第12話 妻の律儀さ、夫の優しさ
前回までのあらすじ
レオは部屋を間違えたつもりのようだけど……
「……はっ!」
夜も更け、とっくに日も跨いだ午前二時。
ややもすれば頼りない、身体が沈み込むような感覚とともにポレットが目を覚ます。周囲を見渡せばなぜか柔らかいベッドの上だった。
長らくポレットは家と呼ぶのさえ憚るようなボロ小屋で暮らしてきた。板の上に干し草を敷いただけの粗末な寝床。それ以外で寝起きしたことのなかった彼女にとって、そのベッドは違和感を覚えるほどに柔らかく、そして暖かだった。
ふと頬に違和感を覚える。そっと触れてみれば涙に濡れていた。
どうして自分は泣いていたのだろう。それがさっぱりわからない。恐らく直前に見ていた夢のせいなのだろうが、今やその内容も思い出せなかった。
果たしてそのせいか、単に寝ぼけているためなのかわからない。いずれにせよポレットは、自身の置かれた状況を把握できずにいた。
一つ頭を振って深呼吸してみる。すると様々なことが脳裏に蘇ってくる。
そうだ。今の自分は旅の途中だった。
住み慣れた家を出て、若き王国近衛騎士とともに王都へ向かっているのだ。
そして昨夜は、夜食と呼ぶには些か遅い時刻に小腹を満たしてそのまま眠った。
あぁ……あれは美味しかった。もちろん夕食に食べた名物料理も絶品だったが、それとはまた別の美味しさがあれにはあった。
肉に串を刺して焼いたものと、ほかほかと湯気の上る温かいスープ。
そしてあの飲み物!
これまで精々が薬草から煮出した茶か沢の水くらいしか飲んだことはなかったが、あれは冷たくて、甘くて、酸っぱくて……何杯でもお代わりできると思うほどに美味だった。
とはいえ、寝る直前である。あまり飲むとおねしょしてしまうからと、途中でレオに止められたのだ。しかしそれを一蹴して全部飲み干した。
しかし……バカにするにも程がある。10歳、20歳の幼児でもあるまいし、一体わたしを何だと思っているのだ。
ん……? いや待て……なんだこの感触は。
腰の下あたりが妙に生温かい。それとともになぜか冷たい感覚も伝わってくる。
えぇ……えぇ……えぇ! まさか!
がばっ!
嫌な予感を覚えたポレットが勢いよく身体を起こす。そして自身の臀部を恐る恐る触ってみれば、直後にその口から悲鳴にも似た声が漏れ出した。
「ぬあぁぁぁ!」
結論からいうと、それは「おねしょ」だった。他に寝小便、夜尿、粗相などと様々な呼び名はあるが、それは紛うことなき「おねしょ」だったのだ。
レオの警告にも「馬鹿にするなや! わしが寝小便なんぞするわけなかろうが! ガキじゃあるまいし!」などと息巻いていたにもかかわらずの体たらく。
さすがのポレットも、あまりの居た堪れなさに愕然とするばかりである。
そっと窺ってみる。
すると人一人分挟んだ隣にレオがいた。闇に紛れてよく見えないが、並べられたもう一つのベッドがこんもりと盛り上がっているのを見れば、ぐっすり眠っているらしい。
どうやら未だ気付かれてはいないようだ。さりとてレオは現役の王国近衛騎士である。
厳しい訓練の賜物と言うべきか。たとえ眠っていてもほんの僅かな物音で目を覚ますは必定。現にこれまでの旅程においても、草木の揺れる微かな音で夜中に何度も目を覚ましていた。
果たしてこれはどうするべきか。
などと考えてみても、これといった妙案は浮かばない。ならば寝返りをうつに見せかけて、ゆっくりゆっくり下着を脱いで、シーツを剥がし、部屋から出てこっそり洗濯――
「ん? どうしたポレット。眠れないのか?」
熟慮に熟慮を重ねた作戦を、ついにポレットが決行しようとしたその時、機先を制するが如きタイミングでレオが口を開いた。
どうやら彼はすでに起きていたらしく、真夜中にもかかわらずベッドの中でなにやら蠢く幼女が気になっていたに違いなかった。
ポレットが慌てて答える。
「な、な、な、なんでもないわい! えぇからお前は寝とけ!」
「何故そんなに慌てている? なにか困っていることでもあるのか?」
「こ、こ、困ってなどおらぬ! う、うるさい奴じゃのぉ……ほっとけ!」
「そうか? そう言うならそうするが……しかしなんか変だぞ。絶対になにかあるだろう? べつに怒ったりしないから、正直に言ってみてくれ」
「うぅ……」
ややもすれば、幼い娘にでもかけるようなレオの言葉。
それを聞いていたなら、この二人が夫婦であるなど誰も思わないだろう。と、まぁ実際のところ、馴れ初めからしても彼らにそんなつもりなどあるはずもないのだが。
優しく促すように見えて、その実、有無を言わさぬレオの追求。もはやポレットに逃れる術はなかったが、それでも彼女は往生際悪く言い逃れをしようとする。
「や、やかしいわ! じゃから、なんでもないと言っておろうが! お前はわしの言が信じられぬのか!」
必要以上に語尾を荒らげて、威圧を以って相手を退けようとする。しかしレオにはそれも通じなかった。むしろその反応に疑いを深めた彼は、ふとあることに思い至る。
「なぁポレット。悪いんだが、その毛布をめくってもらえるか?」
「ぎくっ! も、も、も、毛布をか? な、な、何故にじゃ!?」
「いや、べつに深い意味はないが……あえて言うなら、確かめたいから、か」
「なぬ!? こ、こんな夜更けに、乙女のしどけない姿を確かめたいと申すか! この助平が!」
「違う違う。決してそういう意味ではない。――まぁいい、このままでは埒が明かんな。すまん、許せ!」
言うなりレオがガバっと毛布を引き剥がす。
目前に現れる下着姿の幼女と、夜目にもはっきりとわかるほど大きく変色したシーツ。見られるなりポレットが悲鳴を上げた。
「ぎゃぁぁぁぁぁー!」
「……やはりな」
「な、なにをする、このエロ助がっ! 力ずくで乙女の下着姿を見ようなどと、騎士の風上にもおけぬ――」
「なぁ、ポレット。これはなんだ?」
立ち上がり、腰に手を当ててレオが詰問する。対してポレットは、もはやこれまでとばかりに眉を下げた。しょんぼりと肩を落とし、床を見つめて泣きそうになっているその様は、見た目通りの5歳児そのままだった。
その彼女へレオが告げる。
「いや、べつに叱っているわけでもなければ、ましてや怒っているわけでもない。俺はただ、互いに命を預ける旅の仲間として、良いことも悪いことも隠さないでほしいと言いたいだけだ」
「うぅっ……」
「まぁいい。それじゃあポレット、着替えようか。こんなこともあろうかと替えの下着は用意してある。――あぁ、その前にお尻を洗わないとな。そのままじゃ気持ち悪いだろう? 自分でできるか? それとも俺が洗ってやろうか?」
「な、なにを言う! 言われんでも自分でやるわい! なにが悲しゅうて、乙女が男に尻を洗われねばならぬのじゃ!」
「ふふ……それだけ元気があれば大丈夫だな。それじゃあ俺はベッドを片付けておくから、君は身体を洗っておいで」
言いながらレオが服屋で買っておいた真新しい下着を差し出す。それを受け取るポレットの顔には、羞恥と苛立ちと申し訳なさが複雑に入り混じった複雑な表情が浮かんでいたのだった。
宿屋の裏手。洗濯場の片隅でなんとも情けない姿を晒しつつお尻を洗ったポレットは、真新しい下着に着替えて部屋へと戻った。
けれど今さら寝る場所もない。汚したベッドはレオが片付けてくれたが、未だ濡れたままだし何より気持ちが悪い。仕方なくポレットが部屋の隅で佇んでいると、レオが微笑みながら話しかけてきた。
「なぁポレット。そんなところに突っ立ってないで、今夜は俺のベッドで眠りなよ」
「な、何を言う! そげな破廉恥が許されるわけなかろうが! 百歩譲って同室なのは仕方がない。しかし同じベッドなどと……はっ! さ、さてはお前……この期に及んで、わしの身体を……」
「あるわけないだろう。寝る場所のない君にベッドを譲ると言っているだけだ。俺は床で寝るから気にしなくていい」
呆れたようにレオが言う。するとポレットがもじもじその身を捩らせた。
「いや、しかし……あれはわしの粗相じゃしのぉ……なのに、お前が床で寝るのは如何なものか……」
普段の言動はさておいて、意外と律儀なポレットである。
自身の失敗の尻拭いのために、無関係な者に不利益を被らせるのをよしとしなかった。なので彼女は、顔を真っ赤に染めつつも喚いた。
「な、ならば仕方あるまい! お前とわしとで寝床を分かち合う。それでどうじゃ!?」
緊張のためか羞恥のためか。よくわからないが必要以上にポレットの声が大きい。こんな夜中にその声量はどうなのかと思うところではあるが、それには触れずにレオが答えた。
「いや、俺は床でいい。もとより場所を選ばず眠る訓練は受けている。それに君だって誰かと一緒に眠るのは嫌だろう? ましてや相手が男だなんて」
「お、お前はわしのお、お、お、夫じゃからな! 枕をともにして眠ったところで、おかしくもなかろう!?」
「なぜ噛む?」
「ほっとけ!」
「……確かにな。しかし今夜はいい。君はベッドを一人で使ってくれ。――さぁ、明日も早いんだ。もう寝ないと」
レオが打ち切るように会話を終わらせようとする。
それは彼の優しさ、もしくは思い遣りなのだろうが、それがわかるが故にポレットも折れようとしない。なおも縋るように言い募った。
「だめじゃ! お前が床で寝るというなら、わしも床で寝る! ベッドで寝るならわしもそうする! お前に非はないのだ。一人だけに貧乏くじは引かせられん!」
「ポレット……」
「で、どうするのじゃ? わしはもう眠い。今すぐ選べ!」
そもそもこの一連の騒動はポレットの粗相から始まっているのだ。にもかかわらず、それを棚に上げて偉そうにもこの幼女は選択を迫ってくる。
思わず笑いそうになってしまったレオではあるが、意図して神妙な顔を作るとその問いに答えた。
「わかった。それじゃあベッドを半分ずつ使おう。――いいか? くれぐれも寝相には気をつけてくれよ?」




