第2話 断りの理由
前回までのあらすじ
ポレットは魔術師のロープのようなものを着ている。ぱっと見は小さくて可愛らしいが、よく見ればかなり薄汚い。
幾ら声をかけても懇願しても、決して開かれることのない小屋の扉。
ややもすれば農家の用具小屋にしか見えない粗末な家なのだから、レオがその気になれば扉を蹴破るのも造作なかった。
しかしそれは悪手だ。
なにせ相手は国王自らが助けを乞うほどの逸材である。加えてこちらは助力を願う立場なのだから、断られたからと言って強行突破していいものでもない。
とはいうものの、こうしている間にも刻々と状況は悪化している。
王都を出てからすでに半月。戻るにしてもさらに半月。最悪の場合は帰るべき場所さえなくなっているかもしれないのだ。
それらを勘案するなら悠長に魔女の気が変わるのを待っているわけにもいかない。可及的速やかに説得しなければならなかった。
扉が閉め切られてから小1時間。何度声をかけても一切反応はなかったが、それでもレオは説得を試みようと飽きることなく扉を叩き続けた。
「お願いでございます、何卒扉を開けていただけませんでしょうか。そして話だけでもお聞きいただきたく!」
「……」
「何度も申し上げておりますが、ただいま我が国は、隣国サン・ソヴァーレ公国による軍事進攻を受けております。半月前に王都を出た時には、すでに敵は王都アルトネより100キロの地点まで迫っておりました!」
「……」
「ご存じのようにサン・ソヴァーレ公国は大国です。国土の広さは言うに及ばず、兵の数も国力も、そして財力までもが我が国とは比ぶべくもありません!」
「……」
「開戦から3日でドゥニ辺境伯領は落ち、ジョフロワ子爵領、デュモルチエ伯爵領も占領されました! このままでは王都アルトネ、ひいては麗しの白銀城――ブリオン王城までもが敵の手に落ちてしまうでしょう!」
「……」
「それだけは……それだけは避けねばなりません! 敬愛なるテオフィル国王陛下並びにミレイユ王妃殿下。そしてクロヴィス殿下にジェルメーヌ姫。これら尊き方々が受けるであろう屈辱を思えば、どのような条件を飲んででも貴女様に助力を乞う所存であります!」
石に灸、犬に論語。はたまた牛に経文とでも言うべきか。どんなにレオが必死に窮状を訴えてみても、ぴしゃりと閉まった扉はぴくりともしない。
この壁の薄さである。必ず訴えは小屋の中まで届いているはず。いかに隠遁の魔女といえども、自国の王を慕う想いに差はないはずなのだから、窮状を訴え続けていればいずれ心を動かすに違いない。けれど小屋の中からは梨の礫だった。
冷静に考えてみれば、他にもやりようはあっただろう。
正面がだめなら側面から。側面がだめなら後方から。時に宥めたり、賺したりと攻め方にもいろいろある。
けれど生真面目を拗らせすぎて融通が利かないレオは、愚直なまでに同じ口上を垂れ流し続けた。
するとついに根負けしたのか、突如小屋の扉が開いた。
ばんっ!
「うるっさいのぅ……やかましくておちおち昼寝もできんわ! お前は壊れたオウムか!? 飽きもせず同じ言葉ばかり繰り返しくさってからに!」
やっと姿を晒したかと思えば、開口一番に幼女が苦言を呈する。その彼女の足元へ身を投げ出す勢いで再びレオが取り縋った。
「あぁ、やっとその気になっていただけたのですね! ありがとうございます! ささ、私とともに参りましょう!」
「……勘違いするでない。誰もその気になんぞなっておらんわ。どこかの阿呆が馬鹿の一つ覚えのように同じことしか言わんから、耳障りじゃによって黙らせようと思ったまでじゃ」
先程までの剣幕はどこへやら、魔女ポレットが探るような視線をレオへ向ける。
見た目は愛らしい幼女であるのに、鋭くもじっとりとしたその視線はどこか人の心を見透かすようなものだった。
それに気付いているのかいないのか、それでもレオは必死の形相を崩さない。
「重ね重ね申し訳ございません! まずは気の利かぬ手土産をお持ちしたことを改めてお詫び申し上げます。代わりの品につきましては別途ご用意させていただきます故、なにとぞ私とともに王都へ――」
「話を聞け! 今さら土産などどうでもよいわ! だからその気になんぞなっておらんと言っとるのじゃ。――のぉレオよ、まだわからぬか。わしが一体何に腹を立てているのかを」
「えっ?」
「先からお前がしていることは交渉でもなんでもない。相手の都合すら顧みず、ただ己の言葉をぶつけているだけじゃ。これでは纏まる話も纏まらぬ」
打って変わって、諭すようなポレットの言葉。
吊り上がっていた眉は垂れ下がり、吸い込まれそうな青緑色の瞳は真正面からレオを見つめる。柔らかそうなぽってりとした唇からは小さな溜息が漏れていた。
その様はまるで仕方のない孫を戒める祖母のようであり、同時にどこか諦観の念に塗れているようにも見える。見た目はどうであれ、それは伊達にポレットが127年も生きていないと思わされるものだった。
意図せずレオは実家の祖母を思い出してしまう。
忙しい両親に代わり幼少の頃から面倒を見てくれた彼女には、レオもレオなりに愛着がある。同僚からも「真面目を通り越したクソ真面目」と揶揄される彼の人格形成に少なからぬ影響を及ぼしているのだろうが、それでもレオはそんな祖母のことが大好きだった。
似ても似つかぬ実家の祖母と眼の前の幼女。容姿も口調も、それどころか年齢に至るまでまるで共通点のないこの二人が似ていると思うのは気のせいだろうか。
レオが無意識に二人の近似を探していると、続けてポレットが口を開いた。
「そもそもわしに益がないではないか。確かに国王からは褒美がもらえるのじゃろうが、それとてわしには如何程のものとも思えぬ。今以上の生活なんぞ望んでおらぬし、もともと金はあまり必要としておらん。糊口ならば茸を売った金で十分賄えておるからな」
「ならば名誉は? 救国の英雄として末代まで崇められましょう」
「名誉なんぞ糞食らえじゃわ。名誉で腹は膨れるか? 名誉で魔法の研究が捗るのか? こんな辺鄙な森の中ではなんの役にも立ちゃせん」
「そ、そうですか……それでは矜持。己の国を救ったという自負心でしょうか? それとも敬愛なる国王陛下を守ったという気概ですか?」
思いつく限りの言葉を並べて、ひたすらレオが言い募る。するとポレットは、そのどれもが違うとゆっくり首を横へ振った。
「その目は節穴か? お前はどこを見ておる。よもやこのわしが人族に見えるのか?」
言いながらポレットが被っていたフードをおもむろに脱ぐ。直後に魔術師のローブから金糸のような髪がこぼれ落ち、長く尖った耳が露わになった。
もちろんレオは気付いていた。それも出会った直後から。100歳超えの年齢といい尖った耳といい、ポレットは明らかに普通の人間とは違っていたのだから。
しかしレオは彼女の言わんとするところが理解できない。それが自身の話にどう関係するのかわからなかった。
そんな心の内が表れていたのだろう。レオが胡乱な顔を隠せずにいると、これ見よがしに己の耳を引っ張りながらポレットが告げた。
「ほれ、よく見てみぃ。この通りわしは人族ではない。もちろん生まれもこの国ではないな。さすがのおまえも、ここまで言われればわかるじゃろう?」
言われてやっとレオは理解した。
どうやらポレットは長らくこの森に住んでいるようだが、そもそもここは彼女の国でもなければ故郷でもない。それどころか、好きでそうしているのかすらわからなかった。
早い話がここはポレットにとって異種族の国にほかならない。彼女にしてみればこの国がどうなろうと知ったことではないかもしれないのだ。
恐らくその推測に間違いはないだろう。見れば必死なレオの懇願も、彼女の心にはミリほども届いていないようだった。
愕然とし、打ちひしがれたレオががっくりと肩を落とす。それを見たポレットが諭すように言った。
「これでわかったか。はっきり言うが、わしにこの国を救う気概なんぞ欠片もない。さすがに国王の名くらいは知っているが、さりとてこの身を呈するほどのものでもなければ、そのつもりもないな。栄枯盛衰、たとえブリオン王国が滅んだところで、わしの生活になんら影響はないのじゃから。精々が人族の国が一つ消えた、その程度でしかない」
「そうですか……まぁ、そうですよね……」
「うみゅ」
「どうやら私は勘違いしていたようです。この国に生まれこの国で育った者ならば、誰であろうと祖国の窮状は見過ごせないのだとばかり思い込んでいました」
「……」
「しかしそうではなかった。もとよりあなたはこの国の人間ではない。いや、それどころか人族ですらなかった。にもかかわらず、身勝手にも我々の諍いに巻き込もうとしたのです。――大変申し訳ありませんでした。謹んでお詫び申し上げます」
まさに断腸の思い。そう言わざるを得ない表情のままレオが深々と騎士の礼を捧げる。
先程までの愚直な様子は今やなく、どこか諦めにも似た様子で地に片膝をつけた。