第17話 墓穴を掘る
前回までのあらすじ
5歳児を指して嫁と呼ぶ。正気か……?
頭の天辺から足の先まで、どこからどう見ても幼女にしか見えない「帰らずの森の魔女」。とても愛らしい姿ではあるけれど、背が低く小柄で華奢な外観は、恐らく5歳、いって6歳といったところか。
一般に「帰らずの森の魔女」と言えば、優に100歳を超える老人であるうえに、気難しく狡猾で、残忍かつ冷酷な人物として知られている。
遥か昔から森の奥地に住み続け、迷い込む旅人を捕らえて喰らうとも伝えられてきた。
にもかかわらず、一体これはなんなのか。
……いやいや、それはまだいい。まだ大丈夫。
魔女がどのような人物であろうと、我らに直接は関係ないのだから。
問題は何故に息子がそんな人物……しかも幼女(!)と夫婦になっていたかである。
百歩譲って魔女を娶るのはまだいい。事は男女の関係なのだから、どんな縁があっても不思議ではない。
しかしさすがにこれはないだろう!
相手は年端もゆかぬ幼女ではないか!
我が息子ながら、本気で正気を疑ってしまう。
まさかこの期に及んで、面白くもない冗談を言っているのではあるまいな。
しかし頭に「クソ」が付くほど生真面目な息子が、そんなくだらないことを言うとも思えない。果たしてこれは――
レオの両親が揃って口をぱくぱくさせる。
驚きのあまり言葉が出ずに、ただひたすらレオとポレットを交互に見つめるばかり。
凍りつく現場。これでは埒が明かない。そう思ったレオが場を仕切り直そうとする。
「えぇと、まずは紹介するよ。彼女はポレット。さっきも言ったが、巷では『帰らずの森の魔女』と言われている女性だ。――ほらポレット、君も挨拶して」
言われて幼女がぴょこりと頭を下げた。
「お初にお目にかかるりゅ。先の紹介にもあったとおり、わしは魔女のポレットじゃ。このようななりをしておるが、お前らよりもずっと歳は上じゃによって、侮ってもらっては困る。っちゅーか、敬え」
「お、おいポレット、何言ってんだ! いきなりそれか!? もっと他に言うことがあるだろう!?」
「何を言う! こういうことは初めが肝心じゃろがい! 犬と同じじゃ。まずはガツンといっとかなあかん!」
「それ必要か!?」
ここ数日ですっかり気安くなって忘れていたが、本来のポレットはとても気が強く、他人にマウントを取られることを極端に嫌う。
それは彼女が幼女として長らく一人で生きてきたからなのだろうが、それにしたって空気を読まなさすぎる。
そもそも伯爵夫婦は夫の両親、つまりはポレットの義父母にあたる人物なのだ。にもかかわらずマウントもへったくれもないだろう。
むしろここは二人を懐柔すべきであって、いきなり喧嘩腰など以ての外。
まったくこの子は……
などとレオがぼやいてみても、お構いなしにポレットが苦言を呈する。
「そもそもがレオよ、わしとお前が夫婦になったっちゅう報告は今ここで必要か!? そんなもん、大義が片付いてから折を見て明かしても遅くはなかろう! ほんに融通のきかん馬鹿者じゃのぉ!」
「そうは言うが、俺にとっても君にとっても、結婚とはとても大切なことだろう。それを恩も義理もある両親へ告げないだなんて、信義に悖るとは思わないのか!?」
「信義? 信義じゃと!? はぁ、くだらぬ。そんなもんで腹は膨れんわ! そもそも事には優先順位っちゅうもんがあるじゃろが! 見てみぃ、お前の言う信義とやらのせいで、此奴らが混乱しちょろうが!」
言われてレオが改めて両親を眺める。
すると二人は変わらずぽかんと口を開けたまま、未だに身動き一つできずにいた。
噂に聞いた魔女が実は幼女でした。その事実だけなら、決してここまでのことにはなっていなかったはず。
すなわち原因は、知らぬ間に息子が幼女と結婚していた事実に尽きる。
思えばレオも今や25歳になっていた。決して容姿は悪くない……いや、むしろ整っているにもかかわらず、これまで一切女っ気がなかった理由。
それは彼が幼い女児にしか興味を示さない小児性愛者――いわゆる「ロリコン」だったからである。
なるほど……これで長年の疑問に答えが出た。と頷いてみたところで衝撃の事実は変わらない。
確かに政略結婚などでは年の離れた妻を娶ることもあるが、それとて成人年齢――15歳を過ぎているのが一般的だ。
それがまさかの5歳児とは……。
衝撃のあまり身動ぎできなかった両親であるが、時間の経過とともに落ち着きを取り戻すと、たどたどしいながらもなんとか言葉を紡ぎ出した。
「こ、これは大変お見苦しいところをお見せいたしました。何卒お許しいただきたく。――ま、まずはお目にかかれて光栄でございます。『帰らずの森の魔女』様」
「し、子細は後ほど伺いますので、とりあえずこちらへおかけください」
「うみゅうみゅ、かたじけない。ならば遠慮なく」
◆◆◆◆
「……なるほど。レオよ、話はわかった。なにはともあれ、まずは安心したよ。私はお前が筋金入りのロリコンなのだと本気で思っていたからな」
「ちょっ! 父上!?」
「そうですよ。あなたはわたくしに似て器量良しだというのに、これまでまったく女性に興味を示さなかった。思わず納得してしまいましたよ。幼い女の子しか好きになれない根っからの変態なのだと」
「母上も!?」
情け容赦ない両親の言葉。それを聞いたレオは、普段の沈着冷静な仮面を脱ぎ捨てて素の反応を返した。
ともあれ、レオの父も母も事情を聞いて納得したらしく、豪奢なソファの真ん中でちんまりと座るポレットへ謝罪の言葉を口にした。
「ポレット殿。愚息が大変失礼をいたしました。成り行きとはいえ、多大なるご迷惑をおかけしましたこと、お詫びの言葉もございません」
「本当に。事情が事情ですもの、なにも無理に約束を守らずともかまいませんのよ? 口約束だけで、なにも正式に書面を交わした婚姻ではありませんから、気に入らなくば反故にしていただいてかまいません」
ここへ来るに至った、まるで騙し討ちのような経緯。
それを聞いたレオの両親が気の毒そうに謝る。それを黙って聞いていたポレットがおもむろに口を開いた。
「いや、これは約束じゃからの。約束などというものは、お主らにとっては然したるものではなかろうが、魔女にとっては契約と同義じゃ。ゆえにわしらは軽々しく約束などせぬ。たとえ些事であろうともな」
「しかし……レオとあなた様の関係は私たち以外は誰も知らないのです。ですから、最初からなかったことにしていただいてもかまいません。もちろん、我らに力をお貸しいただくという条件は外せませんが」
「まぁの。確かにそれはそうなのじゃろう、お主らの感覚ではな。しかし先にも述べたように、これはわしら魔女の矜持に他ならぬ。約束とは必ず守るもの。そうでなければ初めから約束なんぞ交わさぬわい。よいか? 魔法とは世の理との誓約によって具現化されるもの。よって約束とか契約などというものは、わしらにとっては命よりも大切なものなんじゃよ」
「そうですか、あなた様の事情は理解しました。私どもの理解の及ぶところではございませんが、魔女としての矜持だとおっしゃるのなら仕方ありません。――ならば、レオと直ちに離縁する気はないということでよろしいですか?」
「まぁ、一度交わした契りじゃからな。仕方あるまいよ」
確かに不本意ではあるけれど、だからといって今すぐ離縁するつもりはない。
そう告げるポレット。黙って聞いていた伯爵夫人ロザリーがおもむろに口を開いた。
「承知いたしました。ならば当家としては、あなた様の扱いを相応のものにさせていただきたく存じます。まずは呼び名でございますが、たった今より『ポレット』と呼び捨てますので、ご承知いただきたく。――よろしいですね、ポレット」
「な、何故にそんなんなるん!? その変わりようはなんじゃ!?」
突然の宣言に焦るポレット。その顔にはまったく意味がわからないと書いてあった。
彼女を見つめつつ、ロザリーがまさに言質を取ったとばかりにニンマリと笑う。
「あらポレット、いまさら何をおっしゃるの? 当然ではございませんの。なぜならあなたは当家の嫁になったのですから」
「よ、嫁……じゃと?」
「そう、嫁ですわ。まぁ、正確に言えば分家の嫁ですけれどね。とはいえ、本家も分家もそう違いはございません。同じナヴァール家の嫁として、どこへ出しても恥ずかしくないように教育させていただきます」
「な、なにぃ……?」
「まずは言葉遣い。ポレット、これからあなたはナヴァール家の嫁として様々なお客様をお迎えしなければなりません。男爵、子爵、伯爵家は言うに及ばず、ときには侯爵家、はたまた公爵家の方々さえ持て成さねばならないときもあるでしょう。ゆえに決してお客様に不快感を与えぬよう、美しい言葉を学んでいただきます。よろしいですね?」
「ま、待て……」
「それから所作。貴族家の嫁として、優美な振る舞いは当然のように身に付けるべきものです。立ち方から始まり、歩き方、座り方、扉の開け閉めに至るまで徹底的に指導させていただきます。誰あろう、このわたくし自らがね」
「お、お前は何を……」
「これ、ポレット! 『お前』ではありません! わたくしはあなたの義母なのですよ? ですから、たった今からわたくしのことは『奥様』とお呼びなさい。よろしいですわね!?」
「い、いや……」
「返事は!?」
「は、はひっ! 奥様!」
「よろしい」
レオと夫婦になったときもそうだったが、どうやらポレットは墓穴を掘るのが得意らしい。彼女としては正しい選択をしたつもりなのだろうが、結果として自分を陥れているのである。
まさに自縄自縛。己の招いた結果に慄きつつも、ポレットはナヴァール家の嫁としての立場を受け入れざるを得なかった。




