15話:契機と克服
『アイさん……無事でいてください……!』
そう願いながら走るのはユキであった。
時は遡り数分前。
アイらの計画により、リウタウンに住まう人々は、国外にある大森林の中に身を潜めている。
そんな彼らの元に、戦場のアイの指示によって逃亡してきた首長とその他の数人が戻ってきた。
ユキは首長の話を聞き、五百余りの人々が死んだこと、そしてアイが一人で戦っていることを知る。
その時に彼女が取った行動は、いち早くアイの元へと駆けつけるべく、ただひたすらに走り出すことであった。
いくら革命家殺しのアイであっても、約五百人を瞬く間に戦闘不能にした実力者と対峙した暁には、死とまではいかずとも、確実に怪我を負う筈。
ユキが走った理由は、彼女の援護に徹するため。
そして彼女を救うため。
ユキにとってアイは、心から未来を生きて欲しいと願う大切な人の一人であるのだから。
**
ユキが現場に駆けつけた時、それは意図せず、アイがジョウの能力によって自我を失った瞬間であった。
ジョウは彼女の焦燥しきった表情を見て、せせり笑うようにして言葉を吐いた。
「ふっ……いい見物人が来たな」
ジョウがそう言ったのには、明確な理由がある。先日、リウタウンに偵察として、操った者を寄越していたからだ。
流石にあのプレハブまで辿り着くことは叶わなかったが、アイの姿を捉えることはできた。その際、彼女と共に歩いていたのがユキである。
写真を撮らせ、それを自身の目で確認したために、ジョウは彼女の体裁を知っていた。
「丁度いい。アケバナ。奴を殺せ」
「…………」
操られ、彼の傀儡となったアイは無言のまま、焦燥と戸惑いとが入り混じったユキの元へと、ゆっくり歩いていった。
作戦決行前日、つまり昨日。
ユキはアイがディーチを殺した日、彼からジョウの能力に関する推測があったのを、アイの隣でしっかりと聞いていた。
「人を操るという能力」。今目の前にいるアイの様子を伺うに、ディーチの推測は正しかったと言えた。
ユキは心の内で覚悟を決めた。
『やるしかない……!!』
アイを多少傷つけることになろうが、自分の身にどんなことがあろうが、ユキの覚悟が裏返ることはない。
瞬間、彼女は功力を発動した。
青紫の雷のオーラに「秘匿性」を付与したことにより、彼女の雷の能力はジョウ、アイ、そして彼女自身にも見えなくなる。
だが、ユキだけは掴んでいた。自身のオーラを意のままに操るという生まれ持った力により、オーラの大まかな居場所を。
故に、こちらへと歩み寄ってくるアイの横腹付近に、能力を当てることに成功した。
だが、それは当たっていなかった。いや、当たってはいるが、彼女にとってダメージはなかったのだ。
アイはユキの功力が体に触れる直前、至速によって研ぎ澄まされた超人的感覚により、具現化されたオーラの存在を、その肌で僅かに感じ取った。
刹那、体に流れる全てのオーラを右手に集中させ、右手の防御力を凄まじい程に向上させた。ユキの雷を手で掴んでも無傷でいられる程に。
そして天の能力を発動。引力の発動条件として設けた「一度手で触れる」という行為を行い、引力を発動することのできる“点”を作ろうと試みたが、ユキがそれに気づいたことにより、彼女が点を作成するよりも早く、能力を一度消去した。
間髪入れず、ユキは攻撃を仕掛ける。予め功力で用意していた雷の能力は二つ。
そのために一つ消去した時点で、もう一つの能力によって攻撃を仕掛けることができた。尚、その間に消去した能力を再び具現化させた。
ユキが一度に操ることのできる能力の数は二つ。それ以上は脳の整理が追いつかなくなり、判断が鈍る。
素での能力の攻撃力を考慮するならば、なるだけ持続の可能な方がユキにとって得だ。
「アイさん……正気を取り戻してください……!」
ユキは攻撃を繰り返すが、アイはそれを至速によって寸前で避けていく。そして避けつつ、彼女は死体の脇に落ちていた彼らの武器を投げ、反撃をした。
ユキはそれを身のこなしで回避しながら、考えた。
彼女を止める方法はないだろうか。
そう考えた末に辿り着くのは、遠くで自分たちの戦闘の様子を伺うジョウ。
アイの主導権は彼にある。アイとこれ以上は戦わずに彼女の催眠を解くためには、彼を叩けばいい。
だが、そう上手くいくわけもなく。
アイの実力は、ユキが思っているよりも遥かに強いものだった。
「くっ……!」
ユキは苦戦を強いられていた。
そんな中、アイは息一つ切らさずに、全ての攻撃を避け、反撃までしてくる。
そして恐ろしいのが、アイがまだ一つの天の能力しか使用していないという事実。ユキが以前聞いたアイの能力の数は四つ。
その詳細までは聞いていなかったが、まだ三つの能力が残っているというアイの余力が、ユキの心底に沸々と在る不安を加速させた。
故に、彼女は行動を先走り、無理にジョウへと攻撃を仕掛けることに。
功力によって具現化する能力の数を三つに増やし、その内の一つでアイに攻撃を行い、その他でジョウへと攻撃を行った。
攻撃の手が緩まったことを確認し、剣を具現化して急速に攻撃を仕掛けるアイ。
ユキは彼女の剣が今にも体に刺さりそうな位置で踏ん張り、ジョウへと能力を飛ばす。
しかし、彼の体の周りには膜のようにして水の能力が発動されており、その能力には「緩衝」という性質が施されていた。これはリウタウンのデモ団体、その首長の功力を模倣したものである。
見えぬユキの能力を防いだことで、得意げにユキへと振る舞うジョウ。
「どうだ? パクってみたんだ」
そう言われ、ユキは悔しそうに歯を食いしばった。
生じたその隙をアイは突き、彼女の腹部に剣を貫通させた。
**
「ユキ……」
国外、大森林内部。リウタウンの住人たちがデモ団体の人間の指示に従って避難していた。
ユキが飛び出してから、複数人の大人たちが彼女の後を追い、今に至る。
ユキの友人──ひとりの少女は彼女の身を案じていた。
かつて自分も“泣き虫”と称されていたから、“臆病者”の彼女とは互いの傷を埋めるように惹かれ合った。
自分以上に傷ついている人間を見て、ユキは彼女を庇いたくなったのだ。
彼女が罵詈雑言を浴びせられている時は、ユキが彼女の前に立ち、罵ってきた相手を怒鳴って追い払う。ユキ自身も、その時だけは臆病者ではなかったのだ。
そもそも、彼女は臆病者などではない。
人の為に怒れて、人の為に自らの身を犠牲にできる、誰よりも勇気のある者なのだ。
そのことを理解していた友人は、周囲の人よりも人一倍ユキのことを心配していた。
彼女は自己の身を顧みないから。そして誰よりも勇敢だから。
**
剣で貫かれた部位から血がしたたかに滴り落ちる。
ユキは激しい痛みを必死に我慢し、刺された箇所にオーラを集中させ、強固にすることと体を強く捻ることでアイの剣をへし折る。
出血をこれ以上しないために、オーラでその箇所を強固にし続ける必要があった。
だが────
瞬間、ユキの視界がぐらつく。
功力には基本、至速を必要とする。至速を発動したうえで能力に性質を付与するため、その分、脳の疲労が著しい。そして、ユキはその功力を二つ同時に発動していた。
加えて、アイからの反撃を避ける、一時的に三つの功力を発動する、剣で体を貫かれその箇所にオーラを急速に集中させる、などと度重なるそれらの無茶な行為が、ユキを限界に至らせた。
簡易的に称するなら、単純な体力切れである。
立つことさえままならなくなり、ユキはその場に座り込んだ。
「はあっ……はあっ……!」
アイは予め、折れた剣の剣先に血の出ない程度で触れていた。そして、その触れた部分の剣身は今、ユキの体内にある。
故に、引力を発動することができた。
オーラによって強固にされたことなど関係ない程にアイの能力の力は強力で、アイはユキの体内から折れた剣身を勢いよく引き抜いた。
同時、限界の来ていたユキの意識が大量の出血と共に失われた。
地面に顔面から倒れ、衣服も含め、その体裁は血だらけとなった。
「善戦虚しく……ってとこだな」
事の始終を見ていたジョウがそう呟く。そして彼は、その脳内にて妙案を思いついた。
彼の「人を操る」という能力は、発動条件が厳しい分、その能力の性質に融通が利く。
能力発動の対象はその際限が無く、操る能力は対象の脳が完全に死亡するまで維持される。
そして、“操る範囲”というのを逐一変更が可能である。
ジョウが思いついた妙案、それは────
アイの体の自由は制限したままで、目の前の惨状を彼女自身の目でしっかりと確認させること。
ジョウは、彼女に掛けた催眠を一部解いた。
よって、アイは瞳にはユキの血だらけの体裁が映り、自分が行ったことに纏わる記憶が脳に流れ出す。
「あ……あああ……」
信頼、友愛を感じていた人を、自らの手で傷つけてしまった。その事実が、アイにとっては残酷で、そして何よりもやるせなかった。
と同時、彼女の中に生じる────
「ジョウ・ラノン……!!」
沸々と燃え上がるように、荒々しく、彼女の憤りが爆ぜた。
怒りの矛先を向けられたジョウは、自身の能力の支配下にあるという心の余裕からか、そんなアイを笑った。
「ハハッ。無様なものだな。怒りという感情でしか俺に刃向かえないとは」
怒気で満ちた表情を浮かべながら、アイは全身にオーラを滾らせた。そのあまりの量に、ジョウは多少怯むが、不安や恐怖などという感情には至っていなかった。
が、瞬間、彼はアイに一時的に自我を取り戻させたことを後悔する。
人間が所有するオーラというものは、基本的に他のオーラと混ざり合うことを拒む。だからこそ体内には基本的に一つのオーラしか存在しない。
今、アイが体に纏わせたオーラは風。体の内部においてオーラとオーラは互いに反発し合うという性質を、彼女は利用することにした。
風のオーラで力ずくで一時的に体内を飽和させたことにより、ジョウのオーラが体外へと強制的に排出される。
彼の能力は、アイの体から消えた。
「クソが……!」
風のオーラを全身に巡らせながら、アイはジョウを睨みつけた。
「決着をつけよう。クソ革命家」




