第20話
真凪は湊鵺を抱き抱え彼女の部屋へと足を進める。
勝手に部屋に入っても良いのか悩んだが自室に連れていく訳には行かないのでノックをしてから入る。
ベッドに下ろすと、端に座って寝顔を眺めていた。
眺めている内に湊鵺がネグリジェ姿な事に気付く。
いつもは男装している為、女性らしい洋装を見た事が無いのでつい魅入る。
いや一度、女子生徒の制服を見たきりだったが。
直ぐに着替えさせたのだった。
美し過ぎて自分以外の男に見せたく無かったからである。
白い清潔感のあるネグリジェは彼女に良く似合っていた。
だが無防備な上にこんな姿で居られたら、真凪の理性が溶けてしまいそうになるが抑え込む。
薔薇の貴公子の中では藍が一番理性を保つ性かも知れない。
自身の外套をそっとかけて目を逸らした。
暫くすると、起き上がったのかベッドが軋む音がし振り向くと外套を手に取りぼんやりしていた。
真凪が居る事に気付いていない彼女にどう声をかけようか悩んでいると。
真凪のかけた外套に顔を埋めていた。その後にネグリジェの上から外套を羽織る。
そして頬を桃色に染めて、真凪の匂いがすると呟いた。
『なんて幸せな夢……』
彼女の幸せそうな表情と言葉に抑え込んでいた理性が飛びそうになるのを更に抑えた。
『残念ながら夢ではないぞ』
コホンと咳払いをして声をかけると、桃色だった頬が血の気が引いたのか顔面蒼白に。
『いつから此方に』
『昨日は華架院の部屋で寝たのは覚えているか。朝起こしに行ったがまだ眠っているようだったから部屋に戻して今に至るのだが』
簡潔に話す真凪。
醜態を晒して申し訳ありません、と深々とベッド上で土下座をし謝罪をする彼女。
『そんなに俺の匂いとやらが好ましいのか』
必死に謝る彼女をどうしようも無く愛しく思ったが意地悪をしてしまいたくなる悪い癖が出てしまう。
『寝惚けてしまったようで……』
苦し紛れの言い訳をしている彼女に更に追い討ちをかけたのは真凪。
腕を引っ張り抱き寄せると、彼女は淡い蒼い瞳を見開いたまま凝視している。
同時にえっ、と声にも出しているが本人は気付いていない。
『この位近い方が俺の匂いが分かるのでは無いか』
そう言うと湊鵺の後頭部に手を添えて胸元に包み込む様に抱き締めた。
『真凪の、……この匂いは』
言いかけた湊鵺は言葉を呑み込む。
危ない、本心が漏れてしまう所だったことを。
真凪の匂いだけでは無いのだが、何だか貴公子の仲間の匂いはひどく落ち着く気がするのである。
懐かしいような親しみを感じる匂い。
優しくてあたたかい気持ちになれる。
『君の幸せそうな表情は好ましく思う』
湊鵺を抱きしめていた手を緩めると、真凪は魔法稽古の準備をすると言って部屋を出て行った。
入れ違いに兄の悠が部屋へと入ってきた。
湊鵺の外套と制服を片手に。
『少々友人との距離が近過ぎるのではないか。公にはしていないが湊鵺は俺の婚約者だろう』
『他意は無いのですが、以後気を付けます』
『なら良いが。婚約者以外の異性に恋情など抱いてはいないだろうな』
『はい……』
蒼い瞳からは涙が零れ、悠は指で拭ってやる。
『今日の分を俺に』
悠に催促されると彼女は目を閉じて黙って抱き締められる。
ふたりの背から白銀の双翼が顕になり、湊鵺は元の姿へと戻った。
『お兄様の婚約者だという事は忘れていません……』
『理解しているのなら何も言うつもりは無い、一番に愛してやれるのは婚約者の兄である俺だけだ』
“一番に愛してやれるのは婚約者の兄である俺だけ”だなんて嘘をつく悠の言動にチクリと胸が痛む湊鵺。
抱き締めたまま湊鵺の首筋に顔を埋めると頤を持ち上げそのまま唇を重ねる。
『湊鵺もいつか恋をする時が来るだろうと考えていた。だが魔族はダメだ。魔族との恋愛をする位なら兄である俺にしておけ、俺なら正妻としての湊鵺の立場を守ってやれる。父上や母上と同じくな』
悠と湊鵺の両親も兄妹婚をしている。深い絆で結ばれた夫婦。
兄である父が妹である母に求婚し夫婦になり悠と湊鵺が産まれた。
厳格な父と心優しい母が仲睦まじくお互いを想い合っている様は、幼心に強い憧れがあった。
私もいつかそんな風に想われたら幸せだなぁ、と。
『私は……』
『お前は誇り高き神の一族の純血種だ。俺の妻になるのを拒む事は赦されない。決定事項なのだからな』
銀色の双眸が仄かに光り出す。
『悠……?魔法が発動し』
『俺の婚約者であるお前には他の男への恋情など不要だ……俺だけを見て俺だけに愛されたら良い』
『悠………』
抵抗する湊鵺を押さえ付け、指を入れて口をこじ開けたかと思うと舌を絡めた。
『や、……悠』
『お前の意思など、……要らない。拒絶は赦さない』
深い口付けの中、悠の神力が湊鵺の身体中を巡る。心の臓が悠の発した冷気に包まれるような感覚に陥った。
『忘れ、たく……な』
それと同時に湊鵺は理解した。
嗚呼、私の感情が薄れていくのだと。
恋情を。
初めて好きだと想ったのは。
蓋をしたのに。
深く深く蓋をして忘れようとしたのに。
だって貴方は他の女性を愛しているのでしょう。
ふと、脳裏に蘇る会話。
まだ幼かった頃。
書斎での父と兄の会話を思い出す。
ドアの向こうから黙って聞いていた。
『お前に婚約者を充てがうつもりだ』
『俺には心から愛する人がいます』
『だが秘密裏に婚約はしてもらう』
『……分かりました。家の為ならば。ただ俺の寵愛を期待しないで下さい』
兄の冷え切った声を聞いて、震えてしまった。
聞いたこともない声のトーン。
大好きな兄が婚約してしまうのだと衝撃が走った。
私はこれ以上、聞きたくなくて自室へと駆けた。
暫くして父から兄の婚約者に何れ据えられる事を聞いた。
兄には愛する女性がいるのに、私のせいで縛られるのだと悲しかった。
兄は婚約後も変わらずに妹に対して優しかった。
けれどもそれは妹への家族愛として、それを忘れてはならない。
だから悠への想いに深く強く蓋をした。
兄を愛している気持ちを。
傷を癒してくれたのは薔薇の貴公子である仲間だった。
皆が大好きで本当に心から大切に想う。
異性ではなく仲間として大好きだった。
言葉にするなら親愛の意味として、だが。
過去にも彼らと出逢ったような気がするのは気のせいか。
いつも傍に寄り添ってくれた壱や真凪に惹かれないかと云われたら否定は出来なかった。
ふたりは何となく姿形は違うが兄の悠と重なる部分があった。
悠に話せないような弱い部分を見せられる存在だった。
ただ他に好きな女性を心に秘めている兄に怒られるとは思わなかった。
『忘れるんだ、永遠に』
『や、……!』
抵抗していた腕の力は抜け、足にも力が入らず崩れ落ちる。
虚ろな虹色の瞳には雪の結晶の紋様が刻まれ、仄かに光を帯びる。
『お前を何よりも深く愛しているよ』
悠の声は彼女には届いては居なかった。
気を失い崩れるように倒れ込む湊鵺をそっと抱き締める。
『兄妹の時間を邪魔するのは無粋じゃないか』
悠の冷ややかな目線の先には壱が立っていた。
『随分な事をしてくれたね、悠』
『婚約者をどうしようが俺の勝手だが』
『湊鵺も可哀想に。想いが報われないなんてね』
壱の発言に怪訝な表情をしたのは悠。
『どういう意味だ』
『そのままの意味だけれど。だって湊鵺の想い人は』
『関係無い』
ピシャリと言葉を遮り壱を黙らせた。
『まぁ今は闇夜月ノ宮との闘いを控えてるし、別に良いけれど。でもね湊鵺が可哀想だよ?本当に不器用な兄妹だね』
制服に付ける装飾品を忘れてたから持ってきただけだから、と机の上に置いて部屋を去る壱。
壱が出て行った後でも気を失った湊鵺を抱き締めたまま離さない悠は一言もらした。
『すまない……縛り付けて。だが愛しているんだ……お前を心から。例え心が伴わなくとも』
銀色の瞳から一筋の涙が溢れた。




