第1話 騎士と魔女
気は焦るばかりだった。
今こうしている間も刻一刻と戦線は後退しており、このままでは早晩故郷を失ってしまうのは間違いない。
事の始まりはひと月前。ある日突然に隣国から宣戦布告された。
口上においては様々に理由を並べられたものの、それらはすべて建前にすぎない。なぜなら、つい先日に国境付近で発見された鉄鉱床の利権狙いなのが明白だからだ。
もとより長年にわたり隣国と小競り合いを続けてきた彼の地である。いまさらという気がしないでもないが、今度ばかりは相手も本気らしい。
戦争を始めるには莫大な金と物資、そして人的資源が必要だ。くわえて準備のために月単位の時間が必要にもかかわらず、宣戦布告の直後に進軍を開始したのがその証左。
とはいえ、自分のような木っ端騎士には関係ない。現在只今自分に課せられているのは、速やかに任務を遂行することのみである。
そしてそれは――
「なんじゃ、お前は! ここが『帰らずの森の魔女』の居所と知っての所業か! この痴れ者め、帰れ帰れ!」
ここは鬱蒼とした森の奥にぽつんと佇む、ともすれば廃屋と見紛うような小さな小屋。
その入口に半ば身を隠し、訝しむような視線とともに目の前の男を追い払おうとする女が一人。
いや、確かにそれは生物学的には女なのだろうが、果たしてそう呼んでいいものか些か迷う。なぜなら、その女というのが明らかな幼女であるからだ。
年齢は5歳ほど。
身長は100センチを超えたくらいで体型は痩せ型。白に近い、透き通るような白金の髪が美しく、胡散臭げに細めらた瞳は吸い込まれそうな青緑色。
抜けるような白い肌と紅く染まった頬のコントラストが愛らしく、ぽってりとした柔らかそうな唇がさらに拍車をかけていた。
とまぁ、字面だけなら大層美しい幼女であるが、対して現物は薄汚い。
フードから零れた髪はぼさぼさに絡まっているし、顔も全体が煤けている。身に纏うローブはいつ洗ったのかわからないほど汚れているし、靴に至っては爪先が破けて指が飛び出る始末。
そんな一見して浮浪児と見間違うような幼女に向かって、一人の騎士が必死に告げる。
「もちろん存じ上げております! 先触れも寄越さぬ突然の来訪。無礼なのは百も承知でございます。しかし事情が事情ゆえ何卒私の話をお聞き頂きたく――」
「やかましいわ! ならば余計に去ね! わしは忙しいのじゃ。正体もわからぬうつけと談笑するほど暇ではないわ! 話を聞いてほしくば、まずは己の名を明かすが道理じゃろうが!」
「はっ! こ、これは大変失礼いたしました! わ、私はブリオン王国近衛騎士団所属のレオ・ナヴァールと申す者。王命を受け、王都アルトネより罷り越しました!」
もはや不機嫌を隠すつもりもなく、じっとりとしたジト目で見つめてくる幼女。その彼女へ向けて必死の形相で嘆願する若き騎士が一人。
年齢は二十代半ば。さらりとした薄茶色の長髪が似合うなかなかに端正な顔つきと、すらりと背の高い鍛え抜かれた体躯は、若い女性ならば放っておかないほどの精悍さ。
もしもここに妙齢の女性がいたならば、10名中9名は好意的な視線を向けるに違いない。それほどまでに容姿の整った王国騎士ではあるが、惜しむらくは幼女同様に全身が薄汚れていた。
もっとも彼の名誉のために言うならば、それは仕方のないことである。
なぜなら、ここへ辿り着くまでの半月間、寝食さえも惜しんでひたすら歩き続けてきたからだ。
すなわち彼は、国王の勅命を果たすためにここへ来た。そして、それこそが「魔女ポレット」への依頼なのだが、すでに出だしから暗礁に乗り上げつつあった。
「お前が誰であろうが、そんなん知らんわ! 話を聞く筋合いなんぞクソほどもないわい!」
「そこをなんとか! お願いでございます、何卒魔女ポレット殿へ目通りを願いたく!」
「……はぁ!?」
騎士の言葉に突然幼女が様子を変えた。
胡乱げに細められていた瞳はこれでもかと見開かれ、信じられぬとばかりに口までが大きく開かれる。
それを見た騎士――レオは己のやらかしを察するとともに突如として脳裏へ閃くものがあった。
まさかとは思うが、この幼女が目的の人物ではなかろうか。
見た目の先入観からすっかり魔女の弟子か養い子かと思っていたが、そう思えば合点がいく。小さな子供とは言え、物置に毛が生えたようなこの小屋に大人と二人で住むなどどだい無理な話なのだから。
いや待て。自分の記憶が確かなら、魔女の年齢は128歳だったはず。
人間でその歳ならばとっくに死んでいてもおかしくないし、そもそも100歳以上の年寄りなんて見たこともない。
だから初めに年齢を聞いた時には、魔女を名乗るほどの人物なのだから、魔法で寿命を延ばしているのだろうと勝手に思い込んでいたのだ。
ならば……この幼女は128歳ということか。
しかしどこからどう見ても、逆立ちしたってその年齢には見えない。精々が5歳。いって6歳といったところ。
ジッと見てみる。
ん……? 待て待て待て。ちょっと待て。
なんだ、あの耳は?
よく見れば明らかに人間とは違う、先の尖った長い耳が覗いているではないか。
ということは……つまり……この幼女は人間――人族ではない?
そうか、そうだったのか。人間ではないのか。
ならばこの見た目で128歳というのも頷ける。きっと我々よりも遥かに長命な種族に違いない。
エルフ、ドワーフ、ハーフリングにグラスランナー。人族の近縁種ならば数種いるが、その中でも一番の長寿といえばエルフだろう。
話によれば千年は生きるらしいのだから、128歳といえばちょうどこのくらいか。
しかし、それにしても――
などとレオが、目の前の状況を放り投げて己の考えに耽り始める。
正面には小さな口をぱくぱくさせ、両目を見開き、憤怒の表情のまま固まる一人の幼女。
ついに彼女が吠えた。
「お前、ええかげんにせぇよ! なんぞ慇懃に喋りくさっとるくせに、そもそもが人違いとは失礼極まりないわ! わしを馬鹿にしちょるんか、おぉ!?」
たんっ! と小気味良い音とともに短い足を地面に叩きつけて幼女が啖呵を切る。
もっとも、汚れているとはいえ、それでも十分に愛らしい姿には意図したような迫力は滲んでいなかったのだが。いや、むしろいっそ清々しいほどに微笑ましかった。
それでもレオは、ふと我に返ると慌てて謝罪の言葉を並べた。
「も、申し訳ございません! 先立ってお年を128歳と伺っていたものですから……まさかそのようなお姿だとは思いもせず……」
「そんなん、お前の勝手な思い込みじゃろが! それにわしはまだ127歳じゃ! そもそもがレディーに年齢の話を振るなんぞマナー違反じゃろがい! このバカちんが、しばき倒すぞ!」
「な、何卒お許しを! 返す返す、お詫びの言葉もございません! ならば、あなた様こそがあの名高き『魔女ポレット』殿なのですね?」
「そうじゃ! わしこそがあの高名にして偉大なる『帰らずの森の魔女』こと、ポレット・ヌブーじゃい! 恐れ入ったか、このクソがっ!!」
どーん!!
とばかりに小汚い幼女――ポレットが平らな胸を反らせる。ふんすっ、と勢いよく鼻息を吐き、短い腕を腰に当て、これでもかと両足を開いて仁王立ちになった。
それはあまりに偉そうな態度ではあったのだが、前述のように薄汚くも可愛らしい容姿のために意図したほどの迫力はなかった。
しかしレオは、その姿に恐れ戦き傅く。
「ははぁー! 恐れ多くも偉大なる魔女ポレット殿ご本人とは露知らず、大変ご無礼を仕りました! この通り、何卒ご容赦いただきたく!」
右手を胸の前へ掲げて地に片膝をつき、王国騎士として最上級の礼をレオが捧げる。
胸を張り、偉そうにふんぞり返る小汚い幼女と、その眼前に跪く若き王国近衛騎士。
その光景は傍から見れば滑稽この上ないものではあったが、当の本人たちは真剣そのもの。
近衛騎士といえば、王国の最高権威者――国王の守護役である。
そんな人物を恭しくも跪かせたのだから、さぞポレットもご満悦だったのだろう。直前までとは打って変わって余裕の笑みを顔に浮かべて言った。
「テオと言ったか? わざわざ人の家を訪ねてきたのじゃからな。当然、手土産の一つくらいは持ってきておるんじゃろう? ん?」
「レオでございます。もちろん土産を持参しておりますれば、どうぞこちらをお納めください」
言いながらレオがごそごそと背嚢から幾つかの包みを取り出す。それを何気にどや顔で掲げ持ちながら改めて口上を述べた。
「こちらが王都アルトネ名物のバナナ饅頭にございます。そしてこちらが有名な木彫りの熊。さらにこちらが私の故郷の名物でもあります胡瓜のパリパリ漬けです。ささ、ご笑納ください」
目の前に並べられた土産の数々。
途中で馬が潰れたために、もとより少ない荷物は捨ててきた。着の身着のまま、己のことはさておいてもこれだけは最後まで守り続けた騎士の矜持。
それを見たポレットが、底冷えするような声を絞り出した。
「はぁ? ……のぉ、テオよ、一応聞くが、お前本気で言っているのか? まさか高度なギャグのつもりではあるまいな?」
「レオでございます。――なにを仰います。誠心誠意、これがわたくしの土産にございますれば……もしや気に入りませんか?」
「うぬぬぬ……気にいるもいらぬもないわ! なんじゃこれは!? 確かに手土産とは言ったが、本当に土産物を出す奴がおるかい! テオよ、お前は旅行にでも行ってきたつもりか!?」
「レオでございます。恐れながら申し上げますが、元来私は不器用ゆえ、嘘や冗談は苦手としております。ですから、決してそのような――」
さすがにこの若さで一国の近衛騎士団員を務めるだけのことはある。
優しげな雰囲気を纏っているものの、真っ直ぐに射抜くような視線を見る限り、決して冗談を言っているようには見えなかった。ましてや嘘を吐くはずもない。
間違いなくこの男は本気で言っているのだ。
ようやく気付いた幼女が、憤懣やるかたなしと表情のみで語りつつクルリとその場で背を向ける。そして喚いた。
「帰れ! おととい来いや、このハゲがっ!」
バンッ!
小屋が揺れるほどの音を立てて叩きつけるように扉を閉めるポレット。
直後に「がちゃり」と鍵をかければ、いくらレオが必死に縋ってみても決して扉が開かれることはなかった。
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