(8)
(一体、何を聞かされるのよ…)
ローザはこれまで、魅了の呪いで奪われかけている自分の人生を取り戻すことだけを生きる目的としていた。
家門を呪いから解放し、ずっと自分を苦しめてきた王子たちへの復讐を果たすことができれば、ようやく本当の人生が始まるのだと、漠然と思っていた。
(でも、その先は? 本当の私の人生って、何?)
ローザは一度も考えたことがなかった。
何をしたいのか。
誰と共にありたいのか。
何を幸せと感じるのか。
(そんなこと、考える余裕もなかったといえば、そうなんだけど…)
「僕は知っている。君の中にあるのは、底なしの虚無だ。怒りや憎しみも、軽く払えば消える程度のものだろう?」
「そんなことは…」
(ない、とは言えない…分かってる。王子どもへの憎しみなんて、ほんとはどうでもいいんだもの)
「魅了に冒された君の周囲の人々は、常に君を痛めつけ、心身を踏み躙り、君からあらゆるものを奪うことで、君の中に怒りと憎しみを植え続けた。それが君にとっての、君という存在だ」
(そうよ……いえ、認めたくない。あの連中が、私の存在そのものだなんて!)
「怒りは、君に生きる理由を与えた。憎しみは、君に他人と関わる理由を与えた。だから君は、帝国に残らずに、家に帰った。そうだよね」
(違う! あれは、皇子が信じられなかったからよ!)
「君は人を愛さない。愛することを封じられ、禁じられている。愛によって君の内面が作られることは、君の存在そのものと矛盾することだからね。愛を知れば、君は消える」
(愛なんて! 信じられるはずがないじゃない。誰も私を愛さないし、私だって愛さない!)
無言で混乱し続けてているローザを、皇子は、慈しむように見つめている。
「僕は、君を生かしたい。君と共に生きたいんだ。けれども、怒りや憎しみだけで生きていて欲しくない。どうすれば、そんな形だけの生ではなく、本当の生を君に贈ることができるのか。森で君と出会った時から、ずっと考え続けてきた」
ローザは森での出会いを思い出した。
(嘘くさい顔で、「君を助けに来た」って言われたわ。実際、命を救われたし、感謝の気持ちも少しはあったけど、何を考えているか分からなかったし、帰ろうとしたら、いきなり閉じ込めようとしてきたのよ)
「あの時の君は、完全な虚無ではなかった。そして、怒りや憎しみではない感情を芽生えさせつつあった。家族の手で森に捨てられたことへの怒りより、恐怖と不安、そして経験したことのない孤独を感じて、微かに震えていた」
ローザは驚いた。
(私が恐怖したですって! 孤独に震えた!? そんなはずない! だって、そんな感情を知らないもの!)
「君はすぐに忘れてしまったはずだよ。君の本質とは相入れないものだから。でもそれは、ほんのささやかなものだったけど、君自身から生まれた、真実の感情だったんだ」
ローザの中に、得体の知れない何かが湧き上がってきた。
聞かされている言葉の一つ一つが、ローザの内側に熱い剣を送り込み、優しいそぶりを装いながら、さくり、さくりと切りつけてくるようだった。
(やめて……私を傷つけて、変えないで。私は私以外の何かになりたくなんかない。怖い…)
「あの時の震える君を見て、僕は、どんなものよりも、美しいと思ったんだ。そう、いまの君みたいにね」
ローザは優しく微笑む皇子を睨みつけた。
「嘘よ! 私は美しくなどない! そう思われたくないのよ!」
「美しいよ。何よりも、誰よりもね。君と直接出会うまで、僕はただ、君を生かしておけばいいと思っていた。君を死なせないことが、僕の役割であり、僕が生まれた理由だったからね」
それから皇子は、鋭い光を放つかのような笑みを浮かべて、言った。
「ローザ、君は、世界の全てを闇に葬るために生まれた、邪神なんだ」