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 四月八日、始業式の朝。

 僕は三年四組の後ろの出入口から首だけ突っ込んで、教室の中を見回した。

 ずいぶん早く来たのだから、てっきり一番乗りかと思っていたけれど、もう六人も来ている。いったい何時に起きたんだこいつら、頭の中でぶつくさ言いながら教室に入る。

 最前列の窓際で喋っている男子二人は知らない顔だ。反対側の壁際で話している女子三人、こっちも知らない。正確には、知らないわけではない。廊下ですれ違ったり、朝礼で見かけたりしてはいる。ただ、話したことはない。名前も分からない。今のところ、その他大勢の中の人だ。

 目を転じて教室の後ろにいるもう一人を見る。窓から外を眺めている背の高いもじゃもじゃ頭。彼なら知っている。

「おはよう」

 近づいて声をかけると、黒い顔のオニオが振り向いて、やあ、と手を挙げた。彼には半分、黒人の血が入っている。

 他所の学校がどうかは知らないけれど、茗荷中学校では、毎年クラス替えがある。なんでだろう。せっかく一年かけて慣れてきたところで、がらがらぽんとやられる。

 一学年が五クラスあるので、新しいクラスでは、知っている顔より知らない顔の方が断然多くなる。なので、その度に友達関係というやつを作り直さなくてはならない。まったく面倒くさい。僕はそういうのが得意な方ではない。事前に配布されたクラスの名簿を見たけれど、三年四組に一年生のころからずっと同じクラスの男子は二人しかいない。オニオはその二人の内の一人なのだけれど、なんでオニオなんだよ。

 オニオが、「早いね」と白い歯を見せる。僕と話す時、いや、誰と話す時でも、黒い顔はいつもにこにこしている。

「始業式なんだから余裕持って行きなさいってさ、いつもより三十分も早く起こされたんだ」僕は、もううんざりだよ、とちょっとおどけて顔をしかめて見せる。

「そう」オニオはにこっとして、そう短く返事をした。けれど、それだけだ。

 相変わらずか。僕は溜息を吐きそうになる。いつも、こんな感じで話が続かない。もっと、会話の仕方ってものがあるだろう。だから友達できないんだよ。


 オニオは正しくは、ジョージ・オニオリ・加賀野という。彼の父親はアフリカ系アメリカ人だ。母親は日本人だというが、お父さん似なのだろう、肌は黒く髪は縮れて頭の上は鳥の巣のようだ。

 彼が転校してきたのは一年生の二学期だった。その時クラスのみんなは、「うわ、黒人だ」とざわついた。街でなら外国人をよく見かけはするけれど、この学校に肌の色の違う生徒はほとんどいない。でも、だからといってクラスのみんなに拒否反応はなかった。むしろ転校当初はクラスメートの多くが積極的に話しかけにいったくらいだ。

 彼はいわゆるバイリンガルというやつで、英語の発音がすごい。英語教師でアメリカ留学の経験をいつも自慢げに話しているティーチャー小野が嫌な顔をしたくらいだ。

 きっと、日本語は片言なのだろう、僕は勝手にそう思った。ところが、全くそんなことはなかった。会話はもちろんのこと、漢字の読み書きもきちんとできる。それどころか、ちらっと見えた国語の中間テストの点数は僕よりだいぶ上だった。

 背は高いし、運動神経もいい。人気者になる要素はそろっているのだけれど、でも、そうはならなかった。転校当初は彼のまわりにたかっていたクラスメートも、日が経つにつれて人数が減り、二週間も経ったころには、積極的に彼と話そうとする者はいなくなっていた。

 原因は彼の会話にある。僕はそう思っている。話をしても、「へえ」「そうなの」「ふうん」と彼の返事はいつも短い一言だけで、後が続かない。いろいろな話題を持ち出してみても、喰いついてくることがない。なんの話をしても、興味があるのかないのか、まったく分からない。こっちが喋るばかりで疲れてしまう。

 いまもそうだ。僕の話に同調するとか、自分のエピソードを話すとか、「そう」の他に、なにか返しようがあるだろう。

 だから、友達できないんだよ。


「おう、正人」後ろから声がした。

 振り返ると、吉田健太がいた。彼は三年間同じクラスの貴重なもう一人だ。僕と同じで身長は中くらいよりは高く、痩せても太ってもいない。違うところは、スポーツ万能、バレーボール部のキャプテン、女子から人気がある、ということくらいだ。「えらい違いじゃないか。青春の光と闇を隔てるほどだ」と誰かに言われたことがある。気にしてはいないけれど、そうかな、と思うことはたまにある。

「おはよう」僕が返す。

 オニオは、やあ、と片手をちょっと挙げた。

「なんだ、まだこれだけか」と健太が教室を見回す。前の方でその他大勢の二人と三人が相変わらず喋っている。「席は決まってるの?」

 すると、オニオが黒板を指さした。『席は自由』と白いチョークで大きく書かれている。

「どこでもいいのか。正人はどこよ?」健太はそう訊いてから、僕がまだ鞄を持っているのを見て、「オニオはどこなの?」と訊き直した。

 オニオは窓際の一番後ろの席に、自分の荷物を置いていた。なので、健太はその前の席に、僕は更にその前に鞄を置いた。

「うーん、なんかさ、ここ後ろ過ぎないか」健太が言うので、「それじゃ、前に行こうか」と僕は一度置いた鞄に手をかけた。けれど、オニオが「ここでいい」と動かない。なので、僕と健太は肩をすくめて、そのまま腰を下ろした。

 口数が少ない上にがんこだ。まったく、こいつは。


 生徒がだんだん増えてくると、僕らの周りには男子が群れて、がやがやと賑やかになる。これって、きっと健太の周りに集まってきているんだろうな。僕はぼんやりそう思った。僕の引力じゃないし、ましてや、オニオの引力では決してない。

 やっぱり、健太は人気者なんだな。クラス替えをしたって、きっと健太には新しい仲間がすぐできる。僕みたいに友達関係を作り直すのに時間がかかるなんてこと、ないに違いない。

 ちょっとうらやましくなる。いいよな、健太は。


 時間になると、新担任の山田先生が入ってきた。大学を出て三年目の保健体育の先生だ。身長は高くはないが、体は見事に引き締まっている。先生は「おら、静かにしろ」と一声でざわついていた教室を静めると、僕らを体育館に移動させた。

 始業式が始まった。

 僕はこうした式典が苦手だ。とにかく、退屈してしまう。ただでさえつまらない式なのに、今回は校長の交代があって、その挨拶や新任の先生の紹介など盛りだくさんで、ずっと立ちっぱなしの僕たちは、ゆっくり足踏みしたり、前の友達にちょっかいを出したりと、落ち着きがなかった。

 それでも、なんとか長い式を終えて教室に戻ると、山田先生からいろいろな連絡があり、最後に時間割と座席表が配られて、この日は下校となった。


 校門を出ると、すぐ隣に都の研修所が建っている。その入口前の広い扇型の石段は、僕ら茗荷中の生徒が下校時間によくたむろする、憩いの場所となっている。

 この日も、三十人近くの詰襟とセーラー服が、石段に座ったり、壁に寄りかかったりしながら、がやがやと群れていた。

 僕もその一団の中にいて、石段に向かって立っている僕の前には健太と信が座っていた。僕の隣にはオニオがいる。オニオと友達だという意識は、僕にはまるでない。けれど、なんとなく側にいることがたまにある。今もそうだ。気付いたらいた。別に嫌ではないけれど、なんでいるんだろう、と思うことはある。

「あーあ」信が天を仰いだ。信こと明田義信は二年生の時から同じクラスの、大柄でよく笑う気のいいやつだ。「いよいよ、受験生になっちゃったなあ」

 うわ。僕は耳を塞ぎたい衝動に駆られた。聞きたくない。見たくない。まだまだ遠くに感じていたい、『受験』の二文字。

「そうだなあ。受験だなあ」信の隣で健太もぼやく。

 ああ、嫌だ嫌だ。まだ、いいじゃんか。そんな話しなくても。僕は逃げたくて仕方ない。ええと、別の話題、別の話題。なんかないか。けれど、なにも思いつかない。

 と。

「なあ、座席表見た?」信が唐突に言った。太った体を捻って、健太を見る。「ひでえよ、俺の両隣。野下と川島だぜ。スケバンだよ、スケバン」

「え、スケバンなの?」僕は大きな声を出して、この話に飛びついた。よし、逸れた。ナイス、信!

 信が僕を見る。「そういう噂だぜ。おっかねえよなあ、カツアゲされたらどうしよう」と真顔で言う。信のようにでっかいやつが、セーラー服に囲まれて脅されているところなんて想像ができない。実際にそれを見たら、笑ってしまうかもしれない。いや、絶対に笑う。

 すると横で健太が、ばーか、と言った。「二人ともバレー部だ。スケバンじゃねえよ」

「本当か? 同じバレー部だから庇ってるんじゃねえの」

「違うって。でも一応、二人にはカツアゲしないように言っといてやるよ」

「ほら、やっぱり、スケバンじゃんか」

 健太はけたけた笑うと、僕を見上げた。「正人は?」

「え? なに?」僕はきょとんとした。

「隣だよ、隣の女子。誰だった?」

「ああ、隣。誰だっけな」鞄から座席表を引っ張り出す。四つ折りにした紙を開いて、「右は西沢、左は芹」

「芹さん?」オニオが珍しく口を挟んできた。「生活委員で一緒だった。いい人」と一人で頷いている。

 信が顔を上げる。「ああ、芹道子だろう。きっつい女だって聞いたことあるぞ」

「え、そうなの」僕は顔をしかめる。きっついのは苦手だ。特にきっつい女子は大苦手だ。「それ、誰情報?」

「中林だよ」

 中林か。知ってはいるけど、あまり話したことはない。

「女子の情報なら、あいつが一番」と信が太鼓判を押した。

 本当かあ、と首を傾げたくなる。中林って、ちょっとちゃらい。どうせ、いい加減なんじゃないか。この時は、そう高を括っていたけれど、翌日、僕は中林情報の確かさを思い知ることになる。

お読みいただきましてありがとうございます。

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