第6話 可愛いわがまま
前回までのあらすじ
サブレの生まれは「カマクーラ」と呼ばれる精霊界。
紆余曲折の末に夫婦となったレオとポレット。
二人がともに旅立ってから8日目。やっと森の切れ目が見え始め、明日の午後には小さな町へたどり着くところまで歩を進めていた。
レオ一人であればとっくに到達していた道程である。しかしポレットと一緒であるため思うように距離を稼げなかった。
なにせ相方は5歳児である。脚が短く歩幅は狭く、体力も持久力も外見相応。レオがゆっくり歩くのとポレットの早足が同じ速度であるため、往路に比べて5割増で時間がかかるのはやむを得ない。
そのポレットであるが、本人の申告によれば実年齢は127歳。しかしその容姿は幼気な幼女そのもの。老害のごとく頑固で意固地で、目つきは悪いし口も悪いが、黙って澄ましていればよくできた人形のように美しい。
一緒に行動するようになってからレオはポレットの寝顔を見るようになった。それは決していやらしい意味ではなく、単に視界に入るという意味合いなのだが、あどけない表情ですぅすぅと小さな寝息を立てる彼女の姿は、まさに眼福と言えるほどに愛らしかった。
それを見る度に、そこはかとなく温かいものがレオの胸に満ちてくる。それは妻というより幼い娘に向ける感情に近しいものだが、子を持たぬ彼にはまるで理解できないものだった。
そんなわけで、レオはポレットに対して夫というより保護者のような関係になりつつあったのだが、今日も今日とて、それを助長するような出来事が起こる。
「もう疲れたのじゃ! おんぶじゃおんぶ! レオよ、わしをおんぶせぇ!」
中天高く日が昇るお昼時。やっと木々がまばらになってきた森の小道に、突如甲高い声が響いた。
もちろんそれはポレットである。外見相応のわがままぶりを発揮して、先行する同行者の気を引こうと大声でがなり立てた。
振り向きざまにちらりと見たレオが、仕方ないと言わんばかりに笑みを浮かべる。それはまるで幼い娘のわがままを許す父親のようだった。
その彼が遠くを指差しながらポレットに告げる。
「わかった。それじゃあ、あそこの木陰で昼食にしよう。だからもう少しだけ頑張ってもらえるか?」
「もう無理じゃ! 足が痛いのじゃ! 一歩も動けんのじゃ!」
「わがまま言うなよ。さぁ、もう少しだけ頑張って歩こう。あそこへ着いたら昼飯だからな」
「鬼! 悪魔! 愛妻が窮状を訴えておるというにその答えはなかろう! お前には思い遣りというものがないのか!? この人非人めがっ!」
「そんな大げさな……仕方ない、どれ見せてごらん。もしかしたら靴ずれかもしれないし」
「うみゅ。ここじゃ、ここが痛いのじゃ」
「えぇと、どれどれ……あぁ少し赤くなってるな。血は出てないけど、皮が剥けそうになってる」
「うえぇぇぇ、痛い痛い! 足がもげる! 死ぬ、死ぬぅぅぅ!」
「だから大げさだって。あぁ、こらこら、暴れるな。これくらいじゃ死なないから。――わかったよ、それじゃあここに布を当ててみよう。痛みが和らぐかも」
「ぬぉぉぉ!」
「叫ぶなよ。ほらもう大丈夫、痛くない。だからもう少しだけ頑張ってみよう」
「無理なのじゃ! 歩けないのじゃ! 死んじゃうのだ! うぇぇぇぇ、レオよ、おんぶせぇ、おんぶ! お前の背に乗せろ!」
仰向けに地面へ倒れて大の字になってジタバタと暴れるポレット。それはまさに感情を抑制できない幼児そのものだが、変わらずレオは微笑んだまま。
結局彼はポレットを背負って木陰へ移動して昼食を食べさせ、午後もまた彼女を背負って歩き出す。するとその扱いに満足したのか、緩んだポレットの口からぽつりぽつりと自身のことが語られたのだった。
御年127歳のポレットは、やはり人間――人族ではなかった。
種族までは明らかにしなかったが、どうやら彼女は数十年前に故郷を飛び出してきたらしい。
とはいえ、今でさえ見た目は幼女。当時であればさらに幼い外見をしていたはずである。
鬱蒼と茂る薄暗い森の中を一人彷徨う幼子。その彼女を保護し、育て、魔法の技術を叩き込んだのが人間の魔女だった。
ちなみにポレットの口調が妙に年寄りくさいのは、その魔女の影響らしい。
結局その魔女も今から20年ほど前に亡くなってしまい、以来ポレットは一人で生きてきた。魔女の形見である掘っ建て小屋に住み続け、残された魔法の研究を続けながら。
森から出ず、誰にも会わず、ただひたすらに魔法の研究に明け暮れる毎日。
自給自足。森の恵を口にしながら日々を過ごしていたが、それでも細々とした生活用品は必要である。そのため家の周りに生えている珍しい茸を近隣の村へ売りに行ったりしながら僅かな金を稼いでいた。
そしていつしか彼女は「帰らずの森の魔女」と呼ばれるようになり、現在に至ったというわけだ。
ポレットを背負ったまま歩きつつ、じっとその話を聞いていたレオ。彼の脳裏にふと一つの疑問が生じる。
「え? それじゃあ君は何か偉業を成したり、伝説を打ち立てたりしたわけじゃないのか? だって君は、あの有名な『帰らずの森の魔女』なんだろう?」
「あぁ……それはわしの師匠のことじゃな。あの人はほんに凄い魔術師じゃった。偉大な魔女とはあの人のためにある言葉じゃろうと思う」
「えぇ!?」
「その彼女もいつしか死んでしまい、気づけば代わりにわしがそう呼ばれるようになっておった。『帰らずの森の魔女』なんちゅう、なんとも大層な名でな。むはははっ、面白かろう?」
「面白くなんかないよ! そ、それじゃあ、君はなにができるんだ? どうして陛下は君を連れて来いだなんて仰ったんだ? こんな切羽詰まった状況だというのに」
「そんなん知らんがな」
「し、知らないって……俺はてっきり君が強力な魔法か何かで敵を吹き飛ばしたりできるのかと……」
「適当こくでない! できるわけないやろ! ――のぉ、レオや。ひとつ訊くが、お前がそれを知らんとはどういうことじゃ? そもそも何故にわしを連れ出しに来た? 王の命令になんの疑問も持たんかったんか?」
「あ、いや……それは……陛下にそう命じられたからとしか……」
「……」
「……」
そこはかとない不安。
果たして自分たちの行動に意味はあるのだろうか。
ふと、そこに思い至ったレオとポレットは、それからしばらくの間互いに口を開くことはなかった。
◆◆◆◆
翌日の夕刻。
予定通り森を出て、レオとポレットは森の端にある町――ケロルへ辿り着いていた。
往路で寄ったこの町へ再び戻って来られた現実に、レオはなにやら感慨深いものを感じてしまう。
果たして魔女を説得できるのか。魔女を連れてここへ戻って来られるだろうか。
一晩中眠れずに悶々と過ごしたわずか数日前の記憶。
それに比べると今や隔世の感があった。隣を見れば件の魔女がいる。それどころか自分の妻となっていたのだから。
その事実に思いを馳せながらレオが今夜の宿を探す。
はぐれないようにとポレットの手を取り、彼女の歩みに合わせてゆっくりと歩を進めるその様は、傍から見ると仲の良い父親と娘のよう。
もっともそれは言い得て妙というべきか。
もしもレオに娘がいたなら、ちょうどポレットくらいの年齢なのだから。もちろん外見年齢である5歳児であればだが。
事実、すれ違う町の人々はなんら疑うことなく二人を親子だと思っていた。
新たに宿を探すのも面倒なので、往路で泊まった宿へまっすぐ向かう。そしてポレットを連れて部屋を取ろうとしたその時、宿の主人が仏頂面のまま告げた。
「おいおい、そのなりじゃ部屋は貸せねぇよ。虱でも湧いたらどうする。どうしても部屋を借りたけりゃ、その前に湯屋で身体を洗ってこい。あぁ、ガキのほうは服も替えろよ、わかったか。――っていうかよぉ、おめぇも父親なら、ちったあガキの格好くらい気にしてやれよ。女の子なのに可哀想だろ」
「……確かに」
言われてレオがなるほどと頷く。言い方は少々アレだが、宿の主人が言うことももっともである。
改めてポレットを見てみる。
するとそこには、まさに浮浪児と言ってもいいほどの幼女がいた。出会った時点ですでに相当な汚れ具合だったが、ここ数日の旅でさらに拍車がかかっていたらしい。
もとより森の中での一人暮らしである。着の身着のまま気軽な生活。もちろん着替えなんて持っていないし、それどころかいつ風呂に入ったのかすら怪しい。
そういうレオもそれなりに汚れていたが、それとて王都を出てから20日程度。ポレットのように髪が脂で固まってもいなければ、顔だって煤けていなかった。
頭の天辺から足の先まで、ジロジロと遠慮なくレオがポレットを眺める。その視線にたじろぎつつも、必死にポレットが憎まれ口を叩いた。
「や、やめんか! なんじゃ、その目は! 人を舐めるように見るでない、いやらしい!」
「なぁポレット。実は前から思っていたんだが……」
「な、なんじゃい!」
「君を……」
「……」
「思いっきり洗ってみたい」
「はぁ!?」
言うなりレオがポレットを抱き上げる。
決して過度な力ではなかったが、力強くがっしりと掴むその腕は絶対に彼女を逃さないと告げていた。