の中に、とげとげした言葉の断片が漂っていた。
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