8話:禍福は糾える縄の如し
約束の時間、私は国の中心にある「エドワルド城」の前へと訪れていた。
アキサは連れてきていない。幸いにも彼女はあの時、リョウの言葉を聞いていなかった。
今日こうして私がホテルを抜け出し、リョウと会うなんてことは知らない筈だ。
夜風に体を包みながら、街灯で照らし出された地面を見つめていた。
やがて、前方の暗闇から声が飛んできた。
「悪い。待たせた」
暗闇から灯りの当たる範囲へと姿を現したのは、無論、リョウである。
心に秘めた赫怒を私は偽りの笑顔で殺し、落ち着いた口調と言い振りで彼へと言った。
「ううん、私も今来たとこだよ」
「そうか。なら良かった。……訊きたいことが幾つかある。答えてくれ」
そう言われ、私は少し身構える。とは言えども、予測はしていたことだ。
予め考えていた策を、私は行った。
「いいけど、訊きたいことがあるのは私もだ。そっちが一つ質問して私が返答したら、こっちが一つ質問を行い、そっちが返答する。ギブアンドテイクの形でどう?」
「……わかった」
彼がそう言ったため、私たちは互いに問いと返答を繰り返していった。
「なら俺から。どうして死んだ?」
「道路に飛び出した子どもを庇う形で事故に遭った」
「……そうか。お前らしい理由だな」
「次は私。どうして革命家に?」
「能力の素質が他の革命家に認められてな。誘われて革命家になった」
「誘われて? それだけの理由がエリナを殺したことの理由になるの……?」
「……革命家には革命家なりの動機ってもんがあるんだ。……ただ、それでも悪かったよ。すまない」
「……まあ、いいよ。今はね」
偽り、言葉で彼を許した。
誘われ、革命家になった。そして奴らには奴らなりの動機がある? 意味がわからない。
今にも怒りが爆発しそうであったが、私はそれを心身で呑み込むようにしてぐっと堪えた。
「次は俺だ。あのエリナという女との関係は?」
「親友。この世界のことを色々と教えてもらった」
「……そうか」
「じゃあ私。何故偽名を使っているの?」
「他の革命家から素性を隠蔽するためだ。俺が転生者だと判明すれば、他の革命家から狙われ、命が危ない。彼らにとって、転生者でありながら革命家でもある俺は高値のつく絶好の獲物だろうからな」
「……なるほどね」
考察するに、革命家同士の繋がりは無いと見ていいだろう。
もしくは、存在してはいるが、直ぐに断って見捨てることのできるような細い糸で結ばれた関係性。
どちらにせよ誰かが革命家を殺したところで、他の革命家が激情し、復讐するなどという考えに至る可能性は低いだろう。
「それじゃあ最後に。お前、“こっち側”に来ないか?」
「こっち側って?」
「革命家にならないかと訊いているんだ」
唐突な誘いに、私は不可解に良く似た激昂を感じた。
……そろそろ限界だ。
「リョウ……いやリオン。私は一つ、モットーを持ってる」
疑問を感じている彼に対し、私はゆっくりと歩み寄った。
そして瞬時に“具現化したナイフ”を、彼の腹部目掛けて勢いよく突き刺した。
「っ……!!」
喫驚と共に、ぼたぼたと吐血するリオン。
彼が能力を放とうと試み私の背中を鷲掴みする直前、私はナイフの刃先から風を具現化して放出した。
よって、彼の腹部の穴が丸く広がった。まるで柔らかいクッキーの生地を円形の型抜きでくり抜いたかのように。
地に飛び散る鮮血。私は染まった赤を靴で踏みにじった。
「くそっ……! お前……!」
その場で膝を着くリオン。私はそんな彼の髪の毛を掴み、顔をこちらへと引き寄せた。
「“別れ”っていうのは、その人との関係を一時的に、もしくは永久に絶つということ。だから私は、別れの瞬間は笑顔でその人を見送りたい」
刹那。私の脳裏に染み付いた彼との幼少の記憶が次々と蘇ってきた。
彼と初めて出会った時。
彼と初めて遊んだ時。
彼と初めて学校に登校した時。
彼と初めて喧嘩した時。
でも、そんな記憶も、今日でさよならだ。私は過去と決別し、今という時を異世界で歩みだす。
自然と緩んだ口元が笑みとして浮かび、私は清々しい気持ちでリオンとさよならを交わすことができた。
「バイバイ。リョウ」
「待て! アイ────」
リョウが私の名を口にした瞬間────私は彼の首を能力で強化したナイフで吹き飛ばした。
**
私があの時、寿命商売の老婆に願ったことは────
「私を“天の能力者”にしてください」
そう告げた後、彼女は長めの沈黙を挟み、私に訊いた。
「その願いならぁ……寿命七十年は必要ねぇ……それでもいいのぉ……?」
覚悟は済んでいる。即答した。
「構いません」
再び沈黙。彼女は言う。
「……余程の覚悟があるのねぇ……理由を訊いてもいいかしらぁ?」
詳細を話すわけにはいかないので、私は少し簡略化して話を伝えた。
「大切な人が、目の前で革命家に殺されたんです。革命家を、そしてこんな世界を、私は許せない。だから、革命家を根絶やしにしたいんです。たとえその行為が私欲に駆られた私だけの利益であったとしても」
「そう……そうなのね……」
老婆は顔中に刻み込まれた皺の連々を眉間に寄せるようにして、どこか哀れ気で満ちた表情を浮かべた。
「わかったわ。私はお嬢ちゃんの覚悟を尊重する」
彼女が私の胸に手をかざした瞬間、そのあわいが薄く光った。と同時、体に訪れた少々の違和感。
だが、身体にそれといった影響は生じなかった。
こうして私は“天”のオーラを手に入れ、風と天の能力者へと成ったのだ。
**
アイがリョウ──リオンを殺害した日の早朝。
アキサがホテルの自室で目覚めると、部屋の中心に設置されていたテーブルに、一枚の紙が置かれていた。
エリナを失った悲しみから、荒れた自室に転がる私物を避けながら、アキサはテーブルの元へと辿り着く。
「書き置き……?」
『書き置き』と称するには、それは有り余る程の文量であった。
アキサはその紙に書かれた文をじっくりと黙読した。
*
アキサへ。アイです。
突然ですが、エリナと一緒にこの世界はこのトルンドを中心として東側と西側に大陸が分かれていることを地図で見たことを覚えていますでしょうか。
東側が「東側大陸」、西側が「西側大陸」と呼ばれているそうですね。
アキサの家族を探す話。合理的に考えるのならば、二手に分かれた方が良いでしょう。
私がイーストコンテを巡るので、アキサはウエストコンテを巡ってください。
話したいことはまだ沢山あるのですが、私はエリナを殺した革命家を復讐したいという勝手な思いから殺してしまいました。
故にこの国を去らなければなりません。
だけど、信用してほしい。私はアキサの味方だから。
*
「“復習したいという勝手な思いから”……か」
アキサはアイが人を殺したという事実よりも、自分一人で敵討ちをしたという事実に腹を立てていた。
何故アイは自分を誘わなかったのだろう。足手まといだとでも思っていたのだろうか。
もしそうだとしたら、非常に腹立たしい。
それに、この国を去るのなら、自分も連れて行ってほしかった。
アキサはその時決心した。もちろん、穏やかな気持ちも含んで。
「いつかまた会った時、ぶん殴ってやらないとね」
とその時、彼女の部屋の扉が三回ノックされた。
彼女が許可するよりも早く、ノックした者が入室してきた。
「すいませんアキサさん! アキサさんに話を伺いたいという人が急にやって来てて! 今下にいます!」
焦燥した様子が顔に滲み出ており、単純な言葉の羅列で伝えたいことを簡潔に伝えたのは、フロントの男。
名を「クリス」という。
「クリスさん、落ち着いてください」
アキサは心中で悟った。
『多分、アイがリオンを殺したことが関係してる』
それから、彼女はエレベーターにてクリスと共に一階へと赴いた。
そこには一人の、不気味さを体現化したような雰囲気を纏った男が立っていた。
「君がアキサ君かい?」
彼のその不気味さに気圧されそうになったアキサであるが、その気持ちを押し殺し、彼女は話した。
「ええ。何か用ですか?」
「君のお友達のアイ君が、本日の夜更け頃に異世界革命家のリオン・アルデバートを殺害したらしくてね。アイ君とよく一緒にいた君ならば、何か知っているんじゃないかと思って、訪ねた次第だ」
彼が話している間、アキサはさり気なくポケットに手を突っ込み、その中にあったアイの書き置きをくしゃくしゃに丸めた。
「ええ、知ってますよ」
「何?」
「彼女は“ウエストコンテ”に向かうと行っていました」
ウエストコンテ。アイが本当に向かった先とは真反対の方向だ。
「証拠は?」
「無いですね。でも丁度私も、今日彼女を追ってウエストコンテへと向かうつもりだったんです。よかったらご一緒します?」
彼は暫く黙り込んだ後、アキサへと告げた。
「いや、大丈夫だ。……それ以外にアイ君に関する情報は持っているか?」
「いえ。私が所持しているのはそれだけですね」
「そうか。助かったよアキサ君」
そう言い、ホテルの出入り口から去っていく男。
アキサはそんな彼を見送りながら、ポケットから書き置きを取り出し、炎の能力で燃やし尽くした。
証拠隠滅が済んだ時、彼の姿は見えなくなっていた。
アキサの背後に立っていたクリスが彼女へと言う。
「アキサさん。多分今の人、『異世界政府軍』の人間ですよ」
異世界政府軍。
異世界の秩序を守るため、秩序を犯す奴らを正す連中。
現世で言う警察のようなものだ。
「そうだね」と呟きながら、アキサは願う。
アイが彼らと出くわさないことを。
**
果てしなく広がる草原の上、アイは御者に頼んで、馬車により走行していた。
昇りゆく朝日を馬車に備わった屋根の窓から眺め、彼女はほんの少しだけ表情を緩ませた。
そんな彼女へと、御者は告げる。
「まだまだ掛かるんで、寝ててもいいっすよ」
「いえ。睡眠は済ませてきたのでお構いなく」
寝た方が御者にとってはやりやすかったのかもしれないが、アイはただひたすらに、目に映った、映える景色を眺めていたかった。
人を殺した後とは到底思えないような爽やかな感情と表情で、彼女は思う。
リョウはあの後、何を言おうとしたのだろうか。
かつてならば、少し「何言おうとしたの」という言葉を掛ければ、その回答は返ってきた。
だが、失った人は二度と戻ってこない。
再び顔を合わせて対話することも、直に触れ合うことも叶わない。
大切な人が去った世界は、変わり果てて見えて────それでも変わらぬ美しさで私たちを包んで、存在し続ける。それこそ、半永久的な期間で。
私たちは、そんな世界で生き続けるんだ。
嬉しいことも嫌なことも悲しいことも、全てその肩に乗せて。
だからそのために、私たちは極力忘却して日々を過ごす。哀惜ばかりしていては、毎日に滞りが生じてしまうから。
私はもうこれ以上自分の幸せを願わない。
所詮、寿命七十年を削られ、もう十年あるかどうかもわからないような命なんだ。
残りの命の灯火は、自分の思う正義のために使いたい。
そんなことを思いながら、アイは馬車の走行に揺られた。
異世界革命家という自分にとっての“悪”を世界から滅する。その目的に向かって。