30話:蛇蚹蜩翼
「政府軍さん。あとはよろしくお願いします」
「……貴女は来ないの?」
「ええ」
そう言い、外套を羽織ってその場から立ち去ろうとするアイに対して、メルは彼女を呼び止める。
「ちょっと待って」
振り向くアイ。メルは尋ねた。
「もう一度聞くわ。貴女、何者なの?」
協力者の存在は、上に報告しなければならない。そしてもし彼女が常世や政府軍の害となるような存在
だった場合、速やかな処分が必要となる。
その言葉に、アイは少し微笑んだ。
「“革命家殺し”です」
その瞬間、メルが驚きの果てに攻撃へと転じるその寸前、アイの頭上に巨大な鳥が現れた。
アイが手を真上に伸ばし、その鳥の足を掴むと、鳥は急上昇した。
瞬く間にしてアイが穴の上に辿り着き、メルを見下す。そんな彼女の隣には、二人の人物が立っていた。
メルは察する。
「……どっちかは『魔獣使い』みたいね」
『魔獣使い』。
常世には、魔獣と呼ばれる巨大で獰猛な動物が存在している。そしてそれら動物を意のままに使役する人間がいる。
彼らの総称が魔獣使いだ。
**
穴の上、アイとヒュウゴが鳥の背に乗って、空を飛んでいた。
そして二人に加え、鳥の首部分に跨る一人の男。
彼の名は『ラッド』。ヒュウゴからの紹介にてアイの協力者となった魔獣使いだ。
アイとは、“とある条件”のもとで協力関係を結んでいる。
「アイさん。ネウルスはどうなりました?」
「私の手柄ではありませんが、オーラの消沈から見て、多分、捕らえられた、もしくは死亡したでしょうね。取り敢えずは、目的達成です」
その時、ラッドが前方を見たままで二人へと尋ねた。
「それで? 俺はこのままどこまでお前らを運べばいい?」
アイが答える。
「そうですね……『リュード』辺りまで飛べますか?」
「リュードか? 楽勝だぜ」
リュードというのはここから南東方向に向かうと見えてくる一つの大きな国である。
ラッドが進行方向を変え、速度を上げようとした時、ちょうどその時であった。
アイらの遥か下、穴の中にて大きな轟音が複数回した。
疲労から狸寝入りしていたインデックスが、アイらの魔獣を見つけ、穴の中から狙いを定めた。
そして功力を発動し、地面を全オーラを込めて三回蹴った。
功力の起点、全オーラを込めたことにより、次のインデックスの打撃の威力は全オーラの四乗分の威力。
彼はその威力を、地面を蹴り飛ばすことにより、鳥と同じ高度まで飛び上がり、鳥の足を手中にすることに成功した。
そして手を回転の点としてインデックスは回転し、鳥の背に乗った。驚愕するラッドとヒュウゴ、アイを見て、インデックスは言う。
「やあ。君が噂の革命家殺しなんだって?」
「……ええ、まあ」
インデックスは、穴の中でメルより、現在鳥の背に乗って逃亡している者が革命家殺しであるということを聞いていた。そんな彼の目的は一つ。
「取引をしないか?」
「取引?」
言葉を反復したアイの隣で、ヒュウゴがアイに囁く。
「アイさん。慎重に」
それに対しアイも同様の声量で返す。
「わかってますよ」
やがてインデックスは話し出す。その取引とやらについてを。
「君がこちら側に協力してくれるのなら、今まで犯した君の罪を帳消しにしよう」
その言葉に、アイの心は一瞬揺らいだ。
“罪の帳消し”。それそれ即ち、革命家殺しの罪を経歴から抹消するということ。
だが、アイにとってそれは利益となるものではなく、寧ろ不利益だ。
これまでの罪は消えても、政府軍への協力をするということは、これからの革命家の殺害に大きな制限がつくということ。
アイの目的にとっては致命的だ。
「断ります。今すぐそこから飛び降りてください」
アイの返答に、インデックスは鼻で笑った。
「ふっ。君ならそう答えると思っていたよ。わかった。交渉はなしにしよう」
アイは強い。インデックスはそのことを理解したうえで、彼女を勧誘したが、その成功率は二割にも満たない程だろうと、予め踏んでいた。
故に、彼は呆気なく折れる。
「革命家殺しアイ。君の存在は、協力に免じて、今回は世間には伏せることを誓おう」
「それはどうも」
「ところで、君はこれからも革命家殺しを続けるのかい?」
「黙秘します」
またもやアイの返答に、彼は口元を緩ませ、鳥の背中から飛び降りた。
そして着地の一歩手前、五回目の功力により、彼は重力による加速をゼロにし、穴の中へと着地した。
一方のアイら。
インデックスが去ったことにより、ヒュウゴとラッドは心の底から安堵していた。
「ふぅ〜……殺されるかと思いましたよ」
「ああ。今のはマジヤバかったぜ。アイ。アイツが政府軍のトップか?」
インデックスのオーラを三人の中で唯一感じ取れたアイは、彼のオーラを遠く離れた現在でも、そのオーラの強さ故に手に取るように感じ取れていた。
そして理解する。
穴の中における彼の戦闘は、力を制限していたものだと。そのうえでネウルスをある程度、削ったのだと。
彼が化物だということを理解したと同時、アイは自身の拳をまじまじと見つめながら、ラッドへと答えた。
「ええ。間違いなく」
とその時、ふとアイは思い出した。
「あっ、そう言えば────」
「ん? どうしました? アイさん」
ただ、彼女が思い出したのは、わざわざ自分が動くまでもないようなこと。野暮用は政府軍の連中に任せることにした。
「いえ、何でもないです」
**
ジョーガル国内。
国外逃亡ブームが到来していたこの国に、とある男が来訪していた。
「『フィル』さん……! これで我々は本当に許されるんですよね……!?」
「ええ、ええ。勿論。今まで俺達が裏切ったことなんてないでしょ?」
フィルと呼ばれるこの男。
ヘビの中でも有数の暗殺者であり、少し前、この国にてアイへとネウルスの毒針を刺した張本人である。
そして、フィルの目の前にいる怯えた様子の男の老人。彼はこの国の政治家の一人である。
今回、ヘビがジョーガルの政治家に接触した目的は、ジョーガル国内にて重宝されていた高額の魔道具の数々を手に入れるため。
そのため「歯向かうとネウルスが国ごとお前らを滅ぼす」という脅しを入れ、国民の殆どを政治家の手によって国外へとやり、取引をしやすくしたのである。
フィルは政治家の持ってきたキャリーケースの中身を確認すると、自らの功力を発動する。
彼の功力は、対象全体に自身のオーラを持続的に纏わせることにより、自分以外入ることのできない、功力によって作られた“異空間”へと対象を飛ばすというもの。
対象は物と人、植物など、この世に存在する殆どのもの。故に、この功力の汎用性は高く、ネウルスもフィルのことをいたく気に入っていた。
しかし、異空間はその形を留めることで精一杯であるため、そこで戦闘などしようものなら、異空間ごとその対象の存在が消えてしまうこととなるだろう。
そんな異空間へと、フィルはキャリーケースを飛ばす。
物など、不動のものであれば異空間の崩壊は有り得ないことだから。
「うっし。取引成立な。そんじゃ、俺はそろそろ帰るとするぜ〜」
政治家へとそう言い、振り向いた瞬間、そこには一人の人が立っていた。
「はい、そこまで」
その人がフィルの額に指先で触れた瞬間、見開いたフィルの目が静かに閉じていった。
そして、フィルを肩に担ぎ、唖然とする政治家にペコリと一礼した後に、フィルを運び始める一人の人物。
中性的な顔立ちに肩程度まで伸びたショートヘア。灰色の羽織を纏った彼女の名前は『カレン・ダラン』。
政府軍二位を誇る実力者である。
**
組織ヘビとの対立の末、ヘビは崩壊した。
やがて順を追ってヘビに所属していた者たちが政府軍の管轄下にある収容所へと収監されたことで、本件は緩やかに幕を閉じた。
その一方で、ジョーガルでのヘビの違法な取引は、ジョーガルの政治家に悪意は無いとして、政府軍によって世界中に露呈された。
また、本件を経て政府軍の中でアキサの順位を決めることとなり、インデックスとの簡単な模擬戦闘が行われた。
その結果、アキサは政府軍六位となる。その他の順位は特に変動なしである。
順位が反映された頃、アキサはギルトとランスと共にウォルスの見舞いに行っていた。
「ウォルスさん。胸の調子はどうですか?」
「数日前よりは遥かに良くなっていますね。このままいくと、あと二週間後には退院できると、医者に言われました」
安堵の表情を浮かべる三人。しかし、ウォルスは違った。
「アキサ様。少しいいですか?」
「なんです? 何か欲しいものとかですか?」
「いえ。……実は、ちょっと悪い予感がしまして」
その言葉に、アキサの両隣にいたギルトとランスが反応する。
「アキサ様。少々マズい状態かもしれません」
「こいつの予感は、命中率百パーセントです」
二人の言葉に耳を傾けつつ、アキサはウォルスへと問う。
「ウォルスさん。その悪い予感っていうのは、具体的にどんなことが起こるかはわかりますか?」
「……いえ、そこまでは流石に。申し訳ございません」
アキサは、三人のことを信用している。だから、その言葉も彼の予感も全て、信じることにした。
そのうえで、それをインデックスへと伝えるため、暫く四人で談笑をした後、彼女は政府軍本部へと向かった。
**
東側大陸南西部。リュードから南東に向かうと見えてくる、『カルトスタウン』という街がある。
そこには政府軍の所有する収容所があり、トーカ、そしてフィルをはじめとするヘビに属した者の多くがその場所に収監されていた。
そこを訪れた一人の者────その者は収容所の見張り数十人を瞬く間に気絶させ、トーカが収監されていた牢獄にまで辿り着いた。
牢獄の中で蹲るトーカを見下し、その者は言う。
「トーカ・キジラ。ここから出たいか?」
声を掛けられ、彼女は顔を上げる。
「あなた……!」
そんな彼女の目に写ったのは、革命家殺しアイの姿であった。
「お前を救ってやる」




