第8話 馬子にも衣裳
前回までのあらすじ
嬉し恥ずかし夫婦の混浴。しかしレオはまったくの平常運転だった。
湯屋から出たポレットは、布でぐるぐる巻きにされたまま町中を運ばれた。なにをおかしなことをと思うかもしれないが、決してそれは比喩ではなく、言葉通りに「運ばれた」のだからたちが悪い。
レオのうっかりにより着替えの用意がなかったポレットであるが、いくら見た目が幼児といえども、まさか127歳女子を裸で歩かせるわけにもいかないし、さりとて不潔なローブを再び着せるわけにもいかない。
なのでレオはポレットを大きな布で包んで芋虫よろしく顔だけ出させると、小脇に抱えて移動することにした。これが大人であればさにあらず、抱えられているのが幼児であれば誰一人としておかしく思う者はいなかった。
現代のような大量生産、大量消費の真逆をいく、少量生産、少量消費、家内制手工業が主であるこの時代。織布というものは一般的に高価である。
であるなら、その集合物である衣服も当然のように高価であるため、おいそれと庶民が何着も持てるようなものではなかった。
つまりは着の身着のまま、一着しか服を持たない者も多いわけで、幼い子供が裸のまま放置される光景も珍しくない。
だからポレットを小脇に抱えるレオも、服を汚した幼子を家へ連れ帰る父親なのだろうと、むしろ微笑ましくも生温かい視線を周囲から浴びる程度だった。
そんな彼らが辿り着いたのが町に一軒しかない服屋。
ブティック、アパレルショップ、おしゃれ洋品店などと現代ならば呼び名も様々だろうが、お世辞にもそんな大層なところではなさそうだ。
精々が行商から仕入れた安価な服や適当な古着を吊るしで売るような、どこの町にも一軒はあるような店。
その扉を小脇に幼女を抱えた騎士がおもむろに開けた。
「いらっしゃい……?」
「店主。突然だが、服を一着買いたいのだが」
開口一番レオが言う。その前には怪訝そうな顔を隠そうともしない店主らしき男。さらにその隣には妻と思しき中年の女もいるのだが、彼女もまた同じような顔をしていた。
もっともそれは仕方がない。なぜならレオは、さながら芋虫のようなポレットをこれ見よがしに掲げ持っていたのだから。
その幼女が叫ぶ。
「えぇ加減に降ろさんかい! いつまでこんな格好せなならんのじゃい! このハゲがっ!」
「だから悪かったと何度も謝っているだろう。そういつまでも怒らないでくれよ」
「これが怒らずにおられるかい! 一体わしを何だと思うとるんじゃい、このクソが! いわすぞ!」
ぐるぐる巻から顔だけ出したポレットが、顔面を真赤にして怒鳴りまくる。ぷりぷりと情け容赦なく怒るその様は、しかし傍から見ると笑みがもれそうになるほど愛らしかった。
気付けばすっかり置き去りにされていた服屋の店主。彼がおずおずと口を開く。
「あ、あの騎士様。口を挟んで申し訳ありませんが……えぇと、この度はお子様のお召し物をお探しで?」
「あぁ。突然で悪いが、この子に服を一着見繕ってもらいたい。できれば見栄えのよいものを」
「『この子』とはなんじゃい! お前は妻に向かって――もがもが!」
ナチュラルにポレットを黙らせるレオ。どうやら彼はこの数日間でコツを掴んできたらしく、流れるような動作とともに妻の口を手で塞いだ。
そしてなおも暴れるポレットを宥めつつ告げる。
「金ならある。だからこの店で一番高い服を用意してもらいたい。それから服に合うようについでに髪も整えてほしいのだが……できるか?」
「もちろんでございます! お任せください! 一番高い服ですね? 承知いたしました! それなら取って置きのがございますので、ぜひともご覧いただきたく!」
近衛騎士の制服の上から簡易な鎧を纏ったレオは、見ようによってはどこぞの貴族家の護衛騎士に見えなくもない。つまり服屋の主人からは金払いの良い上得意客に見えたらしい。
もちろんそれは勝手な思い込みなのだが、実際のところは当たらずも遠からずといったところ。
国の命運を委ねられたレオは、目的を達するためなら幾らでも金を使うことが許されていた。もちろん無駄遣いは慎むべきだが、ここでポレットに高価な服の一着や二着買い与えたところでどうということもない。
いや、むしろそれは必要経費と言っても差し支えなかった。
これから二人はブリオン王城へ向かうのだが、満を持して連れ帰った稀代の魔女が薄汚い格好をしているのも些か印象が悪い。
かと言って農民の子のような恰好をさせるわけにもいかなければ、もちろんこんな片田舎に魔術師のローブなど売っているはずもなかった。
ゆえに店が用意できる服の中でも、一際質が高く見栄えが良いものを探してもらおうという算段だったのだ。
すわ儲け話か、と瞳を輝かせる服屋の店主とその妻。
するとレオが二人へ向けて、相変わらず芋虫のような有様のポレットを恭しくも差し出した。
「ならばこの子を託させてもらう。すべてお任せするので、精一杯着飾らせてやってほしい」
よくもまぁこの店は潰れないものだと感心するほど来客もないまま30分が過ぎ、さすがのレオも待ちくたびれ始めた頃合い。やっと店の奥から店主が戻ってきた。
見れば何気にドヤ顔を晒し、どこか自信満々の佇まい。中年男にあるまじき気色悪くもキラキラと輝く瞳を見せつけながらレオに告げる。
「お待たせいたしました。当店でご用意できる最上級のお洋服でございます。髪も整えて幾つかアクセサリーも飾らせていただきましたので、ご希望どおりの装いになったかと」
「それにしても、本当に可愛らしいお嬢様ですね! これほど服を合わせるのが楽しかったのは久しぶりですわ!」
店主の妻までもが興奮気味に捲し立てる。どうやら彼女は本気で言っているらしく、ふんすっ、とばかりに鼻息も荒くレオににじり寄ってきた。
その反応にたじろぎつつもレオが店の奥へ視線を向けると、そこに一人の幼女の姿があることに気づく。
一言で言うとそれは天使だった。
よくぞこんな小さな店にあったかと思うほどにヒラヒラ、フリフリのドレス。遠目からもわかるほどに細かく刺繍が施された高級な素地を惜しみなく使い、幾重にも重ねられた布地はふんわりとしたシルエットを演出する。
腰元に付けられた大きなリボンが年相応の愛らしさを引き出して、そのすべてがポレットの容姿を際立たせていた。
輝く白金の髪はサラサラとなびき、元来色白の顔はより一層抜けるように白い。透き通る青緑色の瞳は底が見えず、ぽってりとした柔らかそうな唇は紅を引いたように赤かった。
そこへ恥ずかしげに赤らんだ頬が加われば、まさに深窓の令嬢の出来上がりである。
しかし直後に開かれた口がすべてを台無しにしてしまう。
「ええ加減にせんかい! なにが悲しゅうてこんな格好せなならんのじゃ! お前ら全員しばくぞ!」
もじもじと全身を捩らせながら、それでも果敢にポレットが憎まれ口を叩く。
なんだかんだと言いながら微妙に視線を合わせようとしないのは、彼女が盛大に羞恥している証拠だった。
その頭の天辺から足の先まで遠慮なく眺めつつ、微笑みながらレオが言う。
「凄いなポレット、まるで貴族令嬢みたいに可憐だ。いや、姫君のように高貴と言ってもいいかもしれない」
「お、お前なにを……」
「うむ、可愛い。とっても可愛いと思う。ローブ姿の君も精悍だけど、ドレス姿の君もとてもいい」
「か、可憐……? 可愛い……じゃと?」
ぼっ!
もとより赤らんだ頬をさらに燃えように赤らめてポレットが身悶える。
今やその姿には、国に名を馳せる「帰らずの森の魔女」の姿は微塵もなかった。