## 9.試練 - 新たな力、そして決意
夕焼け空の下、最後の柵の杭を打ち込んでいると背後から、あの聞き慣れた、けれど少しだけトーンの低い声が聞こえてきた。
「ほう、なかなか立派な柵が出来たな」
振り返ると、腕組みをしたゲオルクが完成したばかりの橋を満足そうに眺めていた。
「約束通りだ。お前の家に転移させてやろう」
ゲオルクの言葉にレオンはハッとした。
もうそんな時間か。
ようやくこの不自由な村から解放されるのか。
しかし完成したばかりの柵を見ても、まだやり残したことがあるような気がした。
「あの……柵がまだ、少し残っているので」
名残惜しさにレオンが思わずそう言いかけると、隣で作業を見ていたヨーサクがにっこり笑って言った。
「ああ、それなら心配すんな!あとは、おいら一人でもできるから!あんたは、早く闘技大会の準備をしな!」
ヨーサクの友情にレオンは感謝の念を抱いた。
しかし今一番心残りなのは、この村で出会ったある頑固な老人だった。
「村長」
レオンは意を決してゲオルクに向き直った。
「もしよろしければ帰る前に、一つだけお願いを聞いていただけないでしょうか?」
ゲオルクはいつものように表情一つ変えずに、「なんだ?」と簡潔に答えた。
レオンは深呼吸をして頭を下げた。
「村長に魔法の指導をしていただきたいのです!」
まさかの申し出にゲオルクは一瞬、目を丸くした。
杖のことで叱られたばかりだし、まさか自分が魔法を教えてもらえるなどとは、レオン自身も思っていなかった。
厳しい言葉が飛んでくるのを覚悟していたのだが……
ゲオルクは予想外にも、ふっと笑い出した。
「魔法の指導だと?ふむ、まあ、それくらいなら別に構わんぞ」
拍子抜けしたレオンは顔を上げた。
「本当ですか!?」
「ただし、教えるのは簡単なこと一つだけだ。あとはお前の才覚次第だぞ」
ゲオルクはそう言うと、レオンを近くの開けた場所に連れて行った。
そして、「一番得意な魔法を見せてみろ」と言った。
レオンは迷わず得意の炎魔法、レイヴンフレイムを唱えようとした。
しかしゲオルクはそれを制止した。
「今日は、詠唱はなしだ。無詠唱でやってみろ」
「ええっ!?無詠唱で!?」
詠唱魔法に慣れきっていたレオンにとって、無詠唱で魔法を使うなど、考えたこともなかった。
何度か試してみるものの、魔力は指先に集まるだけでなかなか形にならない。
ゲオルクは腕組みをしてじっとその様子を見ていた。
そして痺れを切らしたように簡潔に指示を出した。
「もっと集中しろ!イメージを強く持て!魔力をお前の意思で直接操るんだ!」
悪戦苦闘すること数十分。
レオンは何度も失敗を繰り返しながら、ようやく小さな火の玉を手のひらに出現させることに成功した。
それは魔法としては貧弱なものだったが、これまで考えもしなかった事が出来たのである。
「できた!」
レオンが喜びの声を上げると、ゲオルクは満足したように頷いた。
「まあ、及第点といったところか。あとは自分で鍛錬しろ。基本的なことは教えた。他の魔法でも応用すればできるはずだ」
魔法の指導が終わると、すでに日は完全に暮れてあたりは薄暗くなっていた。
「今日はもう遅い。帰るのは明日にしろ」
ゲオルクにそう言われ、レオンは素直に頷いた。
さっきまで一刻も早くこの村から帰りたかったはずなのに、今はもう少しだけこの村にいられることが何故か嬉しかった。
ゲオルクに教わったばかりの、新しい力を試したい。
そして何よりも、この村で出会った大切な人たちともう少しだけ一緒にいたいと思ったのだ。
夜。明日、村を離れる前にどうしてもやっておきたいことがあった。
あの忌まわしい暗闇への恐怖を克服するために、あのワイバーンを今度こそ自分の手で倒したい。
ゲオルクに教わったばかりの無詠唱魔法も試してみたい。
レオンは誰にも告げず、そっと村長の家を出ようとした。
玄関の戸を開けると……
「あら、どこへ行くんですか?」
そこに立っていたのは、腕組みをしたセリスだった。
昼間の優しい笑顔はどこへやら、少しばかり不機嫌そうな表情をしている。
(しまった、見つかった!)
レオンが言葉を探していると、セリスは少しばかり拗ねたように言った。
「昼間はあんなに色々話したのに……別れ際に、何も言わずに一人で出かけるなんて、水臭いわよ」
セリスの言葉にレオンはハッとした。
そういえば自分もあの時、感謝の言葉をちゃんと伝えられなかった。
言葉足らずなのは、お互い様か。
「すまなかった。ちょっと、どうしてもやりたいことがあって……」
「ふうん。まあいいわ。私も付き合ってあげる」
セリスはそう簡潔に言うと先に歩き出した。
その後ろ姿を見ながら、レオンはなんだか不思議な親近感を覚えた。
なんだかんだ言ってこのツンデレ女も、根は優しいのかもしれない。
そして自分と同じように少しばかり不器用なのかもしれない。
二人が村の外れまで来ると、今度は畑からクワを持ったヨーサクが奇妙な顔をして現れた。
「おーい、二人とも、こんな夜中にどこへ行くんだ?」
レオンとセリスが顔を見合わせると、ヨーサクは少しばかり寂しそうな声で言った。
「おいらも誘ってくれればよかったのに!水臭いなあ!」
ヨーサクの言葉にレオンとセリスは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
ヨーサクは二人がなぜ笑っているのか、さっぱり理解できない様子で首を傾げている。
「いや、別に深い意味はないんだ」
レオンがそう言うと、ヨーサクは納得したのかしなかったのか、まあいいかとばかりに言った。
「まあいいや!どこへ行くんだ?おいらも一緒に行くぞ!」
こうして、レオン、セリス、ヨーサクの三人組は夜の森へと足を踏み入れた。
昼間は賑やかだった森も夜になると一変する。
木々の影は深く、風の音さえもどこか不気味に聞こえる。
レオンはやはりあの暗闇への恐怖を感じ始めていた。
足元が覚束なくなり冷や汗が背中を伝う。
「大丈夫か、レオン?顔色が悪いぞ」
隣を歩くヨーサクが、心配そうに声をかけてきた。
セリスも少しだけ歩調を緩めレオンの方を気遣っている。
レオンは正直に打ち明けた。
「ああ……やっぱり、夜の暗闇は、少し苦手で……」
事情を聞いた二人はそれぞれに励ましてくれた。
ヨーサクはでかい手でレオンの背中をバンバン叩きながら、「大丈夫だ!おいらがついてるぞ!」と、頼もしい言葉をかけてくれる。
セリスは冷静な口調で、「ただの暗闇よ。そこに、昼間と違うものなんて何もないわ」と言い聞かせてくれる。
二人の友情に触れ、レオンの心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
一人で怯えていた時とは違う。
仲間がいるという心強さが、彼の背中を押してくれた。
やがて三人はあのワイバーンの縄張りに近づいた。
遠くからでも不気味な咆哮が聞こえてくる。
レオンは深呼吸をして静かに決意を固めた。
今度こそ自分の力であの恐怖を打ち破ってみせる。
ワイバーンの咆哮がより一層大きく響き渡る。
警戒しながら周囲を見渡す三人。
その時、夜空を切り裂くように巨大な影が舞い降りてきた!
「来たぞ!」
ヨーサクが低い声で叫んだ。
威圧感たっぷりのワイバーンが、鋭い爪と牙を剥き出しこちらを睨みつけている。
その瞬間ヨーサクが懐から、小さな、しかし不思議な光を放つ石を取り出した。
「おりゃ!」と叫びながら、その石をワイバーンに向かって投げつけると……
なんと!
ワイバーンの巨大な翼がみるみるうちに凍りついていく!
まるで巨大な氷の彫刻のように動きを封じられたワイバーンはバタバタともがきながら、空からボトボトと情けない音を立てて地面に落ちてきた。
「すげえ!今の無詠唱魔法か!?」
レオンはヨーサクの予期できなかった魔法に、目を丸くして驚いた。
しかしヨーサクは苦笑いを浮かべて言った。
「無詠唱魔法なんか使えるわけないだろ!これは村長にもらったマジックアイテムだ。緊急用として村人に持たされてるんだ」
なるほどそういうことか。
しかしそれでもすごい威力だ。
だがヨーサクの表情は険しい。
「だが、あくまでも一時しのぎだ。すぐに氷は解けるぞ!」
その言葉通り、ワイバーンの翼の氷にみるみるヒビが入り始めた。
「くそっ!こうなったら俺が!」
レオンはゲオルクに教わったばかりの氷魔法を試そうと、手のひらに魔力を集中させた。
「氷よ、凍てつけ!」
しかし彼の放った氷の塊はワイバーンの翼に触れた途端、パリンと音を立てて砕け散ってしまった。
「ええっ!?なんで!?」
「ふっ、甘いわね」
セリスが簡潔に言うと、スッと前に出た。
彼女が手のひらをワイバーンに向けると……
先ほどとは比べ物にならないほど強力な冷気が放たれ、ワイバーンの翼は再び、今度はより深く完全に凍りついた!
「な……なんだ、今の魔法は!?」
レオンはセリスの魔法の威力に言葉を失った。
まさかこんなところで、ライバル(と勝手に思っている)の底力を見せつけられるとは!
メラメラと、対抗心が燃え上がってきた。
「くっ……負けてられない!」
レオンはもう一度、氷魔法に挑戦した。
今度は焦らず落ち着いて、自然に語りかけるように魔力を操るイメージを強く持つ。
「氷よ……静かに全てを包み込め……」
すると……
彼の手のひらから放たれた冷気は、先ほどとは明らかに違っていた。
ワイバーンの全身をゆっくりと、しかし確実に凍りつかせていく!
みるみるうちにワイバーンは完全に氷漬けになり、ガチガチと音を立て始めた。
完全に動きを封じられたワイバーンは、恐怖に震えているのか、巣の方へ這々の体で逃げていこうとする。
しかし全身が凍っているのでノロノロとしか動けない。
レオンは落ち着いて行動できた自分に驚いた。
あの忌まわしい暗闇への恐怖も、いつの間にか消え失せている。
「二人とも……本当にありがとう」
レオンは心からの感謝の言葉を口にした。
「お前たちのおかげで俺はまた一歩、強くなれた気がする」
ヨーサクはにへへと笑いながら、大きな腕を広げた。
「当たり前だろ!俺たちは、もう友達じゃないか!」
そう言うと、ヨーサクはセリスとレオンを強引に抱きしめた。
でかい腕の中に挟まれたレオンは、すぐ目の前に顔があるセリスにドキドキ。
セリスも少しだけ顔を赤らめている。
暗闇の中で三人の間にこれまでとは違う、 暖かい空気が流れた。
この時、レオンとセリスは初めてお互いを異性として意識し始めたのかもしれない。